Category archives: Chronology

旅情

ふと覚めた枕もとに
秋が来ていた。

遠くから来た、という
去年からか、ときく
もつと前だ、と答える。

おととしか、ときく
いやもっと遠い、という。

では去年私のところにきた秋は何なのか
ときく。
あの秋は別の秋だ、
去年の秋はもうずっと先の方へ行つている
という。

先の方というと未来か、ときく、
いや違う、
未来とはこれからくるものを指すのだろう?
ときかれる。
返事にこまる。

では過去の方へ行ったのか、ときく。
過去へは戻れない、
そのことはお前と同じだ、という。


がきていた。
遠くからきた、という。
遠くへ行こう、という。

石垣りん
表札など」所収
1968

隣りの死にそうな老人

隣りに死にそうな老人がゐる

どうにも私は
その老人が気になつてたまらない
力のない足音をさせたり
こそこそ戸をあけて這入つていつて
そのまま音が消えてしまつたりする
逢ふまいと思つてゐるのに不思議によく出あふ
そして
うつかりすると私の家に這入つてきそうになる

尾形亀之助
色ガラスの街」所収
1925

未婚の妹

昨日
ペルシャが死んだ
そういった季節が近づいていると私には分かっていたが、ペルシャは気丈に振る舞っていた。ある日、天鵞絨の鱗が点々と落ちているのをみつけ追いかけてみると、大きな珊瑚礁の裏で、小指だけ腐らせて死んでいた。

焼けた骨の前でたくさんの女たちが列をつくり誰かの対岸であり続けた。砂浜のように広がった骨に無数の鱗が混ざっている。前に並んでいた、背の低い女はそれを一枚つまみあげ、舌で粉をぬぐうと、蛍光灯に透かしてみせた。
「彼の瞳の色と全く同じね」
「はあ」
「私、ペルシャの鱗がずっと欲しかったの。他人の鱗って、なかなか拾えるものじゃないでしょ。自分の鱗なんかはシャワー浴びると排水口にいやというほど溜まってくるけど。でもそれって、彼の瞳が欲しいだけだったのかもしれない」
女は、長い爪をジェルで磨きあげていた。
「あなたが一番はじめにペルシャの死体を見つけたんでしょ」
「そうです」
「私だったら、目玉をひとつ、持って帰る。いや、色のついたところだけ少し削って、あとはそのままにしておく。誰にも気づかれないように」
「目玉以外は、いらないんですか」
「うん。だって私、ペルシャの目玉が炎の熱でぞんざいに燃えてゆくことを思うとどきどきして嬉しくなる。瞳が好きだからって、ペルシャの全部を好きになる必要なんてないじゃない」
女たちは泣くこともなく
淡々と作業を進めていった
やがて、私の番になった
はしで小さな骨をつかみ、
妹がまたそれをつかむ
ペルシャの骨を運ぶ妹のことを
細い糸で絡め取るように女たちは眺めた
それをはねのけるように妹は、
「私がペルシャのかわりをしなきゃいけないってことでしょ」
と言う
大きい骨を納め終わると
どこからかぬるい女がやってきて
ホームセンターで売っているような
灰色のちりとりで粉まで壷に収めた
(シーシーシー)
(鱗が骨にぶつかる音)

妹はすべてわかっていたようだった
妹は私より二週間も遅く生まれたが、気がつけばペルシャの次に身体が大きかった。
それでも私は、妹は、ずっと、妹であるものと思い込んでいた。
「お姉ちゃん、不安なの」
「いや」
「わかるよ。ペルシャって、みんなからばかにされていたものね。みんなペルシャのこと、大好きだったのに。でも大好きだったからばかにするんだよ、怖いし悲しいから」
「おまえはばかにされないよ」
「いや。お姉ちゃんは私のこと、怖くなるんだわ」
妹は妙に疑り深いところがあった
そのくせすぐあきらめたような
哀しい受容のしかたをする
「ペルシャにね、一度だけ家に招待されたことがある。そこで、いろいろ話したの。今の身体になる前の話とか。帰り際、指で剥きたてのざくろをねじこまれた。唇がつぶれて、赤く腫れたよ。その時から、もうずっと、今日のことばっかり考えてた」
「知らなかった」
そう答えると
何かを思い出そうとして唇に触れた
「私たちのパパも、昔は女だったんだわ」

