Category archives: 1980 ─ 1989

冬の時計

ミルクを温めるのはむずかしい
青いガスの火にかけて
ほんのすこしのあいだ新聞を読んだり
考えごとをしていたりすると
たちまち吹きこぼれてしまう

そのときのぼくの狼狽と舌打ちには
いつも
「時間を見たぞ」
「時間に見られてしまったな」
という感覚がまざっている

ミルクがふくれるときの音って
じつに気持ちがわるい
と思いながら急いでガスの栓をひねったときはもう遅い
時間は
ゆうゆうと吹きこぼれながら
バカという
ぼくも思わずかっとして
チクショウといい返す

きょうの石鹸はいいにおいだった
なるほど
きのうのヒステリー
あしたの惨劇
みんな予定どおりというわけか
冬の時計が
もうじき夕方の六時を打つ

北村太郎
「ピアノ線の夢」所収
1980

エスカレーター


エスカレーターがめずらしかったころ
ぞうりをぬいで
白い足袋すがたになり
きぜんとして
エスカレーターのなかへ消えていった
おばさんをみたことがあります

ぞうりはぬぎすててあったように
記憶しています
でも、そんなことはないでしょうね
ぞうりをしっかり手にもって
暗いエスカレーター上の人となり
ななめうえの世界へ
すがたを消したのにちがいありません

エスカレーターがめずらしかったころ
それはたいてい暗いところにありました
とくにフロアーから
フロアーへ
くぐりぬけるときは
まっくらになります
あの恐さをいまでも忘れることができません

エスカレーター教育ということばがあります
知っていますか
エスカレーターには
くだりもあるのですよ


エスカレーターは
やがて終点に来ます
われわれの身をのせているてっぱんが
いちまいいちまい
フロアーにすいこまれてゆきます
ふと
人生の「終点」を思うのです

いつまでもあのてっぱんにのっていると
どうなりますか
われわれの身は
フロアーのすきまにすいこまれて
うらがわ
知らない世界へ行ってしまうのかも知れません

エスカレーターの夢を
見たことはありませんか
らせん状になっていることもあれば
おどりばで
くるりとむきをかえて
こちらへ向かってくることもあります
「おどりば」って
人生を感じませんか

エスカレーターのてっぱんは
ほんとうのことをいうと
機械のうらがわをくぐって
また「出発点」にでてくるのですね

藤井貞和
ピューリファイ!」所収
1984

愛人

うせもの
おおし。
まちびと
きたらず。
待人来る。待人来らず。来る。来らず。楠の大木の深い葉の繁みごしに見える交差点の信号燈。きみは赤から青へと変わるその冴えざえとした輝きがうつくしいとおもう。待人来らず。空の高みに浮かんでいるような私鉄の駅のプラットフォームへのぼってゆく見知らぬ人の白い後ろ姿。それがぼうっと闇にまぎれてゆく熱暑の夕暮がうつくしいとおもう。それとも早朝。あたらしい陽光を照りかえしているかなたの建物の小さな窓が不意にひらく瞬間に立ち会うことの驚きもまたうつくしいとおもう。だがそれらはすべて遠いものでありきみはだれからも愛されない。
かぜの
たより。
なれの
はて。
孤雨におびきだされてきょうもバス停にたつ暗いしずかな心はふきすぎる湿った風にほとびていって。桜にもくるい紅葉にもくるうきみのおびえやすい官能の皮膚。その虚妄の情熱。
ふう
とう。
みず
もれ。
いち
ねん・・・・・
けれども虚妄でない情熱がどこにあるだろう。たえず無色でいたい。あらいおとされる寸前のどんな色にもすかさず染まるために。くるう。くるう。うつくしさとの交信。色の待機。うつむき。うとんじられるだけの廃貨の数々だ。バスは来ない。くるる。くるる。自動車の騒音をつらぬいてふしぎな鳥の声がかすかに伝わってくる。すぎていったあのやさしいやわらかい歳月がいとおしかった。手も足もいつも濡れていた。もうなにもわからず。待人は来らず。かぞえている。せんひゃくいち。せんひゃくに。せんひゃくさん。・・・・・「おおうるわしの、羽、羽よ、七色の、十七色の・・・・」停留所。終りのない愛のための。だれのものでもなく冷気のなかをただよう予感。ただ予感のみ。それがきみの孤独をわたしのところまで送りとどけてくれるかもしれぬ。鎮まれ。鎮まれ。まだバスは来ない。行先はどこだったか。あめもよい。
ふれば
どしゃぶり。

