Category archives: Chronology

微塵

籾摺機の中に穀物を流し入れて、
動力のとどろきはげしくベルトの廻転する時
こまかくくだけたその外皮は
陽にキラキラときらめいて
微塵となって飛んでゆく
琥珀色のふきあげ
金の噴出
その美しさにはてしなく魅力を感じるが
私に深い関係があるように思える
或は私自身のようにも思える
何かしら最もよいもの
もしかしたら詩の重みだけを残して
あとはかるくかるく自然の奥へと消えてゆくのだ。
景色と云うものになってしまうのだ。

永瀬清子
「焔について」所収
1948

ゴキブリ考

ひとり暮らしで家じゅう乱雑をきわめているので
今年はもうゴキブリが出てきた
はじめに出てきたのは ミナコと呼ぶことにしている
みんな名前がついているのだ

死んだ妻は蟻も殺さなかったので
私もその生き方をまもっている
妻とはゴキブリにはキナコを食べさせた
はじめの時 ゴキブリはあまりの好遇に戸惑って
しきりにヒゲをふるわせていたが
二度目からは キナコをみせると寄ってきた
ゴキブリにキナコは ネコにマタタビに似た作用があるらしく 食べ終わると 踊るような足どりで去ってゆく

ミナコは私の若いころ妻になったかもしれない従妹である
戦争のため むろんすべては崩れたが
ミナコはヅカファンで紫の袴を穿いて遊びにきた おふくろに逢いにきたのだ ミナコの母は美人で若死にしてしまったが 私は少年のころこの叔母にあこがれていた
だからミナコにも気を惹かれていた ゴキブリのミナコも紫の袴を穿いている  といえないこともない

ミナコのあとにはタケオが出てくる
タケオはいちばん仲のよい幼ともだちだったが かれは戦争の時ガダルカナルで戦死した だからきまって 逢いにくるのだ かれは中隊長になっていたので ゴキブリになってもしっかりしている

タケオの弟のマスオ 提灯屋のタツキチ 小学生のころ黒板に相合傘の絵を描かれた役場の収入役の娘のサチコ
みんなゴキブリになっているが いつも出てくるとは限らない 向こうにも都合があるのだ

この夜更け私はミナコにキナコを与えながら
タケオ タケオ 会いたいよ と呼ぶ
私は伍長だったから タケオが出てくると敬礼する かれはそれが嬉しいのだ

とりとめのないことに
この世の生きる意味をさぐりあてているような
この ひとり暮らしのなかの味わい深いいとなみよ
本来は 何十万年も前から生きつないでいるらしいゴキブリにも 私は私なりの敬意は払っているのだ

伊藤桂一
2001

白いものが

私の家では空が少ない
両手をひろげたらはいってしまいそうなほど狭い
けれど深く、高い空に
幸い今日も晴天で私の干した洗濯物が竿に三本、

ここ六軒の長屋の裏手が
一つの共同井戸をまん中に向き合っている
そのしきりのように立っている六組の物干場
その西側の一番隅に
キラリ、チラリ、しずくを飛ばしてひるがえる
あれは私の日曜の旗、白い旗。

この旗が白くひるがえる日のしあわせ
白い布地が白く干上るよろこび
これはながい戦争のあとに
やっとかかげ得たもの
今後ふたたびおかすものに私は抵抗する。

手に残る小さな石鹸は今でこそ二十円だが
お金で買えない日があった
石鹸のない日にはお米もなかった
お米のない日には
お義母さんの情も私の椀に乏しくて
人中で気取っていても心は餓鬼となり果てた、

