Category archives: 1920 ─ 1929

苦しい唄

隣人とか

肉親とか

恋人とか

それが何であろう――

 

生活の中で食うと言う事が満足でなかったら

描いた愛らしい花はしぼんでしまう

快活に働きたいものだと思っても

悪口雑言の中に

私はいじらしい程小さくしゃがんでいる。

両手を高くさしあげてもみるが

こんなにも可愛い女を裏切って行く人間ばかりなのか!

いつまでも人形を抱いて沈黙っている私ではない。

 

お腹がすいても

職がなくっても

ウヲオ! と叫んではならないんですよ

幸福な方が眉をおひそめになる。

 

血をふいて悶死したって

ビクともする大地ではないんです

後から後から

彼等は健康な砲丸を用意している。

陳列箱に

ふかしたてのパンがあるが

私の知らない世間は何とまあ

ピアノのように軽やかに美しいのでしょう。

 

そこで始めて

神様コンチクショウと吐鳴りたくなります。

 

林芙美子

蒼馬を見たり」所収

1929

無限に

一人が淋しい、

いやだ。

三人行くと、

二人の談話はよくあふが

やはり一人が淋しい、

いやだ。

そんなら五人はどうだ、

手を握る二組ができて

一人が残される。

その一人が淋しい、

無限に。───

七人、九人、十一人と、

奇数は無限にさびしい一人を生む

母の影だ。

一人が淋しい、

いやだ。

 

山村暮鳥

山村暮鳥全集「拾遺詩篇」所収

1924

赤いマリ

私は野原へほうり出された赤いマリだ!

力強い風が吹けば

大空高く

鷲の如く飛び上る。

 

おゝ風よ叩け!

燃えるやうな空気をはらんで

おゝ風よ早く

赤いマリの私を叩いてくれ。

 

林芙美子

蒼馬を見たり」所収

1929

大脳は厨房である

眼球は日光を厭ふ故に

瞼の鎧戸をひたとおろし

頭蓋の中へ引き退く。

 

大脳の小区画を填めるものは

困憊したさまざまの食品である。

青かびに被はれたパンの缺け、

切り口の饐えたソオセエジ……

オリーヴ油はまださらさらと透明らしいが

瓶一面の埃のために

よくは見えない。

 

眼球は醜い料理女である。

厨房の中はうす暗い。

彼女は床のまん中で

少しばかりの獣脂を焚く。

背の低い焔が立つて

油煙がそつと 頭蓋の天井に附く。

 

彼女は大脳の棚の下をそゝくさとゆきゝして

幾品かの食品をとりおろす。

さて 片隅の大鍋をとつて

もの倦げに黄いろな焔の上にかける……

 

彼女はこの退屈な文火の上で

誰のためにあやしげな煮込みをつくらうといふのか。

彼女は知らない。

けれども、それが彼女の退屈な

しかし唯一の仕事である。

 

大脳はうす暗い。

頭蓋は燻つてゐる。

彼女は――眼球は愚かなのである。

 

富永太郎

富永太郎詩集」所収

1925

十五の春

十五の春は

昨日の夢

 

もう十六の

春が来た

 

十六の 春も

昨日の夢とすぎ

 

また十七の

春が来る

 

野口雨情

沙上の夢」所収

1923

公園の椅子

人氣なき公園の椅子にもたれて

われの思ふことはけふもまた烈しきなり。

いかなれば故郷のひとのわれに辛く

かなしきすももの核を噛まむとするぞ。

遠き越後の山に雪の光りて

麥もまたひとの怒りにふるへをののくか。

われを嘲けりわらふ聲は野山にみち

苦しみの叫びは心臟を破裂せり。

かくばかり

つれなきものへの執着をされ。

ああ生れたる故郷の土を蹈み去れよ。

われは指にするどく研げるナイフをもち

葉櫻のころ

さびしき椅子に「復讐」の文字を刻みたり。

 

萩原朔太郎

純情小曲集」所収

1925

日比谷

強烈な四角

   鎖と鉄火と術策

   軍隊と貴金と勲章と名誉

高く 高く 高く 高く 高く 高く聳える

 首都中央地点——日比谷

 

屈折した空間

   無限の陥穽と埋没

   新しい智識使役人夫の墓地

高く 高く 高く 高く 高く より高く より高く

 高い建築と建築の暗間

   殺戮と虐使と噛争

 

高く 高く 高く 高く 高く 高く 高く

  動く 動く 動く 動く 動く 動く 動く

日 比 谷

彼は行く——

彼は行く——

   凡てを前方に

彼の手には彼自身の鍵

   虚無な笑い

   刺戟的な貨幣の踊り

彼は行く——

黙々と——墓場——永劫の埋没へ

最後の舞踏と美酒

頂点と焦点

高く 高く 高く 高く 高く 高く 高く聳える尖塔

 

彼は行く 一人!

彼は行く 一人!

日 比 谷

 

萩原恭次郎

死刑宣告」所収

1925

私の自叙傅

俺は小百姓の家に

たつた一人の子に生れた。

俺はおしやべりの人間が嫌ひだつた、

俺はおし黙つた蜥蜴が好きだつた、

俺は蜥蜴と遊び耽つた後で、

極つたやうに蜥蜴を両斷した。

彼の女の頭の方は崩れた石垣の上から俺を睨んだ、

彼の女の尾の方は落ちた椿の蕊の裡で跳ね廻つた、

彼の女の綠靑色の肌が花粉で黄色くよごれた、

たとひ、それが一瞬時の事實としても、

一つの生命が二つにも三つにも分裂することに

俺は限りなく美味な驚異を飽食した。

やがて大きな手が俺を捕へて

確乎と俺に目隠しをした。

 

それから長い長い路が始まつた、

道はざくざくして歩行きにくかつた、

道は一ぱいに象形文字が鋪きつめてあつた。

俺は厚い土壁の牢獄に俺を見出した、

俺はやうやうの事で窓を目付けた、

窓にはチヤイコフスキイが立つて居た、

チヤイコフスキイはスクリアビンを紹介して去つた、

俺の血に棲む小反逆者が俺の道徳に肉道した、

スクリアビンの肉體は死んださうだが、

俺の窓へは毎日來る、

今朝も俺の手を握りながら、

「どうだ、俺の手は………」と言つた位だ。

 

深尾贇之丞

「天の鍵」所収

1920

青い林檎

赤い林檎に

青い林檎

なぜにひとつが

青いのか

 

あんまり泣いて

死んだゆえ

それでひとつが

青いのだ

 

瀨田彌太郎

抒情小曲集『哀吟余情』所収

1925

秘やかな楽しみ

一顆の檸檬を買い来て、

そを玩ぶ男あり、

電車の中にはマントの上に、

道行く時は手拭の間に、

そを見 そを嗅げば、

嬉しさ心に充つ、

悲しくも友に離りて

ひとり 唯独り 我が立つは丸善の洋書棚の前、

セザンヌはなく、レンブラントはもち去られ、

マチス 心をよろこばさず、

独り 唯ひとり、心に浮ぶ楽しみ、

秘やかにレモンを探り、

色のよき 本を積み重ね、

その上にレモンをのせて見る、

ひとり唯ひとり数歩へだたり

それを眺む、美しきかな、

丸善のほこりの中に、一顆のレモン澄みわたる、

ほほえまいて またそれをとる、冷さは熱ある手に快く

その匂いはやめる胸にしみ入る、

奇しきことぞ 丸善の棚に澄むはレモン

企らみてその前を去り

ほほえみて それを見ず、

 

梶井基次郎

「梶井基次郎全集」所収

1922