俺は小百姓の家に
たつた一人の子に生れた。
俺はおしやべりの人間が嫌ひだつた、
俺はおし黙つた蜥蜴が好きだつた、
俺は蜥蜴と遊び耽つた後で、
極つたやうに蜥蜴を両斷した。
彼の女の頭の方は崩れた石垣の上から俺を睨んだ、
彼の女の尾の方は落ちた椿の蕊の裡で跳ね廻つた、
彼の女の綠靑色の肌が花粉で黄色くよごれた、
たとひ、それが一瞬時の事實としても、
一つの生命が二つにも三つにも分裂することに
俺は限りなく美味な驚異を飽食した。
やがて大きな手が俺を捕へて
確乎と俺に目隠しをした。
それから長い長い路が始まつた、
道はざくざくして歩行きにくかつた、
道は一ぱいに象形文字が鋪きつめてあつた。
俺は厚い土壁の牢獄に俺を見出した、
俺はやうやうの事で窓を目付けた、
窓にはチヤイコフスキイが立つて居た、
チヤイコフスキイはスクリアビンを紹介して去つた、
俺の血に棲む小反逆者が俺の道徳に肉道した、
スクリアビンの肉體は死んださうだが、
俺の窓へは毎日來る、
今朝も俺の手を握りながら、
「どうだ、俺の手は………」と言つた位だ。
深尾贇之丞
「天の鍵」所収
1920