Category archives: Chronology

鉛の塀

言葉は
言葉に生まれてこなければよかった

言葉で思っている
そそりたつ鉛の塀に生まれたかった
と思っている
そして
そのあとで
言葉でない溜息を一つする

川崎洋
川崎洋詩集」所収
1968

白い表紙

ジーンズの、ゆるいスカートに
おなかのふくらみを包んで
おかっぱ頭の若い女のひとが読んでいる
白い表紙の大きな本。
電車の中
私の前の座席に腰を下ろして。

白い表紙は
本のカバーの裏返し。
やがて
彼女はまどろみ 
手から離れた本は
開かれたまま、膝の上。
さかさに見える絵は
出産育児の手引。

母親になる準備を
彼女に急がせているのは
おなかのなかの小さな命令──愛らしい威嚇
彼女は、その声に従う。
声の望みを理解するための知識をむさぼる。
おそらく
それまでのどんな試験のときよりも
真摯な集中

疲れているらしく
彼女はまどろみ
膝の上に開かれた本は
時折、風にめくられている。

吉野弘
叙景」所収
1979

ぼくらにある住家

ぼくの信ずるものを
信じてくれ。
ぼくらにある住家。
お前が裂く小さい魚。
鱗にちりばめる光。
なにもない皿の
青いパセリ。
それは日なのだ。
ぼくらなのだ。
ぼくの信ずるものを
信じてくれ。
扉をひらくようにしか
先が見えないぼくら。
ぼくはいつも感ずる、
ぼくらの手にある重みのように
朝が来た、
昼が動いた、
夜が沈んだ、と。
ぼくの信ずるものを
信じてくれ。
ぼくらにある住家。
火があり、
空があり、
時がある、と。
愛する者よ、
このたとえようもない
日々の事物の底で、
ぼくらはひろい世界を獲る、と

菅原克己
「日の底」所収
1958

この部屋を出てゆく

この部屋を出てゆく 
ぼくの時間の物差しのある部屋を

書物を運びだした
机を運びだした
衣物を運びだした
その他ガラクタもろもろを運びだした
ついでに恋も運びだした

時代おくれになった
炬燵や
瀬戸火鉢
を残してゆく
だがぼくがかなしいのはむろん
そのためじゃない
大型トラックを頼んでも
運べない思い出を
いっぱい残してゆくからだ

がらん洞になった部屋に
思い出をぜんぶ置いてゆく
けれどもぼくはそれをまた
かならず
とりにくるよ
大家さん!

関根弘
「約束したひと」所収
1963

たかが詩人

あなたのお人形ケースにしても
あなたの赤いセーターにしても
あなたが勝手にひとにやってしまうには
なんといろいろの義理や
なんといろいろの都合の悪いことが
この世にあることだろう
きっとあなたそのものも
あなたが勝手にひとにやってしまうには
お人形ケースやセーターと比べ物にならぬくらい
いろいろの義理や
都合の悪いことがあるのだ
欲しがってならないものを欲しがった後の
子供のように
僕は夜の道をひとり
風に吹かれて帰ってゆく

新しい航海に出る前に
船は船底についたカキガラをすっかり落とすという
僕も一度は船大工になれると思ったのだ
ところが船大工どころか
たかが詩人だった

黒田三郎
ひとりの女に」所収
1954

星が二銭銅貨になつた話

 ある晩、プラタナスの梢をかすめてスーと光つたものが、カチンと歩道に音を立てた。 ひろつてみると星だ。
 これはうまいともつてかへつた。
 あくる朝、気がついてポケツトをさぐつてみると、ピカピカしたその年の二銭銅貨が出てきた。
 びつくりして先生のところへかけつけた。
 先生は「それは尤もだ」と云ふ。
「どうしてです?」
「きかせよう」先生はむきなほつた。
「──君のからだでも帽子でも、又このテーブルでも、すべてのものはモレキユールといふ小さい粒からできてゐる。その粒をこはすと、それはもつと小さいアトムといふ粉になる。そのアトムをこはすとさらにエレクトロンといふ粒になる。これがおしまひ。で、つまりこのエレクトロンがどういふ重り方をしてゐるかといふことによつて、さまざまな物の区別が出来るので、だから星が二銭銅貨になつても決してをかしくない」
「ぢや、別に二銭銅貨にならなくても、マツチでも、銭砲玉でもかまはないわけぢやありませんか?それになぜ二銭銅貨とかぎつてゐるのでせう」
「そこが君、選択の自由ぢやないかね」
「そんなことを云つたらムチヤクチヤです」
「さうともムチヤクチヤだよ。一たい君、星をひろつて、それが一晩のうちにもう造られてゐない今年の二銭銅貨になつたなんて、そんなムチヤな話があるかね」