妹は私のとなりで初潮をむかえた
その訪れさえも
妹は知っているように思えた
「赤いかな」
「わからない、暗いから」
「ああ。朝が来るのがこわくなった」
妹の鱗が息するように蠢いた
「私、青い血が流れている生き物をしっている。みんな子どもを残さないの、闇から生まれて、闇に還るから。私もそうだったらいいのにってずっと願ってた。青いといいな」
妹は水浴びをしに布団を抜け出す
シーツを洗ってやる
(しかし
私のからだの
まっくらなところを流れているその血は
果たして
赤い色をしているのだろうか)

家に帰ると、妹は荷物の整理をはじめた
「無くなっちゃうんだね」
「何が」
「子宮とか」
「・・・・そうだね」
「とっておくことってできないかな」
「腹を切るってこと」
「そうじゃなくて」
もどかしそうな顔をする
「ペルシャはすっかり、子宮のことなんて忘れてしまっていた。だってペルシャが働かなければ私たちは殖えてゆかないから。でも私、きっと男になっても忘れないわ。なにもかも、全部忘れない。悲しいことも全部。それにペルシャの子宮、焼け残ってた。残ってたの」
「そう」
妹は葬式の後に何を言うか
ずっと前から考えていたのだろう
「私が燃えるまで、あなた死んだらだめだからね。見てよ、確かめて」
(だからそれまでお姉ちゃんの子宮二人で大事にしよう。私はずっとあなたの妹でいたいだけだから)

久しぶりに布団を並べて二人で寝た
妹は私の布団にもぐりこむと
私の腹に両腕をまわし
ぴったりと背中に額をつけて言った
「お姉ちゃん約束して」
「なに」
「朝が来るまで、振り向いちゃだめよ」
「うん」
「でもずっとそこにはいて」
「わかった」
ペルシャのこどもはペルシャの鱗の数よりも多く今も街中にあふれてゆき、私はどんどん小さくなる、瞼をおろせば私は橋の上に立っている、妹の名前を呼ぶ、私は妹がざくろを食べたことを知っていたような気がした。夢で見たのだ、その時は私が食べさせた、鶴が、琴を持った男が、思い出が、妹の子宮が、河を流れてゆく

私のとなりで
女がうまれて女が死んで
男がしんで男が産まれて
妹がうまれて妹が死んで
弟がしんで弟が産まれて
私がうまれて
私だけがうまれ続けて

水沢なお
現代詩手帖2016年1月号初出
2016

秋夜

とんぼをつかまえ、蝉をとって帰るたび
母は眉をひそめて言った
「可哀想だから放しておやり」母はわたしがとんぼや蝉をとるのを嫌がった

若くて死ぬ人はこころが弱いか
こころが弱いからこの世をながく
生きぬくことができなかったか
二十七歳で母は死んだ

母が死んでからわたしはとんぼや蝉をとらなくなった
小さな虫たちの生命を大切にするようになった
幼い頭に母の言葉が沁みこんでいたのだろう
そして内気な寂しい子にもなった

