うまくもなくまずくもない行きつけの定食屋で
もそもそ野菜炒め定食を食べていた時だ
マンガ雑誌の棚の上に無造作に置かれた埃っぽいブラウン管テレビには
体操女子の競技会のニュースが映し出されていた
優勝した選手がインタビューに答えている
中学2年か、初々しいな
化粧っ気のない頬を紅潮させている
それをじっと見ていたハゲ頭の店のオヤジは
染みのついた前掛けを掛けた店のオヤジは
オタマを手にしたまま急に怒り出したのだ
「最近のコは何であーやって語尾を無駄に伸ばすんだ?
いつまでも赤ちゃんみたいな喋り方しやがって
親のしつけがなってねぇんだな」
おーっ、オヤジ、さすがだねえ
長く生きてると
目のつけどころが違うねえ
さっき見事な平均台の演技映ってたでしょ
あんなの毎日死ぬほど練習しなきゃできないよ
あのコ、かわいい顔してるけどすごい根性あるよ
ご両親のサポートも立派だと思うよ
でもそんなのオヤジのアンテナには引っかからない
見たいものしか見ない能力
聞きたいことしか聞かない能力
どのくらい努力すれば身につくんだろうか
オヤジの努力
それはきっとオリンピックを目指す体操選手の努力と一緒
来る日も来る日も関心外の出来事を無視し続ける練習をすること
小惑星探査機「はやぶさ」が無事帰還しました、と感激するアナウンサーを見て
「あんな派手なネクタイするかね」とだけ言ったオヤジだ
いつもピントが合いすぎている
じゃあさ
方向を変えてやればあのコともメッチャうまくやれるんじゃない?
はい、講師にあの体操少女をお呼びしました
よろしくお願いします
「よろしくお願いしますぅっ」
オヤジは仏頂面して黙ったまま
「それではまず平均台の上に立っていただけますかぁ」
ごそごそ上ろうとするが平均台は意外と高さがある
足が上がらないオヤジは何度もずり落ちてしまう
台にしがみついて、上体を乗せて、腰をずりずりさせて
はい、やっと這い上がれました
でも平均台にしがみついたままだ
「立てますかぁ?」
オヤジはしかめっ面しながら体を持ちあげようとするけれど
ダメだ、台にへばりつくばかり
「それでわぁ、支えますのでぇ、ゆっくり立ち上がって下さいねぇ」
体操少女の肩に掴まってぶるぶる震えながら立ち上がるオヤジ
体操少女がしっかり膝を支えているから大丈夫だ
「すごいですぅ、立ち上がれましたねぇ、それでわぁ歩いてみて下さいぃ」
オヤジは目を白黒させてぶんぶん首を振る
「うーん、じゃあ、元気をつけるために声をだしてみましょうかぁ
でわぁ、『私は日本人ですぅ』」
「私は日本人です」
「『です』じゃなくて『ですぅ』ですぅ」
「私は日本人で、す、ぅ」
「そうそう、いい感じですよぉ、それじゃ『いいお天気ですねぇ』」
「いいお天気、です、ね、ぇ」
「ちょっとお伺いしたいんですけどぉ、はどうでしょうかぁ」
「ちょっとお伺いしたいんですけどぉ」
「すごいすごい、すごいですぅ、完璧ですよぉ」
オヤジはそれには答えずニコリともしないまま
そろりそろりと平均台の上を歩き出し
やがて、タッタッタッと走り出すと
えいぃ、とジャンプして
くるりと一回転
すたっと平均台の上に着地
微動だにしない
すごいなあ、オヤジ
やったなあ、オヤジ
と体操少女と手を取り合って喜んでいるうち
オヤジはいつのまにかすーーーーーっと長く伸びた平均台の上を
「私は日本人ですぅ」
「いいお天気ですねぇ」
「ちょっとお伺いしたいんですけどぉ」
と繰り返し叫びつつ
タッタッタッ、くるっと回転していく
遠くへ、遠くへ
もう点のようにしか見えない
同じ台詞を反復する声だけが微かに聞こえてくる……
でまあ、いくら待っても戻ってこないわけ
ぼくは体操少女と一緒に定食屋に戻ることにした
「しょーがないですねぇ、しばらくの間だけですよぉ」
オヤジの代わりに体操少女が染みのついた前掛けを掛け
オタマを手にする
まだちょっとぎこちないがおじけづいた様子はない
ぼくは食べかけだった野菜炒め定食を平らげることにした
「ごちそうさま」と言って立ち上がると、体操少女は
「3番さん、おあいそーっ」とおかみさんに向かって元気に声を張り上げた
よしよし、その調子だ
オヤジが修行の旅を終えるまで
立派に店をきりもりしてくれるに違いない
語尾もしっかり伸ばしているから体操界への復帰も容易いだろう
それじゃ、来週また寄るからね
おやすみなさいー
辻和人
「Poetry Port」掲載作品
2011