稲垣足穂
「稲垣足穂詩集」所収
1925

広島

娘の仮住まい
四畳半の離れで泣いている
さっきまで笑っていた
明かりが消え
向こう向きに横たわったまま
肩をふるわせ
それでも最後まで観るのだというように
テレビの画面は進行していた
森繁の演じる「恍惚の人」

午後には殺虫剤を抱いて
部屋のあちこちから湧き出るという
黒い虫と戦っていた
朝には
メモをとらせて
遺言を語り

花の終わった桜の土手
震えのやまない母とあるく
京橋川に架かる吊り橋
数歩歩いては立ち止まり
かすかな揺れに驚いて
幼子のように笑った

    *

いつか「ソフィーの選択」を観た
ナチの死の扉に
どちらか一人を迫られて
咄嗟に娘の背を押し
息子を抱いた

そのように
他国の背を押す
過去の一ページ
広島を福島を忘れる

    *    

広島が好きだ
水は大きく空を映し
路面電車の窓から街はおおらかに広がり
むすめたちはよく笑い美しかった

瀕死の床から母が生還し
私が初めて詩を書くことを知った場所

母の傍らで母の詩を書いていると
「そげんあたまをつこうたらいかん」
と何度も何度もいまも

fiorina
現代詩投稿サイト「B-REVIEW」より転載
2017

ロールシャッハ・テスト

 

いかにも峨々たる人口の岩の蔭に
雄のライオン 眉間に皺なんか寄せて
ふさふさした灰色の鬣が煩わしいからか
とき折り首まで揺すぶって見せて

迫力があるじゃん とハイティーンのアヴェック
立派だねえ と水筒をぶら下げた老人夫婦
よし俺も とナイロビ駐在が内定したばかりの商社マン
何が俺もか とこれは長髪の文学青年

かつては最も不味い餌にすぎなかったろう
ホモ・サピエンスに 始終じろじろ
これでは鬱になることだってあるだろう
またひと振り 鬱の鬣を振り解こうとして

が 彼には知る由もない おのれの鬣が
思わず黄金色の暈をまとってしまうことを
その一瞬の壮麗さに溜息をつくホモ・サピエンス
むろん 彼らにはまた知る由もないのだ

最も破壊的な行為へと跳躍させるのが
鬱の灰色の爆薬であることを 苟且にも
だから近づいてはならない 鬱の時代の
神にこそふさわしい暈 真昼の金環蝕には

 

 

スクリーンの上では
二頭のライオンが
じゃれ合っているのか啀み合ってるのか
左右対称のインクの汚点
片方の汚点が雲のような鬣を振りあげれば
もう片方も牙のようなものを剥き出す

喧しい 利いた風なことを
唐御陣は明智打ちのようには参りません*
結局は躁の一頭が鬱の一頭を
自刃へと追いつめる

生垣沿いに
ロールシャッハ・テストの火照りを冷ましながら
と 柘植よりひと際鮮かな緑の
蟷螂
茜さす雲の彼方に向かって
華奢な斧を振りあげていて
こいつは躁か鬱か

*勅使河原宏監督の映画「利休」

 

星野徹
Quo Vadis?」所収
1990

風にのる智恵子

狂つた智恵子は口をきかない
ただ尾長や千鳥と相図する
防風林の丘つづき
いちめんの松の花粉は黄いろく流れ
五月晴の風に九十九里の浜はけむる
智恵子の浴衣が松にかくれ又あらはれ
白い砂には松露がある
わたしは松露をひろひながら
ゆつくり智恵子のあとをおふ
尾長や千鳥が智恵子の友だち
もう人間であることをやめた智恵子に
恐ろしくきれいな朝の天空は絶好の遊歩場
智恵子飛ぶ

高村光太郎
智恵子抄」所収
1935

つながれた象

立っているよりほかはないから
細い目で立っているのだ

見るよりほかはないから
隣りの象をさぐるのだ

空がかわけば鼻をゆさぶり
空がぬれれば鼻をゆさぶり
それが
生きることなのだと

吠えるよりほかはないから
遠く遠く吠えるのだ
そして
眠るよりほかはないから
死んだように眠るのだ

村上昭夫
動物哀歌」所収
1967