秋の夜 ひとり机に向っていると
燈火を慕ってさまざまな虫がはいってくる
かるい羽音をたてて燈火をめぐり机に落ちる
わたしは捕えてはひとつひとつ窓から放してやる

大木実
「月夜の町」所収
1966

猿の日

 私たちの「猿の日」は、二年に一度、やって来る。慣れて見れば、深く詮索するほどのことをする日ではない。ただ、永く、何代となく続いてきた行事があるのだ。
 その日、私たちの娘という娘は、どの家でも、全裸になって、一日、そのための黒く塗られた袋に入って過ごす。どの家の娘も例外はないのだ。
 その小さな闇のなかで、一切の物音をたてず、一日、出て来てはいけないのである。もちろん、そのことに反抗する初めての娘がいる。だが、泣き叫ぶ彼女も、手足を縛られ、やがて、袋に入ることになる。
 それだけのことだ。ただ、彼女たちが、袋に入るときに、必ず、それぞれ、一輪ずつ水仙の花を持っているのを、誰かが見届けて、袋の口を結わえるのである。
 何故、それが、水仙の花でなければならぬのか。何故、黒く塗られた袋でなければならないのか。何故、病気の娘まで、全裸にならねばならないのか。
 多くの古い風習に似て、「猿の日」のことについては分からないことばかりだ。大体、猿の日が、どうして、猿の日なのか、何が猿なのか、知る者はいないのだ。
 この日を、人々は、普通の日と、全く、変わりなく仕事をして過ごす。ただ、彼らはきわめて無口である。その日が、猿の日であることを、一切、口にしない。もっとも、他の日でも、誰もが、猿の日のことは、絶対に、言葉にしてはならないのである。
 あるいは、それが、私たちの猿の日の、最も大事なことかも知れない。そのために、信じられぬほど、永い年月、それは、続けられて来たのかも知れない。
 数えきれぬ娘たちを、小さな深い闇に閉じこめて。
 ──夕暮れになると、彼女たちは、袋から出され、今度は、美しく粧って、遠い湖に向かう。いかなる呪縛によるのか。その夜、湖のほとりでは、夜明けまで、沢山の灯が揺れて、泣くような男女の歓びの声が、そこかしこで聴かれるのである。

粕谷栄市
「悪霊」所収
1989

乳の流れる歌

「雌ラクダをなだめる習慣」、ユネスコ無形文化遺産に登録
11月30日~12月4日にかけて、ナミビアのウィントフックでユネスコ無形文化遺産保護条約第10回政府間委員会会議が行われた。会議でモンゴルの「雌ラクダをなだめる習慣」が賛成され、緊急に保護する必要がある無形文化遺産に登録された。「雌ラクダをなだめる習慣」とは。子ラクダを拒絶した雌ラクダは、草も食べず水も飲まなくなって、毛並みも悪くなり、群れから離れて一頭で遠くを見て、時々ふり返っては鳴くようになる。そんな時、遊牧民はラクダの母子の心を通わせるための知恵を働かせ、雌ラクダを子ラクダに慣らすため叙情歌を歌うのである。リンベ(横笛)やモリンホール(馬頭琴)の伴奏で特別な歌を歌うと、母子が感動し心を通わせるようになる。この歌の内容は、栄養たっぷりの乳を飲むために生まれてきた可愛い子ラクダを、どうして拒絶するのか。朝起きると唇をぴくぴくさせて待っている。どうか濃い乳を飲ませてやって「フース、フース、フース」、「フース、フース、フース」などと、3、4番まで歌うと、雌ラクダの目から涙がこぼれて子ラクダに乳をやるようになるのである。(FBモンゴル通信より)

