Category archives: Chronology

落葉松

からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。

からまつの林を出でて、
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。

からまつの林の奥も、
わが通る道はありけり。
霧雨のかかる道なり。
山風のかよふ道なり。

からまつの林の道は、
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。

からまつの林を過ぎて、
ゆゑしらず歩みひそめつ。
からまつはさびしかりけり、
からまつとささやきにけり。

からまつの林を出でて、
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
からまつのまたそのうへに。

からまつの林の雨は、
さびしけどいよよしづけし。
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡るるのみなる。

世の中よ、あはれなりけり。
常なけどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。

北原白秋
水墨集」所収
1923

古い機織部屋

ふりむくとき
古い機織部屋が見える。
 (あれは、おかあさんの機織部屋)

ふりむくとき
機を織る音がきこえる。
 (あの部屋で、おかあさんが機を織っていた)

ふりむくとき
古い大きな屋敷が見える。畑が見える。山が見える。
 (あれは おかあさんの 生れた家 生れた村。)

ふりむくとき
鐘の音がきこえる。
 (あれは 三十年前の夕暮れ 時は連続し このように不連続)

ふりむくとき
海辺の山が見える。
 (あそこには おかあさんの墓がある。)

ふりむくとき
波の音がきこえる。
 (あそこで おかあさんと貝がらを ひろった)
 
ふりむくな、ふりむくな
無量の愛をうちにしたときに、別れを告げよう。
 (わたしたちは前へ すすまなければ ならないから)

大江満雄
「機械の呼吸」所収
1955

鴉猫

あら あの方がいない
村長さんの娘がいった
忘れていたからだわ
ふたりで肩をすぼめあった
暗い片隅に ギラギラ光るものが二つある
注意してみると
そこに鴉猫が一匹いて
いまにも襲いかかろうとしてみがまえている
あのかたよ
村長さんの娘が叫んだ

小松郁子
「鴉猫」所収
1979

お団子のうた ─母とは何故こうもあわれが残るものなのか─

病弱な小さい娘が育つように と
後家になりたての若い女は
笠森稲荷へ生涯のお団子を断った

神仏を信じるには
神仏にそむかれすぎた母が
その故に迷信を一切きらった母が
「断ちもの」をしたということに
娘はいつも重い愛情の負い目を感じてきた
串がなくとも丸いアンコの菓子に
「××団子」とうたってあれば
老いても女はかたくなにそれを拒んだ
「約束は守るためにするもの」
せっぱつまった愚かな母の愛を
賢い人間の信条が芋刺しにして
女の幸うすい一生は閉じられた

毎月十七日
娘は母の命日に必らずお団子を供えるのだ
 義理固かったお母さん
 あなたはいろいろな約束を守りすぎて
 身動きの出来ない人生を送りましたね
 でも もう みんなおしまい
 あなたを苦しめぬいた人間の約束事は
 人間でなくなったあなたには無用のもの
 さあ 一生涯分お団子を食べて!

明治の女の律気なあわれさ
娘は片はしからお団子をほほばっては
親のカタキ 親のカタキ と
とめどのない涙をながしつづけた

山下千江
「山下千江詩集」所収
1967

西武園所感 ─ ある日ぼくは多摩湖の遊園地に行った

詩は十月の午後
詩は一本の草 一つの石
みみっちく淋しい日本の資本主義
ぼくらに倒すべきグラン・ブルジョアがないものか
そうだとも ぼくらが戦うべきものは 独占である
生産手段の独占 私有生産手段である
独占には大も小もない すでに
西武は独占されているのだ

君がもし
詩を書きたいなら ペンキ塗りの西武園をたたきつぶしてから
書きたまえ

詩で 家を建てようと思うな 子供に玩具を買ってやろうと
思うな 血統書づきのライカ犬を飼おうと思うな 諸国の人心にやすらぎをあたえようと思うな 詩で人間造りができると思うな

詩で 独占と戦おうと思うな
詩が防衛の手段であると思うな
詩が攻撃の武器であると思うな
なぜなら
詩は万人の私有
詩は万人の血と汗のもの 個人の血のリズム
万人が個人の労働で実現しようとしているもの
詩は十月の午後
詩は一本の草 一つの石
詩は家
詩は子供の玩具
詩は 表現を変えるなら 人間の魂 名づけがたい物質
必敗の歴史なのだ

いかなる条件
いかなる時と場合といえども
詩は手段とはならぬ
君 間違えるな

田村隆一
「言葉のない世界」所収
1962

晩夏

停車場のプラットホームに
南瓜の蔓が葡いのぼる
閉ざれた花の扉のすきまから
てんとう虫が外を見ている
軽便車が来た
誰も乗らない
誰も下りない
柵のそばの黍の葉つぱに
若い切符きりがちょっと鋏を入れる

