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君死にたまふことなかれ

─ 旅順口包圍軍の中に在る弟を歎きて ─

 

あゝをとうとよ、君を泣く、

君死にたまふことなかれ、

末に生れし君なれば

親のなさけはまさりしも、

親は刃をにぎらせて

人を殺せとをしへしや、

人を殺して死ねよとて

二十四までをそだてしや。

 

堺の街のあきびとの

舊家をほこるあるじにて

親の名を繼ぐ君なれば、

君死にたまふことなかれ、

旅順の城はほろぶとも、

ほろびずとても、何事ぞ、

君は知らじな、あきびとの

家のおきてに無かりけり。

 

君死にたまふことなかれ、

すめらみことは、戰ひに

おほみづからは出でまさね、

かたみに人の血を流し、

獸の道に死ねよとは、

死ぬるを人のほまれとは、

大みこゝろの深ければ

もとよりいかで思されむ。

 

あゝをとうとよ、戰ひに

君死にたまふことなかれ、

すぎにし秋を父ぎみに

おくれたまへる母ぎみは、

なげきの中に、いたましく

わが子を召され、家を守り、

安しと聞ける大御代も

母のしら髮はまさりぬる。

 

暖簾のかげに伏して泣く

あえかにわかき新妻を、

君わするるや、思へるや、

十月も添はでわかれたる

少女ごころを思ひみよ、

この世ひとりの君ならで

あゝまた誰をたのむべき、

君死にたまふことなかれ。

 

与謝野晶子

晶子詩篇全集」所収

1904

紙の上

戦争が起きあがると

飛び立つ鳥のように

日の丸の翅をおしひろげそこからみんな飛び立つた

 

一匹の詩人が紙の上にゐて

群れ飛ぶ日の丸を見あげては

だだ

だだ と叫んでゐる

発育不全の短い足 へこんだ腹 持ちあがらないでっかい頭

さえづる兵器の群れをながめては

だだ

だだ と叫んでゐる

だだ

だだ と叫んでゐるが

いつになつたら「戦争」が言えるのか

不便な肉体

どもる思想

まるで砂漠にゐるようだ

インクに渇いたのどをかきむしり熱砂の上にすねかへる

その一匹の大きな舌足らず

だだ

だだ と叫んでは

飛び立つ兵器をうちながめ

群れ飛ぶ日の丸を見あげては

だだ

だだ と叫んでゐる

 

山之口貘

山之口貘詩集」所収

1940

ねずみ

生死の生をほっぽり出して

ねずみが一匹浮彫りみたいに

往来のまんなかにもりあがっていた

まもなくねずみはひらたくなった

いろんな

車輪が

すべって来ては

あいろんみたいにねずみをのした

ねずみはだんだんひらくたくなった

ひらたくなるにしたがって

ねずみは

ねずみ一匹の

ねずみでもなければ一匹でもなくなって

その死の影すら消え果てた

ある日 往来に出てみると

ひらたい物が一枚

陽にたたかれて反っていた

 

山之口獏

鮪に鰯」所収

1964

鳥の意思、それは静かに

時間がないと

あなたの声がして

水色のひかりが

瞬き続けるのが見えた

 

深淵を覗き込もうとする無数の眼を

ひたすらかき分けて進む

子どものような眼で

誰も知らない街へ会いにゆきたい

 

わたしたちは違うが故に平等であると

思うのだけれど

その意識はほんとうか

誰もが理想を隠し持っていて

そのことは驚くにはあたらない

 

一本の線から

たちまち拡がってゆく概念が

わたしを怯えさせ

そして支え続けている

地平に燃え拡がってゆくのだ

静かに 簡潔に

意思となるだろう前提を秘めて

遠く

 

静かな瞬きは

やがて白く大きな鳥に変わり

我々を乗せて

ずっと淡くけぶる水平線の向こうまで

飛んでゆくのだ

 