「どうか濃い乳を飲ませてやって」「フース、フース、フース」と
3、4番まで歌うと

母ラクダの目から涙がこぼれ、子ラクダに乳をやるのである

育児放棄したラクダの母と子に
こころ通わせるために、歌われる叙情歌

ホー、ソーソー、ソーソーソー(わたしにはそのように聞こえる)
だがしかし・・・

はじめて
乳が出るときのズキンとした痛みをわたしの胸は
覚えている

あのラクダの母親の涙は
母と子のこころが通った、涙ではない。

あれは自分のからだの中の血が、乳に変わるときの
痛みに、こぼれた涙だ。

閉ざされた自分が
開こうとする自分の未知の力に、敗れたときに疾る・・・痛み
それは、

ちのみごがいて
ちのははがいる

ホー、ソー、ソー、ソーソーソー、
見よ。
わたしたちのからだもまた
血が流れる、
戦場なのだ。

怒りがあり、憎しみがあり
決壊を待つ、沸騰がある。
ちのみごがいて
ちのははがいる

ホー、ソー、ソー、ソーソーソー、
血を流すのではない
わたしを敵に明け渡すのではなく
わたしをわたしに明け渡す
つぎの命を育てる
乳を流す

赤い血が、赤味を漉して、白い乳に変容したときの
身の内にも戦いがある

血と血の、戦いを戦うな
血を流す人と人の、血を流す国と国の
こころ通わせるために、歌も言葉もあるのだと

ホー、ソー、ソー、ソーソーソー、
傷口から噴き出す
怒りの血を
傷口にあてがわれた唇に
ホー、ソー、ソー、ソーソーソー、
注いで憎しみを育てるわけにはいかないと
血はみずからに敗れて
血を乳に変えるために。

血は泣くのだ、赤いまま流れることをこらえて
父母が流した血と
赤い同じ血を、血は流れたくて

血は泣くのだ、まだ終わっていない、怒りを
まだ終わっていない、悲しみを

血は泣くのだ
こどものように、痛くてなくのだ
母になる前に

ちは
なみだをこぼして
ちちになる

険しい峠をこえるように
じぶんの赤さをこえて
母になるために

ゆるせないものを
ゆるすために

ちを
いのちにかえるために

血はいちど
あまりのいたみに
その目に
涙をこぼすのだ

白い
乳になるまえに

しを
いのちにかえるために

血の流れる歌から
乳の流れる歌になるために

ホー、ソー、ソー、ソーソーソー
ホー、ソー、ソー、ソーソーソー

宮尾節子
晴れときどき」宮尾節子ブログより転載
2016

なんにもなかつた畳のうへに
いろんな物があらはれた
まるでこの世のいろんな姿の文字どもが
声をかぎりに詩を呼び廻はつて
白紙のうへにあらはれて来たやうに
血の出るやうな声を張りあげては
結婚生活を呼び呼びして
をつとになつた僕があらはれた
女房になつた女があらはれた
桐の箪笥があらはれた
薬罐と
火鉢と
鏡台があらはれた
お鍋や
食器が
あらはれた

山之口貘
山之口貘詩集」所収
1940

そのふくふくとしてやらかいもの。

子どもはふくふくとやらかいものをくばるので
ママはわたしをとしょうりのところに連れて行く。

子どもはてぇげぇはんけなので
ぼけたみかんを大わらいして
二つたべて、三つたべて、四つめを半分こしてたべられる。
子どもはこたつの角にさす西日を
きれいと思い、
たいくつを転がして
しかし笑いながら、
指先でその影をなぞってあそぶことができる。

子どもはしわしわの千円札の、
価値がわからなくても、意味を見ることができる。

今日会ったとしょうりが近いうちまるぶのは、
とてもよくあるおはなしなので、わたしは名前をおぼえたりしない。
ママはわたしを色んなとしょうりのところへ連れて行くので、
初めて会うとしょうりに、ぼうくなって、と言われると
その人が知ってるわらいがおになれる気がする。
最後にわたしに会えてうれぇしかったろうあの人は、とママがゆうので
わたしはママの、ありがとうねぇ、ということばだけおぼえて
その人がまるぼことはわすれる。

ふくふくとやらかいものを置いて帰る道で
ママは、としょうりは子どもを見るとうれぇしけだら、とゆうので
ふくふくとやらかいとはわたしのうれしけことと知る。

ママは少し小さくなったので
わたしは左右にゆれながらちぃと大またに歩いて
だからふだんもまっすぐに歩かない。
わたしはママのもってる千円札も
きっとしわしわなんだろうとおもっている。

しかしてぇげぇとしょうりは先にまるばぁんて
時々おもう。ふりかえったら
だれもいない。しかし
だれもいないところから来て、
だれもいないところにわたしは帰ってしまうから
だれもいないのは始めからかと
おもい出して、ママとふたり
左右にゆれて、歩いて帰る。