その思い出を落すのにも
こころのよごれを落すのにも
やはり要るものがある
生活をゆたかにする、生活を明るくする
日常になくてはならぬものが、ある。

日常になくてはならぬものがないと
あるはずのものまで消えてしまう
たとえば優しい情愛や礼節
そんなものまで乏しくなる。

私は石鹸のある喜びを深く思う
これのない日があった
その時
白いものが白くこの世に在ることは出来なかった、

忘れらないことである。

石垣りん
私の前にある鍋とお釜と燃える火と」所収
1959

老いよりの眺め

両眼は閉じたまま
痩せ衰えた手は
何かたぐり寄せるように
虚空をまさぐっている
そして何がおかしいのか
低く声を出して笑った
老人は今日も新しい物語を作っている
孫の二人もある息子が
幼い時の姿で一散に駆けてくる
──そらそっちへ行ったら川に落ちるよ
──小鳥が逃げた・・・・
──あなたさまは、どなたさまで
 と、嫁である家内に云っている
老人はもうこの世に眼を閉じてしまった
耳はとうに聴えなくなってしまった
それで遠い記憶がとぎれとぎれにかけめぐる
遠い村の人たちが見える
高校野球で優勝したピッチャーの健ちゃんが見える
学生相撲が好きだった老人に
贔屓の取組が見える
障子に秋の陽ざしが明るくさし込む部屋に寝たきりの老人は
誰にも分らない幻覚に呼び醒まされ
軽くなってしまった夢を両手で大事に掬い上げ
老いよりの眺めを今日も見ている

上林猷夫
「遺跡になる町」所収
1982

私の足に

私の足に合う靴はない。
私にぴったりする靴は
星の間にでも懸っているだろう。
私は第一靴と云うものを好かないのだ。
足の形につくって足にはめると云うことは
全く俗なことではないか。
それに奴隷的なことでさえある。
私はもっと軽くもっと翼のあるものがいい。
もっと水気があって、もっとたんわりしたものを選ぶ。
そんな風に人々はちっとも考えないのか。
ひさし髪と云うものが当然であった時もあった。
長い裾をひきずらなくては
恥かしくて歩けない時もあった

夜、星のすべすべした中に靴をさがす。
靴型星座をたずねあぐんで、
私のもすそはその時東の暁け方にふれる。
けれども夜があけて私は草の上に立っている。
私の蹠(あしうら)は大方の靴よりも美しい。
そしてこの蹠はいつも飢えているのだ。
そしていつも砂礫に血を流すのだ。

