Category archives: 1910 ─ 1919

月に吠える(序)

萩原君。

 何と云つても私は君を愛する。さうして室生君を。それは何と云つても素直な優しい愛だ。いつまでもそれは永続するもので、いつでも同じ温かさを保つてゆかれる愛だ。此の三人の生命を通じ、縦しそこにそれぞれ天稟の相違はあつても、何と云つてもおのづからひとつ流の交感がある。私は君達を思ふ時、いつでも同じ泉の底から更に新らしく湧き出してくる水の清しさを感ずる。限りなき親しさと驚きの眼を以て私は君達のよろこびとかなしみとを理会する。さうして以心伝心に同じ哀憐の情が三人の上に益々深められてゆくのを感ずる。それは互の胸の奥底に直接に互の手を触れ得るたつた一つの尊いものである。

 

 私は君をよく知つてゐる。さうして室生君を。さうして君達の詩とその詩の生ひたちとをよく知つてゐる。『朱欒』のむかしから親しく君達は私に君達の心を開いて呉れた。いい意味に於て其後もわれわれの心の交流は常住新鮮であつた。恐らく今後に於ても。それは廻り澄む三つの独楽が今や将に相触れむとする刹那の静謐である。そこには限りの知られぬをののきがある。無論三つの生命は確実に三つの据りを保つてゐなければならぬ。然るのちにそれぞれ澄みきるのである。微妙な接吻がそののちに来る。同じ単純と誠実とを以て。而も互の動悸を聴きわけるほどの澄徹さを以て。幸に君達の生命も玲瓏乎としてゐる。

 

 室生君と同じく君も亦生れた詩人の一人である事は誰も否むわけにはゆくまい。私は信ずる。さうして君の異常な神経と感情の所有者である事も。譬へばそれは憂鬱な香水に深く涵した剃刀である。而もその予覚は常に来る可き悲劇に向て顫へてゐる。然しそれは恐らく凶悪自身の為に使用されると云ふよりも、凶悪に対する自衛、若くは自分自身に向けらるる懺悔の刃となる種類のものである。何故ならば、君の感情は恐怖の一刹那に於て、正しく君の肋骨の一本一本をも数へ得るほどの鋭さを持つてゐるからだ。

 然しこの剃刀は幾分君の好奇な趣味性に匂づけられてゐる事もほんとうである。時には安らかにそれで以て君は君の薄い髯を当る。

 

 清純な凄さ、それは君の詩を読むものの誰しも認め得る特色であらう。然しそれは室生君の云ふ通り、ポオやボオドレエルの凄さとは違ふ。君は寂しい、君は正直で、清楚で、透明で、もつと細かにぴちぴち動く。少くとも彼等の絶望的な暗さや頽廃した幻覚の魔睡は無い。宛然凉しい水銀の鏡に映る剃刀の閃めきである。その鏡に映るものは真実である。そして其処には玻璃製の上品な市街や青空やが映る。さうして恐る可き殺人事件が突如として映つたり、素敵に気の利いた探偵が走つたりする。

 

 君の気稟は又譬へば地面に直角に立つ一本の竹である。その細い幹は鮮かな青緑で、その葉は華奢でこまかに動く。たつた一本の竹、竹は天を直観する。而も此竹の感情は凡てその根に沈潜して行くのである。根の根の細かな繊毛のその岐れの殆ど有るか無きかの毛の尖のイルミネエション、それがセンチメンタリズムの極致とすれば、その毛の尖端にかじりついて泣く男、それは病気の朔太郎である。それは君も認めてゐる。

 

「詩は神秘でも象徴でも何でも無い。詩はただ病める魂の所有者と孤独者との寂しい慰めである。」と君は云ふ。まことに君が一本の竹は水面にうつる己が影を神秘とし象徴として不思議がる以前に、ほんとうの竹、ほんとうの自分自身を切に痛感するであらう。鮮純なリズムの歔欷はそこから来くる。さうしてその葉その根の尖まで光り出す。

 

