わたくしは ときどき言葉をさがす、
失くした品物を さがすときのように。
わたくしの頭の中の戸棚は混雑し
積まれた書物の山はくずされる。
それでも 言葉はみつからない。
すばらしい言葉、あの言葉。
人に聞かせたとき なるほどと思わせ、
自分も満足して にっこり笑えるような、
熟して落ちそうになる言葉、
秋の果実そのままの 味のよい
のどを うるおして行くような あの言葉。
美しい日本の言葉の ひとつびとつ
その美しい言葉をつかまえるために
わたくしは じっと 空を見つめる。
それなのに、その言葉は 遠くわたくしから
遠くわたくしから 去ってしまう。
秋の夕空に消えて行く
あの渡り鳥の影に似た言葉よ。
どうして つかまえなかったかと後悔する。
だが、遠い渡り鳥の影を誰が捕まえられよう。
わたくしは心を残して自分の心の窓を閉める。
やわらかな言葉、やさしい言葉。
荒さんだ人の心を柔らげるハーモニイ。
しゃべりすぎた自分を控えさせるモデラート。
そっとしておいて下さいと願う人にはピアニシモ。
そのときどきの そんな言葉はないものだろうか。
見うしなった影を追い求めるように
わたくしは じっと 空を見つめる。
笹沢美明
1984
「言葉をつかわないために たれが言葉を所有したか
無数の膨大な波のように われわれは沈黙をきく
それをきくためにわれわれは生きる
今日も生きる
さけられない運命のように 沈黙の声をきくために」
(吉本隆明「」