生涯を終るにあたり、きみはちょっとした実験をこころみた。つまり わらったのだ。いちはやく私は読みとった。その瞬間に 監視するものと されるものの位置がすばやくいれかわったのを。死が私を解放するまで 私はきみに監視されつづけた。死に行くものの奪権。それはしずかに しかしきわめて苛酷に行なわれた。きみの死が完全に終ったとき はじめて私は立ちあがった。いまは物でしかないきみをはなれるために。私はもう一度監視者となった。そのときはじめて知ったのだ。きみはあの時から すでに物として私を見ていたのだと。死者が見た生者も おなじく物でしかなかったのだと。
立ちあがった私の目の前に ちいさな窓がひとつだけあった。
石原吉郎
「北條」所収
1975