 君の霊魂は私の知つてゐる限りまさしく蒼い顔をしてゐた。殆ど病み暮らしてばかりゐるやうに見えた。然しそれは真珠貝の生身が一顆小砂に擦られる痛さである。痛みが突きつめれば突きつめるほど小砂は真珠になる。それがほんとうの生身であり、生身から滴したたらす粘液がほんとうの苦しみからにじみ出たものである事は、君の詩が証明してゐる。

 

 外面的に見た君も極めて痩せて尖つてゐる。さうしてその四肢が常に鋭角に動く、まさしく竹の感覚である。而も突如として電流体の感情が頭から足の爪先まで震はす時、君はぴよんぴよん跳ねる。さうでない時の君はいつも眼から涙がこぼれ落ちさうで、何かに縋りつきたい風である。

 

 潔癖で我儘なお坊つちやんで(この点は私とよく似てゐる)その癖寂しがりの、いつも白い神経を露はに顫へさしてゐる人だ。それは電流の来ぬ前の電球の硝子の中の顫へてやまぬ竹の線である。

 

 君の電流体の感情はあらゆる液体を固体に凝結せずんばやまない。竹の葉の水気が集つて一滴の露となり、腐れた酒の蒸気が冷たいランビキの玻璃に透明な酒精の雫を形づくる迄のそれ自身の洗練はかりそめのものではない。君のセンチメンタリズムの信条はまさしく木炭が金剛石になるまでの永い永い時の長さを、一瞬の間に縮める、この凝念の強さであらう。摩訶不思議なる此の真言の秘密はただ詩人のみが知る。

 

 月に吠える、それは正しく君の悲しい心である。冬になつて私のところの白い小犬もいよいよ吠える。昼のうちは空に一羽の雀が啼いても吠える。夜はなほさらきらきらと霜が下りる。霜の下りる声まで嗅ぎ知つて吠える。天を仰ぎ、真実に地面に生きてゐるものは悲しい。

 

 ぴようぴようと吠える、何かがぴようぴようと吠える。聴いてゐてさへも身の痺れるやうな寂しい遣瀬ない声、その声が今夜も向うの竹林を透してきこえる。降り注ぐものは新鮮な竹の葉に雪のごとく結晶し、君を思へば蒼白い月天がいつもその上にかかる。

 

 萩原君。

 何と云つても私は君を愛する。さうして室生君を。君は私より二つ年下で、室生君は君より又二つ年下である。私は私より少しでも年若く、私より更に新らしく生れて来た二つの相似た霊魂の為めに祝福し、更に甚深な肉親の交歓に酔ふ。

 又更に君と室生君との芸術上の熱愛を思ふと涙が流れる。君の歓びは室生君の歓びである。さうして又私の歓びである。

 この機会を利用して、私は更に君に讃嘆の辞を贈る。

 

北原白秋

萩原朔太郎「月に吠える」に寄せた序文より

1917

風と語る言葉

いとけなき少年の日より

私は常に魂のありかを風に求めてゐた

空にそよぐ葉つぱから、初めて人間の智慧を拾うてから

私は風と話をする心をもつた

今、私は母と散歩に出たある夕暮れを思ひ出す

道のほとりに風に散った木の葉より

秘められた人間の悲哀を拾うたことを思ひ出す

その木の葉を掌にとつて

「風はどこからも生れやしない

風は土に萌え出た人間の愛葉脈さみしい草の愛木の葉のような心に生れて

どこにも住家なくまづしい灰色の寝台をそこここにおくきりなのだ」

さう呟いた憂欝な日から私は風と話をした

 

何時であつたか

「生れたのは嘘だ、信ずるのも嘘だ、さういふ気がします」

ひとり私が祈禱の夜だった、雨と太陽に、日に焼け痩せた顔を見せて、言つたことがあるそれも忘れた日であつた

「未だお考へはつきませんか」と

庭の椅子の本のペーヂに面ふせてゐたとき

風は樫の葉の上から、私の首に手をかけて言つた

「否」私はさう言つて、また本を読んだ

結局本はさみしさの泉で

さういふ風の話のみが、私を生かして来た

 

