ぼくが
死んでからでも
十二時がきたら 十二
鳴るのかい
苦労するなあ
まあいいや
しっかり鳴って
おくれ
淵上毛錢
1950
ぼくが
死んでからでも
十二時がきたら 十二
鳴るのかい
苦労するなあ
まあいいや
しっかり鳴って
おくれ
淵上毛錢
1950
さびしさはいつともわかぬ山里に
尾花みだれて秋かぜぞふく
しづかにきたる秋風の
西の海より吹き起り
舞ひたちさわぐ白雲の
飛びて行くへも見ゆるかな
暮影高く秋は黄の
桐の梢の琴の音に
そのおとなひを聞くときは
風のきたると知られけり
ゆふべ西風吹き落ちて
あさ秋の葉の窓に入り
あさ秋風の吹きよせて
ゆふべの鶉巣に隠る
ふりさけ見れば青山も
色はもみぢに染めかへて
霜葉をかへす秋風の
空の明鏡にあらはれぬ
清しいかなや西風の
まづ秋の葉を吹けるとき
さびしいかなや秋風の
かのもみぢ葉にきたるとき
道を伝ふる婆羅門の
西に東に散るごとく
吹き漂蕩す秋風に
飄り行く木の葉かな
朝羽うちふる鷲鷹の
明闇天をゆくごとく
いたくも吹ける秋風の
羽に声あり力あり
見ればかしこし西風の
山の木の葉をはらふとき
悲しいかなや秋風の
秋の百葉を落すとき
人は利剣を振へども
げにかぞふればかぎりあり
舌は時世をのゝしるも
声はたちまち滅ぶめり
高くも烈し野も山も
息吹まどはす秋風よ
世をかれがれとなすまでは
吹きも休むべきけはひなし
あゝうらさびし天地の
壺の中なる秋の日や
落葉と共に飄る
風の行衛を誰か知る
島崎藤村
「若菜集」所収
1897
ある娘の胸の前に暗い道路がひとすじ延びている、
夕闇か、夜明け前かはわからない。
道路に娘は立っていてそれから歩きはじめる、
道路に沿って道路の上を歩きはじめる、
あたたかい格好だよく備えた格好だ。
地虫が一匹、道路の先で歌っている、
大きい、大きい、ありったけの声で、
ナスとパセリは仲がいい
トマトとニラは仲がいい
ニンニクとイチゴは仲がいい
春菊とレタスがチンゲンサイを蝶から守る
娘の耳に、ありったけの声がかすかに届く、
娘はふるさとを思い出す自家用畑を思い出す、
そうして娘は元気を出す、
森が生える。
道路の左右に森が生える、
道路の右に針葉樹の森がひろがり、
道路の左に広葉樹の森がひろがり、
一頭の馬、100年生きた黒い馬がブナの陰から
娘が娘のまま歩いて森を抜けるのを遠くに見届ける、
地虫はまだ同じ歌を歌っている、
娘はききとる、
むねにきざむ、
くちずさむ、
娘のブーツの右足が地虫のすぐ脇を踏む、
森の終わりぎわの道路っぱたに男がふたりしゃがんでいる、
あれは無頼気取りのだ、そうだおしゃれだが踊れない奴らだ。
あれには森の終わりが森の始まりにみえる、
だからあれは自動車を森の終わりに乗りつけて平気でいて、
吸いなれない煙草を競って吸っていて、娘が通るのを
待っていて、
そこへ速度をもった電灯がふたつ向かってくる、
子どもの乗った自転車だ兄の乗った自転車だ。
あれはふたりでひとつになって驚いて跳びすさって、
自分の腰が曲がっていることに
まだ、気がつかないでいる。
娘はもう森からずいぶん離れた場所まで歩いてきたのだ。
道路はいつまでたっても二手には分かれない、
娘は疲れて、明るく灯るカフェにはいる。
するとカフェは同じ顔した娘でいっぱいで、ほとんど満席で
ある娘は痩せある娘は肥り、
ある娘は妊娠しておりある娘は年取っており、
ある娘はもっと小さい娘を連れていて、
道路は黙って待っていて退屈しのぎにカフェの灯りを見ていて、
カフェの窓のほうは道路には目もくれずに、道路ぎわに生えたカツラの、
図ったような黄色と緑の散らばり具合を撮っていて、そのあいだに
一頭の馬、1000年生きた黒い馬がカフェの窓から漏れる灯りのなかを走り抜けてゆき、