松浦寿輝
冬の本」所収
1987

言葉

わたくしは ときどき言葉をさがす、
失くした品物を さがすときのように。
わたくしの頭の中の戸棚は混雑し
積まれた書物の山はくずされる。
それでも 言葉はみつからない。
すばらしい言葉、あの言葉。
人に聞かせたとき なるほどと思わせ、
自分も満足して にっこり笑えるような、
熟して落ちそうになる言葉、
秋の果実そのままの 味のよい
のどを うるおして行くような あの言葉。
美しい日本の言葉の ひとつびとつ
その美しい言葉をつかまえるために
わたくしは じっと 空を見つめる。
それなのに、その言葉は 遠くわたくしから
遠くわたくしから 去ってしまう。
秋の夕空に消えて行く
あの渡り鳥の影に似た言葉よ。
どうして つかまえなかったかと後悔する。
だが、遠い渡り鳥の影を誰が捕まえられよう。
わたくしは心を残して自分の心の窓を閉める。

やわらかな言葉、やさしい言葉。
荒さんだ人の心を柔らげるハーモニイ。
しゃべりすぎた自分を控えさせるモデラート。
そっとしておいて下さいと願う人にはピアニシモ。
そのときどきの そんな言葉はないものだろうか。
見うしなった影を追い求めるように
わたくしは じっと 空を見つめる。

笹沢美明
1984

水のこころ

水は つかめません
水は すくうのです
指をぴったりつけて
そおっと 大切に──

水は つかめません
水は つつむのです
二つの手の中に
そおっと 大切に──

水のこころ も
人のこころ も

高田敏子
1989

赤い髪

 ニーナが、なまあたたかい舌で、わたしの右手をなめた。
「わたし、犬」
 あたりをクンクン嗅ぎながら部屋の隅に這っていった。
 そこにニーナの寝床が吊りさげられた毛布で仕切られている。
 冬の間、アンドレシェフスキー夫妻はこの一室を使って暮らしている。ストーヴにオリーヴの根をくべて、わたしたちは数人で話していた。ニーナが犬を演じだしても誰も気にとめない。
 わたしはニーナの犬をひとりじめにした。
 ニーナが、「行かない」と言いだしたら行かない。オリーヴの若木のそばで、「これはニーナの木」と言ったとき、わたしには、ほんとうにそれがニーナの木のように思えた。
今は犬になってしまった。

 食事になってもテーブルにつかない。這ったまま吠えているので、スープ皿を床におろしてやらなければならなかった。
 スプーンを使わずにハアハア言って食べ終わると、ストーヴの火を見ている。じっとしているから、もう気がまぎれたのだろう、とひとりが話しかけてみても口をきかない。
 しばらく頭を振っていたが、ぐったりとわたしの膝に寄りかかってきた。まだ、顔をあげて「ウーッ」とうなる。
 なかなか犬をやめないのはわたしのせいもあるのかもしれない。
 犬の気持をうけいれて、やわらかい赤い髪をなでている。

