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薔薇は咲いたら枯れるだけ

地下鉄は、都市の深奥を貫いて往く。

おれはドアのガラス越しに、

なにか、きらめくのを視た。

星屑のようなそれは、

闇のなかにいくつも視えた。

瞳だ、

下車すべき駅を喪失した、

乗車すべき駅を喪失した、たくさんの瞳、

濡れてこちらを視ているのだ。

おれはレールの軌道のうえ、

はしる列車の振動のうえ、

瞳は薄闇のなかで、呼んでいる、

ちかちかと瞬いて、

呼んでいる、呼んでいる、・・・・・・。

カーブを曲がると、プラットフォーム、

人びとの流れに身を任せ、

あかるい雑踏に佇むおれの、

胸に一輪、薔薇が枯れて散ってゆく。

 

季節は萌えず修辞され、

書きかえられない思い出を、

うつくしく飾るために造られる。

都市はいつも隠している。

鉄骨をご覧、アスファルトの舗道をご覧、

おまえのライトで照らしてご覧、

生白い足や、もの言わぬ唇、焼け焦げの痕、・・・・。

おれの、否、おれたちの足もとでくすぶっている、

にがい煙草の煙のようなもの、

おれたちが去れば、

ぬるい夜に消えてゆくだろう。

道路脇に手向けられている、

薔薇の花束が、視えるか。

死人に薔薇など似合わぬと、

おまえは暗く微笑んだ。

 

 渦のような夢のなかで、おれはきみの名を呼んだ。

 赤い赤いワンピース、

 きみはなにか、巨きな影のようなものに包まれて、

 おれに言葉を呉れない。

 黒光りするまなざしが、

 おれを知らない、と、語った。

 おれはきみの名を呼んだ。

 カーテンを閉ざすように、

 きみは目を瞑り、影と消えた。

 

薔薇の似合うそいつのことを、

おれたちは知っているような気がする。

おれたちは忘れているような気がする。

けれども、薔薇は咲いたら枯れるだけ、

おれたち忘れて歩くだけ。

そして別れて背中を向けて、

都市の街路に散ってゆくだけ。

 

小林坩堝

「でらしね」所収

2013

行ってきまあす!

朝幼稚園へ行った息子が

夜三十五歳になって帰って来た

やあ遅かったなと声をかけると

懐かしそうに壁の鳩時計を見上げながら

大人の声で息子はうんと答えた

 

今まで何していたのと妻が訊けば

息子は見覚えのある笑顔ではにかんで

結婚して三年子供はなくて仕事は宇宙建築技師

俺もこんな風に自分の人生を要約して語ったっけ

おや、こいつ若しらがだ

 

自分と同い年の息子から酒をつがれるのは照れるもので

俺は思わず「お、どうも」とか云ってしまう

妻がしげしげと息子と俺の顔を見比べている

だがそれから息子が三十年後の地上の様子を話し始めると

俺たち夫婦は驚愕する

 

よくもまあそんな酷い世界で生き延びてきたものだ

環境破壊、人口爆発、核、民族主義にテロリズム

火種は今でもそこいらじゅうに満ち溢れていて

ええっとその今が取り返しのつかぬ過去となった未来が息子たちの今であって

ややっこしいが最悪のシナリオが現実となったことは確かだ

 

あのう、駄目なのかな、これからパパやママが努力しても?

さあて、どうだろう、時間の不可逆性ってものがあるからねえ

妻は狂言の場面みたいに息子の袖を掴んで

ここに残って暮らすよう涙ながらに説得するが

それはやっぱり摂理に反するだろう

 

未来はひとえに俺たちの不徳のなすところなのに

息子は妙に寛大だ

既にその世界から俺が消え去っているからだろうか

聞いてみたい気がしないでもないけど

まあどっちでもいいや

 

「僕らは大丈夫だよ、運が良かったら月面移住の抽選に当たるかも知れないし」

息子はどっこらしょと腰に手をあてて立ち上がり

俺と握手をし妻の頬に外国人のような仕草で口づけをし

それから真夜中の闇を背に玄関で振りかえると

行って来まあすと五歳の声をあげた

 