永瀬清子
「山上の死者」所収
1954

雨ですこっそり降ってます

雨です こっそり 降ってます
こまかい雨です しずかです
 あまえる鼻声 つばめの子
 それより それより しずかです

雨です こっそり 降ってます
こまかい雨です しずかです
 まいまいつぶろの ひとりごと
 それより それより しずかです

雨です こっそり 降ってます
こまかい雨です しずかです
 おはぐろとんぼの ためいきか
 それより それより しずかです

雨です こっそり 降ってます
こまかい雨です しずかです
 ひる寝のみの虫 その寝息
 それより それより しずかです

サトウハチロー
サトウハチロー童謡集」所収
1973

弔歌

柩に花びらを撒かう。
花びらを砂の蓋でかくさう。
蓋に泪の針を打たう。

丸山薫
「帆・ランプ・鴎」所収
1932

近所のコンビニで働いているずるぷかる君がどこの国から来て、何でコンビニで働くことを選んだのか考えるために、今日もそのコンビニに煙草を買いに行くけれどずるぷかる君はいなくて、新顔で中国から来たと思われる店員が働いていた。コンビニでしか会えないずるぷかる君がコンビニにいない時、君が何をしているのかを知る術はない。
母は「私はホタル族だから」と述べた。夜、ベランダで煙草を吸う人をホタル族と言うらしい。一時だけ放たれる光は母の手元から生まれたものだ。その光を頼りにする虫もまた夜になるまでどこで眠っていたというのだろうか。
パソコンの容量を空けるために様々なフォルダを開いた。気づかないうちに何層もの階層が用意されており、その奥へ奥へと辿ってゆく。その中で「兄より.txt」というファイルを見つけた。一時期だけ兄にパソコンを貸していたことがあって、ファイルは2013‎年‎12‎月‎10‎日、‏‎23:15:53に作成されていた。パソコンを貸したことへの感謝と家族への心配と、最後に、これらのことを口頭で伝えることへの照れくささが述べられていた。
そう言えば、兄を想って作った詩を乗せた同人誌を「とりあえず、これ」とか渡したことがある。「弟は兄の真似をすることしかできない」とかそんなことを書いた気がする。そうか、同人誌を渡した時の心境もまた「兄より.txt」を残した兄の心境の真似だったのかと2017年7月15日になって気づいた。この時、隣の部屋に兄はいなかった。
初めて家族の前で煙草を吸ったのは、2015年1月に沖縄へ家族旅行に行った時のことだ。煙草を吸っていることを家族に知られてはいたが、その姿は見せないようにしていた。だけど、旅行ともなればいたしかたなく、母親に薦められたものだから、なおいたしかたない。おそらくあれが最後の家族旅行となるのだろう。約15年の時を経て、沖縄に戻ったあの旅行が最後の家族旅行となるのだ。
ずるぷかる君にはわからないだろう。僕がいつも「49番を2つ」という時の震えがわからないだろう。それと同じように僕は、ずるぷかる君がどこの国から来て、何でコンビニを働くことを選んだのかがわからない。
一つだけ教えるとしたら、煙草を吸い始めたのは少女との約束を守るためだったこと。だから、僕と結婚する人にお願いしたいのは、僕の喫煙を辞めさせて欲しい。そうすれば少女との約束を破れるから、奥さんと子どもを沖縄旅行へ連れて行こうと思う。その時、右手に握られているものが何であるかを今は知る由もないのだ。

「弟より.txt」
今日、知り合いから「深夜高速」という歌があることを知らされました。サビは「生きてて良かった」が繰り返され、「そんな夜を探してる」「そんな夜はどこだ」と繋がります。これは、歌手自身が「生きてて良かった」ことを探すのですが、「生きてて良かった」のは何も「私」=「歌い手」だけではないんだと思います。僕はそんな夜をもう見つけています。だから、僕はあなたにこの歌を聞かせたいのです。どっかの歌手が歌っているのではなく、精一杯僕があなたに歌いたいと思います。「生きてて良かった」と。

なかたつ
現代詩投稿サイト「B-REVIEW」より転載
2017

ビヤホールで

沈黙と行動の間を
紋白蝶のように
かるがると
美しく
僕はかつて翔んだことがない

黙っておれなくなって
大声でわめく
すると何かが僕の尻尾を手荒く引き据える
黙っていれば
黙っていればよかったのだと

何をしても無駄だと
白々しく黙り込む
すると何かが乱暴に僕の足を踏みつける
黙っている奴があるか
一歩でも二歩でも前に出ればよかったのだと

夕方のビヤホールはいっぱいのひとである
誰もが口々に勝手な熱をあげている
そのなかでひとり
ジョッキを傾ける僕の耳には
だが何ひとつことばらしいものはきこえない

たとえ僕が何かを言っても
たとえ僕が何かを言わなくても
それはここでは同じこと
見知らないひとの間で心安らかに
一杯のビールを飲む淋しいひととき

僕はたた無心にビールを飲み
都会の群衆の頭上を翔ぶ
一匹の紋白蝶を目に描く
彼女の目にうつる
はるかな菜の花畑のひろがりを

黒田三郎
「ある日ある時」所収
1968

花火

きれい好きな掃除女のぬれ雑巾のやうに、『時』は、すぐさま
僕らのしたあとを拭ひとる。皿をなめとる野良犬の舌のやうに、

うまいあと味をのこす暇がない。すばやくこころにしまひそこなつたら、
それこそしまひまで、僕らの人生は無一物だ。仕掛花火のやうにみてゐるひまに

僕らの目の前で蕩尽される人生よ。花火を浴びて柘榴のやうに割れた笑はふたたび闇に沈み、
今夜のできごとは、一まとめにして、投込み墓地に

葬られる。歪れた手足も、くひしばつた歯も、ぬれた陰部も、
決してうかびあがらないのだ。痕跡すらも、世界に、おぼえてゐるものはないのだ。

金子光晴
」所収
1937