川田絢音
「サーカスの夜」所収
1984

猿の日

 私たちの「猿の日」は、二年に一度、やって来る。慣れて見れば、深く詮索するほどのことをする日ではない。ただ、永く、何代となく続いてきた行事があるのだ。
 その日、私たちの娘という娘は、どの家でも、全裸になって、一日、そのための黒く塗られた袋に入って過ごす。どの家の娘も例外はないのだ。
 その小さな闇のなかで、一切の物音をたてず、一日、出て来てはいけないのである。もちろん、そのことに反抗する初めての娘がいる。だが、泣き叫ぶ彼女も、手足を縛られ、やがて、袋に入ることになる。
 それだけのことだ。ただ、彼女たちが、袋に入るときに、必ず、それぞれ、一輪ずつ水仙の花を持っているのを、誰かが見届けて、袋の口を結わえるのである。
 何故、それが、水仙の花でなければならぬのか。何故、黒く塗られた袋でなければならないのか。何故、病気の娘まで、全裸にならねばならないのか。
 多くの古い風習に似て、「猿の日」のことについては分からないことばかりだ。大体、猿の日が、どうして、猿の日なのか、何が猿なのか、知る者はいないのだ。
 この日を、人々は、普通の日と、全く、変わりなく仕事をして過ごす。ただ、彼らはきわめて無口である。その日が、猿の日であることを、一切、口にしない。もっとも、他の日でも、誰もが、猿の日のことは、絶対に、言葉にしてはならないのである。
 あるいは、それが、私たちの猿の日の、最も大事なことかも知れない。そのために、信じられぬほど、永い年月、それは、続けられて来たのかも知れない。
 数えきれぬ娘たちを、小さな深い闇に閉じこめて。
 ──夕暮れになると、彼女たちは、袋から出され、今度は、美しく粧って、遠い湖に向かう。いかなる呪縛によるのか。その夜、湖のほとりでは、夜明けまで、沢山の灯が揺れて、泣くような男女の歓びの声が、そこかしこで聴かれるのである。

粕谷栄市
「悪霊」所収
1989

心太を食べる

みぶるいしている心太を
天突きに入れてトロトロと突き出している
暑いから何かに圧倒されていたい
フロイトはね
(どうしてフロイトなの?)
音楽に圧倒されるのを好まないといったのよ
ばかみたいね
感傷的でざんこくな人間だったのね
蒼い顔をしていた
ひやして
冷たくして
(冷たい板間が大好きです)
立膝して海苔をくずす
胡麻をひねる
人差指と親指のあいだの草の実の
ゆえしらない微かな音と匂いに傾いている
圧倒されたいわけ
冷たく酸いものをつるつるっと召しあがれ
汗が引いた
何だかわからない
なやましい感情にかきまわされるが
フロイトほどにはひどくない

財部鳥子
枯草菌の男」所収
1986

晴れた日に

車一台通れるほどの
アパートの横の道を歩いて行くと
向こうから走ってきた
自転車の若い女性が
すれ違いざまに「おはようございます」
と声をかけてきた。
私はあわてて
「おはようございます」と答えた。
少しゆくと
中年の婦人が歩いてくるので
こんどはこちらからにっこり笑って
お辞儀をしてみた。
するとあちらからも
少しけげんそうなお辞儀が返ってきた。

大通りへ出ると
並木がいっせいに帽子をとっていた。
何に挨拶しているのだろう
たぶん過ぎ去ってゆく季節に
今年の秋に。

そういえば私の髪も薄くなってきた
向こうから何が近づいてくるのだろう。
もしかしたらもうひとりの私だ
すれ違う時が来たら
「さようなら」と言おう
自転車に乗った若い女性のように
明るく言おう。

石垣りん
やさしい言葉」所収
1984

頓死

夕暮の海岸
僕だけしかゐない
波打際の流木の上にテープレコーダーを置いて
僕は一服
A面には ある禅寺の勤行
太鼓と鐘と青年僧の読経
いま その裏側に 刻々 波音が記録されてゐることであらう
崩れる波
息をのみこむやうにしてふくれあがり
三段にも 四段にも 音たてて
レースのやうにひろがり 散らばってゐる
新月も見えはじめたが
夜陰ともなれば如何なることになるのか
「大統領の陰謀」によるとニクソンは
録音テープによつて自ら墓穴を掘つたといふ
僕には失ふべき何物もない
ひき返すうすい海水は斜めに流れ
上げ潮になつてゐるらしい
再生するのがたのしみだ
しかし その時
天地の秘事盗聴は不埒!!
流木の下の砂が削り去られてゐたのだ
流木が僅かに動き くるりとゆらぎ
流木の上のものが落ちた
塩水が入りこんで テープは止まり
ボタンも 蓋も びくともしない
駄目になつたのは 僕か
ああ テープレコーダー君

小山正孝
「山居乱信」所収
1986