Category archives: Chronology

目ぶたをおろしてください

私が死んだら棺にいれて
その棺のふたをあけて
大ぜいの人に私のかおをみせてください。
目をあけていたら目ぶたをおろしてください。
視力のはたらかぬ目をみひらいているむだを私からはぶいてください。
よどんだ額のしわとひくくつえた鼻腔。
半びらきのくちびる。あごひげ。
私の形をしたままで私ではなくなった私。
水分と脂肪と含水炭素と石灰と
その混合集積物は 冷えきって
硬直して
その、モノになってしまった私のほかに
私はもうない。
私ではないモノがそこにねている。
その私のそばで
あなたがたは知るでしょう。
それがそこにあるために
空気がしんしんとなるような
昨日まで生きていた人間の死体というもののいやらしいしずかさを。
私はおことわりしたい。
私の死体のかたわらで
思い出ばなしなどくりかえすじれったさを。
死はすぎゆく姿です。ぜんまいのきれた古時計。
やくざな物質に冷えかたまった私を
みなさんは、よくみてください。
そのこわばったかおつきは
生きていたあいだの ごうまんも ひねくれも 出しゃばり おしゃべり ごうつくばりも
心のこりなく生きようと
力いっぱいふるまったものの
死顔のおだやかさです。
いまは、私ではないものがそこにあるというだけのことです。
機械がみんなとまってしまい
心がはたらかなくなった
私の形をしたモノの私をみて、そして心の底の方で
ぞんぶんに生きることをしなかったかわりに
死ぬことをこわがってそわそわしている
みなさんを
私がそれをみられないことが
すこうし残念なだけです。
天候のよしあしなどにはおかまいなく
死んだらすぐ杉の棺にでも私をねかせてください。
瞳孔がいっぱいになって
みえもしない目を
みひらいていることがないように
私の二枚の目ぶたをおろしてください。

秋山清
「象のはなし」所収
1959

余白のある手紙

ひとつの余白の多い手紙をあなたは読みふける
砂漠からながれでた青い流れのように
それを書いたひとのおもかげはもう跡かたもなく消えている
ふたりのあいだには匂うような日があつたのだろう
言葉すくなく語られている幸福が
いまあなたの顔をしずかにあげさせる
あなたはもつと空が明かるくなればいいとおもつているようだ
どこまでもつづいてる真白い空が
小さく区切られると
それはあなたの心のなかの遠い小さな空になる
そのひとはいまその空の下に立つている
そのひとのかすかなもの憂い動きを
あなたは遠い祖先のたれかの動きのように感じはじめている

嵯峨信之
「魂の中の死」所収
1966

娘よ

娘よ
ちいさな庭の片隅に
桔梗が咲いた
ストロベリーの銀紙を
無心に引き裂く娘よ
父のそばにきて
よくみよや
あれが花 とばない蝶々
こんなにてばなしのもろいいのちが
地上にあるということの
大きな救いを
お前もいつの日か知るだろう
ほら風に
りんりんと鳴る桔梗ひとむら
父の膝の上で
ちりちりと銀紙を裂く娘よ

山本太郎
「糾問者の惑いの唄」所収
1967

青空

  1 

 最初、わたしの青空のなかに、あなたは白く浮かび上がった塔だった。あなたは初夏の光の中でおおきく笑った。わたしはその日、河原におりて笹舟をながし、溢れる夢を絵具のように水に溶いた。空の高みへ小鳥の群はひっきりなしに突き抜けていた。空はいつでも青かった。わたしはわたしの夢の過剰でいっぱいだった。白い花は梢でゆさゆさ揺れていた。

  2 

ふたたびはその掌の感触に
わたしの頬の染まることもないであろう
その髪がわたしの耳をなぶるには
冬の風はあまりに強い

わたしの胸に朽葉色して甦える悲しい顔よ
はじめからわかっていたんだ
うつむいてわたしはきつく唇を嚙む
今はもう自負心だけがわたしを支え
そしてさいなむ

ひとは理解しあえるだろうか
ひとは理解しあえぬだろう

わたしの上にくずれつづける灰色の冬の壁
空の裂目に首を出して
なお笑うのはだれなのか
日差しはあんまり柔らかすぎる
わたしのなかの瓦礫の山に こわれた記憶に

ひとはゆるしあえるだろうか
ひとはゆるしあうだろう さりげない微笑のしたで

たえまなく風が寄せて
焼けた手紙と遠い笑いが運ばれてくる
わたしの中でもういちど焦点が合う
記憶のレンズの・・・
燃えるものはなにもない!

