こんなに
ちいさく なった
おふろばの
せっけん
うちじゅうの
みんなの こころに
やさしく
ちりしいて
1まいだけ
のこった
バラの
はなびらのようだ
まどみちお
「くまさん」所収
1989
リスを見たことを
得意になって言うではないか
枝から枝へ渡ったリスを見ただけで
その手は新らしい棒をにぎり
その目はおさな児のように燃え
その口はまだ聞かなかった声をあげ
烈しく息さえ切らして迫ったではないか
だがそれでもなお
リスはつかまらなかったろう
リスは薄日のさす木の枝から次の木の枝へ
隠れては現われして捕え難い思惟のように
姿を消してしまったろう
だから言っておく
私には分るのだ
リスは極く小さないきものなのだ
リスを追うのに
棒などをふりまわすものではない
徒党をくんで追うものではない
リスは夜不思議な星がまたたく時刻に
素手でとらえるものなのだ
争いや疲れを癒した夜のてのひらに
やわらかくいだくものなのだ
いだいたならまた未知の明日のなかへ
さようならと離してやるものなのだ
あのリスの目と
ふさふさした尾のなかに
隠し絵のような世界があるのだ
村上昭夫
「動物哀歌」所収
1968
私の所有は
ガラクタばっかりなんだが。
居場所は世間の端っこなんだが。
他人さまの眼からすれば
悪知恵だって
それなりにある。ということであるだろう。
巣箱ほどではあるけれども
あいつの住家
雨漏りにはまだ年月が足らぬ。ということであるだろう。
知人、友人が先立つのに
まんまと生き延びて
老年なんぞ抱えこんでる。ということであるだろう。
孫の二、三人はあるようで
昔話なんぞ反芻して
いい気になって呆けてる。というふうであるだろう。
女友だちも何人かいて
喫茶店あたりで
デイトしてる。といった噂だってあるだろう。
戦争はごめんだ
絶対権力はごめんだなどと
ぶつくさ言ってる弱虫めが。ということであるだろう。
白髪。
残り歯。
白内障。
メニエル氏病や
老齢病。
長寿手帳の無賃乗車証も授かって。
私の非所有は
権威的肩書の類いで。
居場所は現代雑居地。その平均値の揺れ揺れで。
伊藤信吉
「風や天」所収
1979
雨の日の暮は暗く
部屋のすみ襖のかげの
座ぶとんに寝かせてならぶ
首だけの人形の顔
姫は口もとに紅をはき
役者の顔のくまどりに
千代紙のころもを着せる
鋏の音と姉のためいき
着せかえた人形たちの首を抜き
すげかえ遊ぶたそがれどき
虚構に生きる人の世の
はなやぎは一瞬にして地におちる
白装束に着せかえて
経帷子に箸の杖
紙箱の棺に寝かせて掌を合わす
とむらいさえも遊びであつた
斎藤怘
「葬列」所収
1969
トマトを盛つた盆のかげに
忘れられてゐる扇
その少女は十九だと答へたつけ
はじめてひとに見せるのだといふ作詩を差出すとき
さつきからの緊張にすつかりうけ応へはうはの空だつた
もつと私が若かつたら
きつとそれを少女の気随な不機嫌ととつたらう
或はもすこし年をとつてゐたなら
かの女の目のなかで懼れと好奇心が争つて
強ひて冷淡に微笑しようと骨折るのを
耄碌した老詩人にむける憐れみの目色と邪推したらう
いま私は畳にうづくまり
客がおいていつたノート・ブックをあける
鉛筆書きの沢山の詩
愛の空想の詩をそこによむ
やつと目覚めたばかりの愛が
まだ聢とした目あてを見つける以前に
はやはげしい喪失の身悶えから神を呼んでゐる
そして自分で課した絶望で懸命に拒絶して防禦してゐる
あゝ純潔な何か
出されたまゝ触れられなかつたお茶に
もう小さな蛾が浮んでゐる
生涯を詩に捧げたいと
少女は言つたつけ
この世での仕事の意味もまだ知らずに。
伊東静雄
「反響」所収
1947
あざらしの夫婦が並んで死んだ
永い旅から帰ってきたら
何の腐爛も起さずに
雌は立派に立ったままで
眼から氷柱を垂らしていた
犬が食ってしまったらしい雄は
赤い泥のような小さな糞となり
クレパス沿いに点々と並び
一番新しいらしいのが
一本湯気を立てていた
犬塚堯
「南極」所収
1968
わたしはえのぐをといた
昼をとっておくために
窓をみがいた
夜をとっておくために
岸田衿子
「ソナチネの木」所収
1981