四元康祐

世界中年会議」所収

2002

負債の証券化について

(日本経済新聞連載「経済教室」より③)

 

80年代に入って急速に普及した負債の証券化

所謂「セキュリタイゼイション」は

それまで閉ざされていた債権者⇔債務者の関係を

本来の負債とは無縁の投資家へと解放することにより

全く新しい巨大金融市場を創出した

斯くしてアルゼンチンの首都に群がる失業者たちの未来は

先進諸国の銀行団(syndicate)の手を離れ

シアトル郊外で美しい朝露を光らせる芝生の行方は

日本の個人投資家たちの見定めるところとなった

だが如何に幅広く分散しようと

本来の負債に内在するリスクが消失する訳ではない

国家財政に巨額の損失を与えたS&L危機の問題を持ち出すまでもなく

投資に際してはこの点に充分留意する必要があろう

たとえば路上にたたずむ娼婦の胸に故知らず湧き上がる厭な予感

その感覚は証券化により流通可能に標準化され

全世界の都市から農村へと忽ちにして伝播される

その波から逃れることは水牛の背に止まる小鳥にも不可能なので

オプションあるいはスワップ等のヘッジング取引を介して

速やかに青空へ飛び去ることが望ましい

 

四元康祐

笑うバグ」所収

1991

ボール 2

ゆきちゃんが

てんこうして

ゆきちゃんのすがたが

みえなくなったら

ますますゆきちゃんのことが

どんどんすきになって

ゆきちゃんは

てんこうしていったけど

ひょっとしたら

まだ ゆきちゃんは

いえにいるかもしれないと

おもったから

がっこうのかえりに

ぼくは

ゆきちゃんのいえにむかって

どんどんはしっていって

ゆきちゃんのおおきないえに

いきはーはーついたけど

ゆきちゃんのいえには

だれもいなくて

ひろいにわをのぞいたら

いぬごやのまえに

ぼくのたいせつな

まついのサインボールが

ころがっていた。

 

ねじめ正一

あーちゃん」所収

2006

ボール 1

ゆきちゃんのことが

こんなにすきなのに

ゆきちゃんは

てんこうしてきたばかりなのに

おとうさんのしごとで

ゆきちゃん

またてんこうしていくから

ぼくはげたばこのところで

ゆきちゃんを

どきどき まっていて

ぼくのいちばんたいせつな

まついのサインボールを

どきどき あげたら

ゆきちゃんは

ありがとうと

ランドセルのなかに

いれてくれた。

 

ねじめ正一

あーちゃん」所収

2006

Bei Hennef

 The little river twittering in the twilight,

The wan, wondering look of the pale sky,

             This is almost bliss.

 

And everything shut up and gone to sleep,

All the troubles and anxieties and pain

             Gone under the twilight.

 

Only the twilight now, and the soft “Sh!” of the river

             That will last forever.

 

And at last I know my love for you is here,

I can see it all, it is whole like the twilight,

It is large, so large, I could not see it before

Because of the little lights and flickers and interruptions,

             Troubles, anxieties, and pains.

 

             You are the call and I am the answer,

             You are the wish, and I the fulfillment,

             You are the night, and I the day.

                          What else—it is perfect enough,

                          It is perfectly complete,

                          You and I.

Strange, how we suffer in spite of this!

 

D. H. Lawrence

From “Love Poems and Others”

1913

 

ヘネフにて

 

小さな川が薄明の中、ささやいている

青白く、おぼろな空は素晴らしい眺めだ

何という無上の喜び

 

万物が静まり返り、眠ろうとしている

全ての苦悩、懊悩、痛みは

行ってしまったのだ。薄明の中へと。

 

今は薄明と、そして川の優しくささやく音だけがある

それは永遠に続くだろう

 

そしてついに、私はあなたへの愛を今ここに感じ取る

私はそれを全て掴み取ることが出来る、この目の前の薄明のように

それは大きい。大きすぎて、だから気づかなかったのだ。

光が少なすぎたのだ、それにちかちかと瞬き、邪魔が入ってしまう

苦悩、懊悩、そして痛み。

 

あなたは「呼ぶ声」そして私は「答える声」

あなたは「希望」そして私は「満たすもの」

あなたは「夜」そして私は「昼」

何と言うことだ。完璧ではないか。

そう正に完璧。

あなたとそして私。

何と奇妙なことだ!それなのに、私たちは傷ついている!