明日こそわたしは渡るだろう
あの吊橋
ひとりづつしか渡れないあの吊橋を
思い出のしげみは 二月の雨にくれてやる

大岡信
記憶と現在」所収
1956

砂の思想

わたしの中でいつからか姿を消してしまった
ロプノール 多分そのためだろう
東から西へ 南から北へ
せわしなく移動する鳥の群
何はさて措き彼らの後を追わねばならない

もしも僅かに緑を添える蕁麻でもあれば
地下にせせらぎを響かせているであろう伏流を
その水脈の暗い曲折を想像できる
が 灼けつく光と赤茶けた石ばかりで
鳥の糞一つ落ちていない

考えてもみよ 実体が影をともなわぬ世界だ
朝 砂から出立し 夜 砂に沈む
砂の太陽だなんて大それた──
あらゆる影は蒸発して気配も留めない
まして比喩の影などは

ただ伏流が再び噴き出るかも知れない
わたしの地表 その万が一の地点を卜し
一夜の天幕を張ること その後はもう
言わずと知れたこと 襟首のあたりから
蕁麻が萌え出る夢を見る

星野徹
落毛鈔」所収
1985

死と蝙蝠傘の詩


その黒い憂愁
の骨
の薔薇

五月
の夜
は雨すら
黒い


は壁のため
の影
にうつり



泡だつ円錐
の壁

その
湿つた孤独

黒い翼

あるひは
黒い

のある髭の偶像

北園克衛
「黒い火」所収
1951

落語

世間には
しあわせを売る男が、がいたり
お買いなさい夢を、などと唄う女がいたりします。

商売には新味が大切
お前さんひとつ、苦労を売りに行っておいで
きっと儲かる。
じゃ行こうか、  と私は
古い荷車に
先祖代々の墓石を一山
死んだ姉妹のラブ・レターまで積み上げて。

さあいらっしゃい、お客さん
どれをとっても
株を買うより確実だ、
かなしみは倍になる
つらさも倍になる
これは親族という丈夫な紐
ひと振りふると子が生まれ
ふた振りで孫が生れる。
やっと一人がくつろぐだけの
この座布団も中味は石
三年すわれば白髪になろう、
買わないか?

金の値打ち
品物の値打ち
卒業証書の値打ち
どうしてこの界隈では
そんな物ばかりがハバをきかすのか。

無形文化財などと
きいた風なことをぬかす土地柄で
貧乏のネウチ
溜息のネウチ
野心を持たない人間のネウチが
どうして高値を呼ばないのか。

四畳半に六人暮す家族がいれば
涙の蔵が七つ建つ。

うそだというなら
その涙の蔵からひいてきた
小豆は赤い血のつぶつぶ。
この汁粉 飲まないか?
一杯十円、
寒いよ今夜は、
お客さん。

どうしたも買わないなら
私が一杯、
ではもう一杯。

石垣りん
表札など」所収
1968

愛の人

ふりむかないでゆくだろう
小さな親切や赤い羽根
救世軍や歳末助けあい運動
それらあたたかいものに背を向けて

一人で去って行くだろう
暗いいんうつな風のなぎさを渡り
くれないの冷めたき原野
だいだい色の寒き海辺を歩き
マンザニータの荊なす樹海を乗り越えて
誰も見送るもののないままに

億兆の生物の痛々しい叫びを求め
ふるえる太初からの松明の光のなかを
世界中の美しい別れのうた
さようならのうたをうたいながら

村上昭夫
動物哀歌」所収
1967

虹の足

雨があがって
雲間から
乾麺みたいに真直な
陽射しがたくさん地上に刺さり
行手に榛名山が見えたころ
山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。
眼下にひろがる田圃の上に
虹がそっと足を下ろしたのを!
野面にすらりと足を置いて
虹のアーチが軽やかに
すっくと空に立ったのを!
その虹の足の底に
小さな村といくつかの家が
すっぽり抱かれて染められていたのだ。
それなのに
家から飛び出して虹の足にさわろうとする人影は見えない。
―――おーい、君の家が虹の中にあるぞオ
乗客たちは頬を火照らせ
野面に立った虹の足に見とれた。
多分、あれはバスの中の僕らには見えて
村の人々には見えないのだ。
そんなこともあるのだろう
他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていることが――。

吉野弘
北入曽」所収
1977

花嫁の冠は

明るい歌声のようにさざめいていた
花嫁の冠はもう取られただろうか?
そうして人生の悲しみも
もう一つ位は見知っただろうか?
たとえば愛する者の心を見失いかけたとか
幼い者の病むさまとか
時には神様が
それらの者をお召しにさえなろうとしたとか。
そうしてもう気附いただろうか?
墓地のたくさんの十字架の下には
見捨てられた不幸せな魂も
眠っていることを。
そうしてもう見ただろうか?
かつて愛したものの幸せかどうかと言う
それらの死者達の問いたげな眼なざしを。

野村英夫
「野村英夫詩集」所収
1948