ゴキブリ考

ひとり暮らしで家じゅう乱雑をきわめているので
今年はもうゴキブリが出てきた
はじめに出てきたのは ミナコと呼ぶことにしている
みんな名前がついているのだ

死んだ妻は蟻も殺さなかったので
私もその生き方をまもっている
妻とはゴキブリにはキナコを食べさせた
はじめの時 ゴキブリはあまりの好遇に戸惑って
しきりにヒゲをふるわせていたが
二度目からは キナコをみせると寄ってきた
ゴキブリにキナコは ネコにマタタビに似た作用があるらしく 食べ終わると 踊るような足どりで去ってゆく

ミナコは私の若いころ妻になったかもしれない従妹である
戦争のため むろんすべては崩れたが
ミナコはヅカファンで紫の袴を穿いて遊びにきた おふくろに逢いにきたのだ ミナコの母は美人で若死にしてしまったが 私は少年のころこの叔母にあこがれていた
だからミナコにも気を惹かれていた ゴキブリのミナコも紫の袴を穿いている  といえないこともない

ミナコのあとにはタケオが出てくる
タケオはいちばん仲のよい幼ともだちだったが かれは戦争の時ガダルカナルで戦死した だからきまって 逢いにくるのだ かれは中隊長になっていたので ゴキブリになってもしっかりしている

タケオの弟のマスオ 提灯屋のタツキチ 小学生のころ黒板に相合傘の絵を描かれた役場の収入役の娘のサチコ
みんなゴキブリになっているが いつも出てくるとは限らない 向こうにも都合があるのだ

この夜更け私はミナコにキナコを与えながら
タケオ タケオ 会いたいよ と呼ぶ
私は伍長だったから タケオが出てくると敬礼する かれはそれが嬉しいのだ

とりとめのないことに
この世の生きる意味をさぐりあてているような
この ひとり暮らしのなかの味わい深いいとなみよ
本来は 何十万年も前から生きつないでいるらしいゴキブリにも 私は私なりの敬意は払っているのだ

伊藤桂一
2001

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