私がいつも黙つてゐると

風はさみしく其処に坐つてゐるのを見る

夕暮れ首をすぼめて

高い空の方から、小鳥や雲とたはむれる姿とも思へず

帰つてゆく風は、窓辺に来て沈んでゐる

「ご飯は?」とその寒げな姿に言ふ

「腹が空いても菜つ葉のやうなさみしい空気きりなんです」

「草の根のやうなものを嚙み水のやうに下るのも我慢するのです」

「痩せましたねお貰ひさん!あたたかにしておいでお貰ひさん」

さうも言はれさうだ

夕暮れ門口に立つた、思ひやり深い家婦の瞳に

 

痩せた魂は何処まで吹かれてゆくのだらう

風もそれは知らないと言ふ

生れればもう吹かれるそれだけが真実だと言ふ咽喉も痛い悲しい思ひを呑み下して血とするきりだといふ

愛は悲しみで木の葉が真実を知つてゐるきりだといふ

立ち上る煙や木の葉が美しかつた朝は

あなたのお祈りをしばし自然の小さい者にかけて下さい

私はどつかでよろこびますと言ふ

風はさう言つて一層さびしい顔をくもらせる

おお私は人間の世のことは風にたづねまい

風は木の葉に自分は窓に共に語らう

 

春もま近いきさらぎとなつた

風よ野に行かう草原に日の照る所に

せめて君や草や私達三人してお互いにしんみりと話し慰め合ふ

今日はあたたかい土曜の午後だ

春あさい丘にまろくすわつて話でもきかしておくれ

草木芽ぐむ春を小鳥さへづる春を見も知らぬ処女の胸に思ひわく春を

たくさんの慰めを詩として私に与へておくれ

 

萩原恭次郎

1919

モデル女に

あゝ美しきかな

汝の全體

 

先づ吾を戰慄せしむるは

汝の胸上なる二つの肉感的なる球なり

美しくとがりたる乳房なり

汝の腕なり

そは鍾乳石にも比すべきかまた

汝の首なりまた

汝の長く肥りたる兩足の交錯なり

そこにうねれる凸凹の美しさよ

あでやかなる肉はまた汝の□□(1)に浮く

そこに紫の□(2)の威あるかな

 

あゝ美しきかな

女の裸體

 

われはむしろ「□□□」(3)の名を受けて世界中の□□□(4)をのぞきまはらん

    ピカソ展覽會のカタログを見て

    ピカソの戀をおぼえそめけり

ムツシユーピカソ――

ピカソさん

あなたの畫に僕はすつかり

崇拜を捧げます

 

私もあなたの如く

立派に描きたう思つて居る

日本のゑかきの

新兵です

 

□は当時の検閲による伏字。それぞれ下記の言葉が入っていたと推定される

注 1)谷間、2)毛、3)無頼漢、4)モデル

 

村山槐多

1919

The Lighted Window

 He said:

“In the winter dusk

When the pavements were gleaming with rain,

I walked thru a dingy street

Hurried, harassed,

Thinking of all my problems that never are solved.

Suddenly out of the mist, a flaring gas-jet

Shone from a huddled shop.

I saw thru the bleary window

A mass of playthings:

False-faces hung on strings,

Valentines, paper and tinsel,

Tops of scarlet and green,

Candy, marbles, jacks—

A confusion of color

Pathetically gaudy and cheap.

All of my boyhood

Rushed back.

Once more these things were treasures

Wildly desired.

With covetous eyes I looked again at the marbles,

The precious agates, the pee-wees, the chinies—

Then I passed on.

 

In the winter dusk,

The pavements were gleaming with rain;

There in the lighted window

I left my boyhood.”

 

Sara Teasdale

From “Rivers to the Sea”

1915

愛の詩集に

室生君。

僕は今君の詩集を開いて、

あの頁の中に浮び上つた

薄暮の市街を眺めてゐる。

どんな惱ましい風景が其處にあつたか

僕はその市街の空氣が

實際僕の額の上にこびりつくやうな心もちがした。

しかしふと眼をあげると、

市街は、──家々は、川は、人間は、

みな薄暗く煙つてゐるが、

空には一すぢぼんやりと物凄い虹が立つてゐる。

僕は悲しいのだか嬉しいのだか自分にもよくわからなかつた。

室生君。

孤獨な君の魂はあの不思議な虹の上にある!

