両眼は閉じたまま
痩せ衰えた手は
何かたぐり寄せるように
虚空をまさぐっている
そして何がおかしいのか
低く声を出して笑った
老人は今日も新しい物語を作っている
孫の二人もある息子が
幼い時の姿で一散に駆けてくる
──そらそっちへ行ったら川に落ちるよ
──小鳥が逃げた・・・・
──あなたさまは、どなたさまで
と、嫁である家内に云っている
老人はもうこの世に眼を閉じてしまった
耳はとうに聴えなくなってしまった
それで遠い記憶がとぎれとぎれにかけめぐる
遠い村の人たちが見える
高校野球で優勝したピッチャーの健ちゃんが見える
学生相撲が好きだった老人に
贔屓の取組が見える
障子に秋の陽ざしが明るくさし込む部屋に寝たきりの老人は
誰にも分らない幻覚に呼び醒まされ
軽くなってしまった夢を両手で大事に掬い上げ
老いよりの眺めを今日も見ている
上林猷夫
「遺跡になる町」所収
1982