豆をひく男

手動のコーヒーミルで

がりがりとコーヒー豆をひくとき

男はいつも幸福になるのだった

それは男自身が

気がつかぬほどの微量の幸福であり

手ではらえばあとかたもなくなってしまう

こぼれたひきかすのようなものだったが

この感情をどう名づけてよいか

男自身にはわからなかった

長い年月

男は

自分が幸福であるとは

ついに一度もかんがえたことはなかったし

そもそも

不幸とか幸福という言葉は

じぶんがじぶんじしんに対して使う言葉ではなく

常に

他人が使う言葉であると

かんがえてきた

そしてこの朝のささやかな仕事が

自分に与えるささやかなものを

幸福などと呼んだことは一度もなかったし

ましてや

自分をささえる小さな力であることに

気付きようもなかった

 

コーヒーを飲んだあと

男は路上の仕事に出かけるのだ

看板を持ち

一日中、裏道の中央に立ち続ける仕事

看板の種類にはいろいろあって

大人のおもちゃ、極上新製品あり、このウラ

とか

CDショップ新規開店、一千枚大放出

などと書かれている

同じ場所・同じ位置に立ち続けること

それは簡単なようでいて難しい修行だった

生きている人間にはそれができない

彼らは始終、移動している

なぜ、一つの場所にとどまれないのか

なぜ、石のように在ることができないのか

男は板の棒を持って立っていると

いつも自分が棒に持たれているような気持ちになったものだ

「生きている棒」

そう自分につぶやくと

眼の奥が次第にどんよりとしてくるのだった

そんなとき、男はすでに

モノの一部に成り始めているのかもしれない

 

いつか勤務帰りの深夜

男は

駐車場の片隅で

黒い荷物が突然動き出したことに

驚いたことがあった

浮浪者の女だった

そのとき

一瞬でも、人をモノとして感じた自分に

はじめて衝撃を受けたのだったが

いまはその自分が

容赦もなく物自体になりかけている

しかし

きょう、始まりのとき

男はいまだ全体である

一日は

コーヒーを飲まなければ始まらないのだから

だから、こうして豆をひくことは

男の生の「栓」を開けることなのだった

男は

いつからかそんな風に感じている自分に少し驚く

豆をひき、コーヒーをつくる時間など、五分くらいのものだが

その五分が

自分にもたらす、ある働き

その五分に

自分が傾ける、ある激しさ

そして

この作業を

小さな儀式のように愛し

誰にもじゃまされたくないといつからか思った

もっとも、じゃまをする人間など、ひとりもいなかった

男はいつも一人だったのだ

 

がりがりと

最初は重かったてごたえが

やがてあるとき

不意に軽くなる

この軽さは

いつも突然もたらされる軽さである

 

 まるで死のように

 死のように

 

そのとき、ハンドルは

からからと

骨のように空疎な音をたてて空回りする

ようやく豆がひけたのだ

 

着手と過程と完成のある

この朝の仕事

きょうも重く始まった男のこころが

コーヒー豆をがりがりとひくとき

こなごなになり

なにかが終る

きょうが始まる

容赦のない日常がどっとなだれこむ

コーヒー豆はひけた

そして男は

「豆がひけた」と

口に出してつぶやく

 

小池昌代

雨男、山男、豆をひく男」所収

2001

深い青色についての箱崎

深い青色をした花ほど、箱崎一郎の心を捕らえるものはなかった

 

ある日のこと

駅前で友人を待っているときに

ふと目が近くの花壇にいったのだ

そこに偶然

小さな青い花が群生していた

自分の視線が

掃除機にかけられたようにそこへ吸い込まれ

箱崎はなにごとが起こったのかわからなかった

 

青は

箱崎の粘膜を突き破り

氾濫した川のように箱崎の内へ及ぶ

言葉という言葉はことごとく溺死した

深い沈黙ののちに釣り上げられたのは

小魚のような感嘆符だけだった

 

ああ、

なんと深い青、

と箱崎はおもった

 