日が昇る。
道路がカフェに目を戻すと灯りは消えていて、
誰もいない誰もいない冷たい朝になっていて、
娘がひとり、扉をあける──
娘の胸の前に明るい道路が水平に延びている、
道路と水平に両手をいっぱいに娘は伸ばす、
朝の光を全部吸い込むために。
娘の左手の道路の先から
娘の右手の道路の先へ
速度をもった塊がふたつ、娘の胸の前を横切ってゆく、
子どもの乗った自転車だ兄の乗った自転車だ。
両目を見開いて、娘はふたつの速度を見送る、
乗ったことのない速度を見送る。
娘の準備は整っている、
あたたかい格好だよく備えた格好だ。
なすとぱせりはなかがいい
とまととにらはなかがいい
にんにくといちごはなかがいい
しゅんぎくとれたすがちんげんさいをちょうからまもる
自分の賛美歌を娘は歌いながら
道路を渡る、
そこへ
めきめきと森が生える。
大崎清夏
「指差すことができない」所収
2014
かつて、熱心に風の名を集めた人があった。その人によると、『万葉集』の末二巻のなかでは「アユノカゼ」に「東風」の二字を当てているという。そして、風が陸地に打ち上げるものを、人々は寄物と呼んだ。
海からのくさぐさの好ましいものを、日本人に送ってよこした風の名が「アユ」であった。
東風がどのような宝物を吹き寄せたのか、浜辺に立つ私たちには、もはや知るよしもない。
けれども、私もまた、集めようと思う。風の名を。
城戸朱理
「漂流物」所収
2012
それらは、自らが何かであることを洗い流されて、逆に、これから何かでありうるような薄明の領域に打ち上げられたのだろうか。
そのようにも見える。そして、物言わぬ物たちは、その背中に海の響きを潜ませているようにも。
カーゴカルトと呼ばれる原始的な信仰の形態を思い出してもらいたい。たとえば、未開の種族の居住地に飛行機が墜落する。すると、彼らは天から降ってきたその機械を、神からの贈り物と思い込み、機体と積荷は信仰の対象となる。
そんな激しい価値の転倒が、浜辺では、いつも起こりつつある。ときに膝を付き、ときには頭を垂れるような姿勢になるのは、そこが地の果てであって、この世の外に限りなく近いところのように思われるからではないのか。波と戯れる人々も、また、半裸の姿で、自分が誰かであることを、なかば風に攫われつつあるように見える。
潮風が、髪に躰に、微細な海のかけらを積もらせていく。波は、あまりにも無造作に寄せては返し、その無造作ゆえに、時の鼓動となる。そんな波を、以前、思いがけないところで目にして、驚きに打たれたことがあった。映画館のスクリーンで。あれは「カルメンという名の女」という映画だったろうか。珍しくもない、眺め、そして、鼓動。
そのとき、生物の心臓も別の時を刻み始める。
漂流物。すでに何かであることを終え、その名を失ったもの。それでも、再び、誰かが彼らに名前を与えることはできる。そして、そのときまで、彼らは未生の状態でまどろんでいる。
城戸朱理
「漂流物」所収
2012
ぱあではないかとぼくのことを
こともあろうに精神科の
著名なある医学博士が言ったとか
たった一篇ぐらいの詩をつくるのに
一〇〇枚二〇〇枚だのと
原稿用紙を屑にして積み重ねる詩人なのでは
ぱあではないかと言ったとか
ある日ある所でその博士に
はじめてぼくがお目にかかったところ
お名前はかねがね
存じ上げていましたとかで
このごろどうです
詩はいかがですかと来たのだ
いかにもとぼけたことを言うもので
ぱあにしてはどこか
正気にでも見える詩人なのか
お目にかかったついでにひとつ
博士の診断を受けてみるかと
ぼくはおもわぬのでもなかったのだが
お邪魔しましたと腰をあげたのだ
山之口貘
「山之口貘全集」所収
1963