木下夕爾
「定本 木下夕爾詩集」所収
1966

愛人

うせもの
おおし。
まちびと
きたらず。
待人来る。待人来らず。来る。来らず。楠の大木の深い葉の繁みごしに見える交差点の信号燈。きみは赤から青へと変わるその冴えざえとした輝きがうつくしいとおもう。待人来らず。空の高みに浮かんでいるような私鉄の駅のプラットフォームへのぼってゆく見知らぬ人の白い後ろ姿。それがぼうっと闇にまぎれてゆく熱暑の夕暮がうつくしいとおもう。それとも早朝。あたらしい陽光を照りかえしているかなたの建物の小さな窓が不意にひらく瞬間に立ち会うことの驚きもまたうつくしいとおもう。だがそれらはすべて遠いものでありきみはだれからも愛されない。
かぜの
たより。
なれの
はて。
孤雨におびきだされてきょうもバス停にたつ暗いしずかな心はふきすぎる湿った風にほとびていって。桜にもくるい紅葉にもくるうきみのおびえやすい官能の皮膚。その虚妄の情熱。
ふう
とう。
みず
もれ。
いち
ねん・・・・・
けれども虚妄でない情熱がどこにあるだろう。たえず無色でいたい。あらいおとされる寸前のどんな色にもすかさず染まるために。くるう。くるう。うつくしさとの交信。色の待機。うつむき。うとんじられるだけの廃貨の数々だ。バスは来ない。くるる。くるる。自動車の騒音をつらぬいてふしぎな鳥の声がかすかに伝わってくる。すぎていったあのやさしいやわらかい歳月がいとおしかった。手も足もいつも濡れていた。もうなにもわからず。待人は来らず。かぞえている。せんひゃくいち。せんひゃくに。せんひゃくさん。・・・・・「おおうるわしの、羽、羽よ、七色の、十七色の・・・・」停留所。終りのない愛のための。だれのものでもなく冷気のなかをただよう予感。ただ予感のみ。それがきみの孤独をわたしのところまで送りとどけてくれるかもしれぬ。鎮まれ。鎮まれ。まだバスは来ない。行先はどこだったか。あめもよい。
ふれば
どしゃぶり。

松浦寿輝
冬の本」所収
1987

言葉

わたくしは ときどき言葉をさがす、
失くした品物を さがすときのように。
わたくしの頭の中の戸棚は混雑し
積まれた書物の山はくずされる。
それでも 言葉はみつからない。
すばらしい言葉、あの言葉。
人に聞かせたとき なるほどと思わせ、
自分も満足して にっこり笑えるような、
熟して落ちそうになる言葉、
秋の果実そのままの 味のよい
のどを うるおして行くような あの言葉。
美しい日本の言葉の ひとつびとつ
その美しい言葉をつかまえるために
わたくしは じっと 空を見つめる。
それなのに、その言葉は 遠くわたくしから
遠くわたくしから 去ってしまう。
秋の夕空に消えて行く
あの渡り鳥の影に似た言葉よ。
どうして つかまえなかったかと後悔する。
だが、遠い渡り鳥の影を誰が捕まえられよう。
わたくしは心を残して自分の心の窓を閉める。

やわらかな言葉、やさしい言葉。
荒さんだ人の心を柔らげるハーモニイ。
しゃべりすぎた自分を控えさせるモデラート。
そっとしておいて下さいと願う人にはピアニシモ。
そのときどきの そんな言葉はないものだろうか。
見うしなった影を追い求めるように
わたくしは じっと 空を見つめる。

笹沢美明
1984

黒い肖像

絶望

火酒



あるひは



のなか









距離

孤独




に濡れ

梯子
の形
に腐つてゆく

その



脆い
円錐

孤独

部分  

北園克衛
「黒い火」所収
1951

青い夜道

いっぱいの星だ
くらい夜道は
星空の中へでも入りそうだ
とおい村は
青いあられ酒を あびている

ぼむ ぼうむ ぼむ

町で修繕した時計を
風呂敷包みに背負った少年がゆく

ぼむ ぼむ ぼうむ ぼむ・・・

少年は生き物を背負っているようにさびしい

ぼむ ぼむ ぼむ ぼうむ・・・

ねむくなった星が
水気を孕んで下りてくる
あんまり星が たくさんなので
白い 穀倉のある村への路を迷いそうだ

田中冬二
「青い夜道」所収
1929