声をあげて泣いてしまいたいほどの

するどい悲しみに襲われたのはそのときである

悲しむ理由などひとつもなかったし

こんな駅前で

突然泣くわけにはいかないと

箱崎はぐっとこらえたものの

自分がいま

生まれたばかりの赤ん坊になったような気持ちがした

 

この世に出てきて初めて見た青い花

 

それは一瞬の

衝動とも言える感情のうごきであり

パッションというものからほど遠い箱崎が

そのときほど自分におどろいたことはない

 

たかが色

たかが青色

 

しかし箱崎は取り乱していた

心臓が

しめつけられ

花のなかへすぐさま飛び込んでしまいたいと思った

それはまったく

花との恋愛、そのものだった

 

「箱崎、待たせたな」

そう言って肩をたたいた、あとからやってきた友人によれば

箱崎はそのとき

どことなくゆがんだ顔をしていて

青い花がどうのこうの言っていたらしい

それは実際のところ

物凄く頼りない

赤ん坊のようなふるまいであったということだ

 

後日談──

 

① その後の箱崎についてはなにも知らない。

② アジア人は、新生児のとき、尻付近に蒙古斑が現れる。水彩絵具を水で梳いたような、極めて薄い青のしるし。身体のうちに、我々は、そもそも、青を持っている。

 足の付け根のリンパ腺のところに、子供のころの私は、アーモンド型の蒙古斑を持っていた。風呂場では、自分のそれと、妹のそれとを見比べたものだ。かたちも色も、妹の蒙古斑は、自分のとは少し違っていた。いまでは、身体のどこにも、見あたらないが、いつ、どこでどんなふうに消えていってしまったのか。

 

③ ある日私は、庭の青い昼顔をねっしんにのぞきこみながら、ふと、自分が、人間のまたぐらをのぞきこんでいるような気がした。植物のいのちはスクリューのように回転しながら、見るもののいのちの深部に触れてくる。

 私もまた、箱崎のように、青い昼顔に夢中になった。この西洋昼顔は、芯にあたたかな黄色を持っている。そしてそのまわりには、あの悲しいほどの青色が幽玄とひろがり、じっと見ていると私もまた、昼顔のなかへ飛び込んでしまいたいと思いつめた。花のなかへの投身自殺、青への思慕、それは、昔から、たくさんの若者たちをして旅へと赴かせた感情の原形ではなかったか。

 

④ 男の子は青、女の子は桃色、学校では先生がそのように言う。振り分けられるっていやな気分。裁縫箱も、お習字の道具も、見渡せばみんながそんなふう。でも私はピンクが好きじゃない。そう思ったとたん、心が決まる。気がつけば、クラスの女の子のなかで、私の裁縫箱だけがブルーだった。

 青─おまえは女の子であった私の、いっとう始めのささやかな抵抗の色であり、自由というものの匂いを暗示した、誠に気高い色だった。

⑤ 私は箱崎ではないだろうか。箱崎は私ではないだろうか。私たちは青に恋をする人間。

 昨日出会った短歌を詠む少年は、玉の汗を鼻頭にかき、和泉式部について語った。

「物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞ見る」

しろめの部分が、薄く青みがかった少年だった。

 

小池昌代

雨男、山男、豆をひく男」所収

2001

蟲魔法

肉の煙がする、その中途で膨張する雨戸の霊

こんなにも絶望的な恋人の長い腕を見てる

蝶々の横っ面を思い切り殴ったお前の銀色の

    指から消えない手紙の一行目が見える

(もう戻れない)暗黒が横顔に住んでいる街

で、こう考える(イヤホンから流れる激痛)

テニスコートの左耳が切り刻む宇宙空間で

俺たちは透明になって瞑想している

椅子の上で逆立ちして叫ぶ十匹の魚、

あの瞼の切れ目は蛙だけが死にゆく世界の傷

口だってことを俺はいつからか忘れている

戦闘機が降る丘、

あの星とあの闇の間に潜む眠りの体液

細い道がいくつも連なる小石の嗄れ声の世界

致命傷を負った概念が集まるコンク

リートの内側、みんな動き出す(さて、)

自己と自己の間に曲がる獅子の宙返りを見た

ことがある奴はどれぐらい居るンだよ?