 

芥川龍之介

「愛の詩集」所収

1918

青い吹雪がふかうとも

おまへのそばに あをい吹雪がふかうとも

おまへの足は ひかりのやうにきらめく。

わたしの眼にしみいるかげは

二月のかぜのなかに実をむすび、

生涯のをかのうへに いきながらのこゑをうつす。

そのこゑのさりゆくかたは

そのこゑのさりゆくかたは、

ただしろく いのりのなかにしづむ。

 

大手拓次

藍色の蟇」所収

1912

野球

王子電氣會社の前の草原で

メリヤスシヤツの工場の若い職工達が

ノツクをして居る。

晝の休みの鐘が鳴るまで

自由に嬉々として

めいめいもち場所に一人々々ちらばり

原の隅から一人が打ち上る球を走つて行つてうまく受取る。

十五人餘りのそれ等の職工は

一人々々に美くしい特色がある

脂色に染つたヅツクのズボンに青いジヤケツの蜻蛉のやうなのもあれば

鉛色の職工服そのまゝのもある。

彼等の衣服は汚れて居るが變に美くしい

泥がついても美くしさを失はない動物のやうに

左ぎつちよの少年は青白い病身さうな痩せた弱々しい顏だが、

一番球をうけ取る事も投げる事も上手で敏捷だ。その上一番快活だ。

病氣に氣がついてゐるのかゐないのか

自覺した上でそれを忘れて餘生を樂しんでゐるのか

若白髮の青年はその顏を見ると、

何故かその人の父を思ひ出す

親父讓りの肩が頑丈すぎてはふり方が拙い。

教へられてもうまくやれない

受取る事は上手だ。

皆んな上手だ、どこで習つたのかうまい、

一人々々に病的な美くしいなつこ相な特色をもつて居る。

病氣上りのやうに美くしいこれ等の少年や青年は

息づまる工場から出て來て

青空の輝く下にちらばり

心から讃め合つたりうまく冷やかしたり、

一つの球で遊んでゐる。

雜り氣の無い快活なわざとらしくなく飛び出し出た聲は

清い空氣の中にそのまゝ無難に消えて行き

その姿はまるで星のやうに美くしい

星も側へ行つて見たら

あんなに青白く、汚ないにちがひない

一人々々の汚ない服や病的の體のかげから

快活な愛が花やいでうつかり現はれる美くしさ、なつこさ、

鐘が鳴ると彼等は急に緊張して

美くしい笑ひや喜びや好奇心に滿ちた快活さを一人々々、

疊んでどこかへ隱したやうに

一齊に默つて歸つて行く。

 

千家元麿

自分は見た」所収

1918

囈語

竊盜金魚

強盜喇叭

恐喝胡弓

賭博ねこ

詐欺更紗

涜職天鵞絨

姦淫林檎

傷害雲雀

殺人ちゆりつぷ

墮胎陰影

騷擾ゆき

放火まるめろ

誘拐かすてえら。

 

山村暮鳥

聖三稜玻璃」所収

1915

The Gift to Sing

 Sometimes the mist overhangs my path,

And blackening clouds about me cling;

But, oh, I have a magic way

To turn the gloom to cheerful day—

      I softly sing.

 

And if the way grows darker still,

Shadowed by Sorrow’s somber wing,

With glad defiance in my throat,

I pierce the darkness with a note,

       And sing, and sing.

 

I brood not over the broken past,

Nor dread whatever time may bring;

No nights are dark, no days are long,

While in my heart there swells a song,

       And I can sing.

 

James Weldon Johnson

From “Fifty years & Other Poems”

1917

暴風のあとの海岸

白──

明るい海のにほひ、

濁った雲の静かさ、

 

白──灰──重苦しい痙攣・・・・・・・

腹立たしいような、

掻き毟しつたやうな空。

 

藻──流木──

磯草のにほひ。

 

白──

岸と波とのしづかさ。

 

──忘却──夢──

苦悶の影──

白──

 

波の遠くに遠くにひびく

 夢の如うな音──狂ひ──嘆き──

 

──白

──濁り──風

 

風──

しづかな音

風──

 

白──

 

川路柳虹

「路傍の花」所収

1910