右手にさっき半分にわったみかんを持っている。
西日のときの影は、長くてあたまはねぇこくて
わたしは影の、あたまの先を
手をのばしてなでてみる。

そのふくふくとしてやらかいもの。

清水あすか
「頭を残して放られる」所収
2006

長い髪によごれたリボンを結んであそぶ彼の女

長い髪によごれたリボンを結んであそんだ彼の女は
夜になると部屋にくらく座つたまゝ動かない
疲れた心臓の尖端をヂヨキヂヨキ鋏で切りはぢめる
─────ウドンを買つて来て食べやう
─────また心をはさみ切つてはいけない

昨日はアルコールにふくれた蛙が死んだよ
今日は偽瞞にみちた小さな脳髄の蛙が死んだよ
どつちもざまの悪い骸骨となつた
何もない胃をがりがり食ひ破る鼠も死んだ
─────絶淵には
   白いペンギン鳥が糞だらけになつて死んでゐる

飢餓は歯をくろくよごしてゐる
私は葱を嚙んで晩飯にしても寝られる
煙突のやうに無愛想につゝ立つたまゝでも平気だ
私はすでに私のためには苦しまないが
ヂヨキ ヂヨキ ヂヨキ…………………………
そんな顔をしないで
疲労の頂点できりきりまはつてゐる心臓をねむらせろ
─────ウドンを買つて来て食べやう
─────夏ミカンを買つて来て食べやう

萩原恭次郎
死刑宣告」所収
1925

夏の一日

眺めのいい喫茶店で本を読んでいたら
後ろからクリームあんみつって聞こえてきた
タバコを取りだし文庫をテーブルの上におく
アイスコーヒーは氷がとけてきて二つの層になっている
濃い色の時間の経過と透明なほうの時間の積み重ねと
葉っぱをくわえて白線の横断歩道を移動するオランウータン
歩行する杖がコツッコツッ 突けば魚にも化け獣にも変身する
夏の帽子はちくちくする草で編まれていて
水に浮かぶ これから飲む水の音とにおいと
店内の壁や棚はウロコで埋めつくされていた
クリームあんみつのテーブルにお待たせしましたと男がやってきて
大きな声でしゃべりませんので
聞こえなかったらいってくださいといった
とぎれとぎれの消失がおとずれる聞こえなかったらしい
浮遊する耳の溝の痕跡を徘徊する
時計の針がひっかかったまま
聞こえなかったらしい語尾から辿る ウロコの重なり
唇を通して出てくるのは
可愛さまさる猿を演じる顎のそばのよだれ
夏の夕暮れ
自転車にのった

駅の北口から南口は砂丘になっている
前を走る一輪車の体が揺れて笑い声がたちのぼる
追って笑う まねして笑う 顔を汗が滝のようにながれ落ちる
笑うから風紋ができて 足はのめって膝をおっていっぺんで腹這いになった
頂上でつぎつぎ消えていく人の体は
死に投げだされ帰ってくる下りの砂を
ステテコ姿のおじいさんが向こうからやってきて
手をあげなさい そうじゃないと行ってしまうからここらのバスは
笑いながらバスに乗っておじいさんに手をふった
眺めのいい分かちがたい白日のもとにまた
腕が折れるほど 礼を言いたかった
汗はここでも落ちる恥ずかしいほどに落ちて
自分の住所を書いているメモ用紙にも落ちた
醤油屋の店主は すまなそうに なにも飲むものがなくてといった
醤油が並んでいる ぽん酢も並んでいる
利き酒日本一になったときの記念の巨大なガラスの器
酒飲むか 酒飲むからうまい酒おしえろ
駅前の足湯で両足をぶらつかせ
展望風呂まで突っ走った
きのう飲んだ酒は強力
きょう飲む酒は李白
見えない音の梢
顔近く ぎゃっと
木の皮に噛みつく

筏丸けいこ
現代詩手帖2012年6月号初出
2012