 

ポエジーの息がする

白く燻る俺の地獄の一角が泳いでいる、

お前の喘ぐその街の声だけに耳を傾け、

憎悪だけが鹿の周りを飛び跳ねてンだ

(いい気味だ)

そして写真は浮遊する

鳥を纏うビル街に乱立するお前の白い歯、

青い階段の真下で夕暮れに溶けていくのは

巨人が羅列した醜悪な数字だけだ、畜生

 

瞬きの合間に、爆発する花火の無声

赤と黄色の感情があるその両膝の上には、

昨夜俺が取り逃した猫の命が混じっている

(ああ、あんなに笑いやがる)

白いギターチューンが巻き付く、右腕に滴る

鷗の血に自転車の過去が見えた瞬間に、

包丁が高く高く飛んでいく

その時に巻き戻すことが出来る、

その空想には蟻が這っている

(俺から色素を取り除いてくれ

薄暗い泥に埋没した憧憬を踏み抜いてくれ)

いつだって後ろの正面には

見たこともない蒸気が柔らかく崩落している

ア、肩口に銀色の機関銃をねじ込まれる

気道から漏れ出す俺の哲学は、

白い羊皮紙となってナイル川のイメージの四

次元になる(そしてお前らはゐなくなる)

 

全て燃え落ちる屑鉄の無慈悲な白装束

カッターナイフは川に流れる直線の数々

に、なって、点と線、突き割る

聖人の耳に差し込んだ髑髏、

残月の匂いに巻かれた岬で自殺する雁の群れ

(詩人が殺されるのはこの後の国道13号線、

風流な濁点の行列)

ああ、もう段々に冷凍されていく空中庭園、

またはメトロノーム(消えそうな爪の痕

       火薬に滲むあの霧だ)

俺の虹色ならば悪い夢を見た直後に

烏にくれてやッたぞ 畜生

三分間が空中で硬直している

三歳児の群集が山を取り囲んで鳴っている

ロックンロールの鼻から吹き出す血まみれの

鉛筆の邪念が神の胃袋を食い破る

ああ(無垢な幻覚、その真下に)凪

狂った水牛の人類への侮蔑

脳天に突き刺さった屍の間に、

あらゆる比喩の刀が折れた音を聞いたならば

遠すぎる夜更けの、

白くなる空砲の隣に並んで、

君が見ていた景色の一部を持って帰ろう

 

落下していくあのビニール傘

あれらは全部俺が取り違えたものだ

青に染まる螺旋、その音楽が地平線

          に絡まったら、行こうか

(呪われない踏切まで

あと何センチメートルもない)

(呪われた乗客が隣にいるからだ)

(むしろ馨しい憎悪、

夥しい震えとなって接吻しよう!)

点線と点線が白濁するにはまだ早い

雲の切れ間に見える巨大な大群、朝は、

あそこの向こう側でせせら笑う死神の集合、

でしかない  哄笑する爬虫類の渦が見える

    走っていく生臭い激情の平原が見える

ははは、どうやら俺たちの前歯は、

悪魔の月光が映る赤煉瓦でしかなかった!

逆袈裟の稲妻が降る朝に就寝!

さらば小石、さらば地獄!

業火を侍らせる俺の天空!

念仏が気化する温度の中心で語れ!

 

気怠い光線、

 

しばらくの、魔笛

 

和合大地

現代詩手帖2015年8月号掲載

2015

波かぞえ

砂浜に坐って波を数えた

まぶしい光の子供たちがたくさん

海の上で手をつないで踊っている

真夏だった

 

シャラシャラシャラと寄せて返す波を

いくつもいくつも数えた

 

夜になっても数えつづけた

月が出て 星がたくさん出てきて

やがて日が昇った

 

二十万まで数えた時、月が欠けた

四十万まで数えた時、月が満ちた

 

三億を超えたところで眠くなった

目が覚めたら、何千年かが過ぎて

ぼくは石になっていた

そこは今は海の中で

波の音は聞こえない

光の子供はずっと上の方で踊っている

 

ぼくは今度は何も数えず

また眠った

 

池澤夏樹

この世界のぜんぶ」所収

2001