宮岡絵美

鳥の意思、それは静かに」所収

2012

牛はのろのろと歩く

牛は野でも山でも道でも川でも

自分の行きたいところへは

まつすぐに行く

牛はただでは飛ばない、ただでは躍らない

がちり、がちりと

牛は砂を堀り土を掘り石をはねとばし

やっぱり牛はのろのろと歩く

牛は急ぐ事をしない

牛は力一ぱいに地面を頼つて行く

自分を載せている自然の力を信じ切って行く

ひと足、ひと足、牛は自分の道を味はって行く

ふみ出す足は必然だ

うわの空の事ではない

是でも非でも

出さないではいられない足を出す

牛だ

出したが最後

牛は後へはかえらない

足が地面へめり込んでもかえらない

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く

牛はがむしゃらではない

けれどもかなりがむしゃらだ

邪魔なものは二本の角にひっかける

牛は非道をしない

牛はただ為たい事をする

自然に為たくなる事をする

牛は判断をしない

けれども牛は正直だ

牛は為たくなって為た事に後悔をしない

牛の為た事は牛の自信を強くする

それでもやっぱり牛はのろのろと歩く

何処までも歩く

自然を信じ切って

自然に身を任して

がちり、がちりと自然につっ込み食い込んで

遅れても、先になっても

自分の道を自分で行く

雲にものらない

雨をも呼ばない

水の上をも泳がない

堅い大地に蹄をつけて

牛は平凡な大地を行く

やくざな架空の地面にだまされない

ひとをうらやましいとも思わない

牛は自分の孤独をちやんと知っている

牛は喰べたものを又喰べ乍ら

ぢっと淋しさをふんごたえ

さらに深く、さらに大きい孤独の中にはいって行く

牛はもうと啼いて

その時自然によびかける

自然はやっぱりもうとこたへる

牛はそれにあやされる

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く

牛は馬鹿に大まかで、かなり無器用だ

思い立ってもやるまでが大変だ

やりはじめてもきびきびとは行かない

けれども牛は馬鹿に敏感だ

三里さきのけだものの声をききわける

最善最美を直覚する

未来を明らかに予感する

見よ

牛の眼は叡智にかがやく

その眼は自然の形と魂とを一緒に見ぬく

形のおもちゃを喜ばない

魂の影に魅せられない

うるおいのあるやさしい牛の眼

まつ毛の長い黒眼がちの牛の眼

永遠の日常によび生かす牛の眼

牛の眼は聖者の眼だ

牛は自然をその通りにぢっと見る

見つめる

きょろきょろときょろつかない

眼に角も立てない

牛が自然を見る事は牛が自分を見る事だ

外を見ると一緒に内が見え

内を見ると一緒に外が見える

これは牛にとっての努力ぢゃない

牛にとっての当然だ

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く

牛は随分強情だ

けれどもむやみとは争わない

争わなければならない時しか争わない

ふだんはすべてをただ聞いている

そして自分の仕事をしている

生命をくだいて力を出す

牛の力は強い

しかし牛の力は潜力だ

弾機ではない

ねぢだ

坂に車を引き上げるねぢの力だ

牛が邪魔物をつっかけてはねとばす時は

きれ離れのいい手際だが

牛の力はねばりっこい

邪悪な闘牛者の卑劣な刃にかかる時でも

十本二十本の槍を総身に立てられて

よろけながらもつっかける

つっかける

牛の力はこうも悲壮だ

牛の力はこうも偉大だ

それでもやっぱり牛はのろのろと歩く

何処までも歩く

歩き乍ら草を喰う

大地から生えている草を喰う

そして大きな身体を肥す

利口でやさしい眼と

なつこい舌と

かたい爪と

厳粛な二本の角と

愛情に満ちた啼声と

すばらしい筋肉と

正直な涎を持った大きな牛

牛はのろのろと歩く

牛は大地をふみしめて歩く

牛は平凡な大地を歩く

 

高村光太郎

道程」所収

1914

ひとり林に・・・

だれも 見てゐないのに

咲いてゐる 花と花

だれも きいてゐないのに

啼いてゐる 鳥と鳥

 

通りおくれた雲が 梢の

空たかく ながされて行く

青い青いあそこには 風が

さやさや すぎるのだらう

 

草の葉には 草の葉のかげ

うごかないそれの ふかみには

てんたうむしが ねむってゐる

 

うたふやうな沈黙に ひたり

私の胸は 溢れる泉! かたく

脈打つひびきが時を すすめる

 

立原道造

立原道造全集第一巻」所収

1941

月から見た地球

月から観た地球は、円かな、

紫の光であった、

深いひほひの。

 

わたしは立つてゐた、海の渚に。

地球こそは夜空に

をさなかつた、生れたばかりで。

 

大きく、のぼつてゐた、地球は。

その肩に空気が燃えた。

雲が別れた。

 

潮鳴を、わたしは、草木と

火を噴く山の地動を聴いた。

人の呼吸を。

 

わたしは夢見てゐたのか、

紫のその光を、

わが東に。

 

いや、すでに知つてゐたのだ。地球人が

早くも神を求めてゐたのを、

また創つてゐたのを。

 

北原白秋

海豹と雲」所収

1929

〔丁丁丁丁丁〕

     丁丁丁丁丁

     丁丁丁丁丁

 叩きつけられてゐる 丁

 叩きつけられてゐる 丁

藻でまっくらな 丁丁丁

塩の海  丁丁丁丁丁

  熱  丁丁丁丁丁

  熱 熱   丁丁丁

    (尊々殺々殺

     殺々尊々々

     尊々殺々殺

     殺々尊々尊)

ゲニイめたうとう本音を出した

やってみろ   丁丁丁

きさまなんかにまけるかよ

  何か巨きな鳥の影

  ふう    丁丁丁

海は青じろく明け   丁

もうもうあがる蒸気のなかに

香ばしく息づいて泛ぶ

巨きな花の蕾がある

 

宮沢賢治

疾中」所収

1930

眼にて云う

だめでせう

とまりませんな

がぶがぶ湧いてゐるですからな

ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから

そこらは青くしんしんとして

どうも間もなく死にさうです

けれどもなんといゝ風でせう

もう清明が近いので

あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに

きれいな風が来るですな

もみぢの嫩芽と毛のやうな花に

秋草のやうな波をたて

焼痕のある藺草のむしろも青いです

あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが

黒いフロックコートを召して

こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば

これで死んでもまづは文句もありません

血がでてゐるにかゝはらず

こんなにのんきで苦しくないのは

魂魄なかばからだをはなれたのですかな

たゞどうも血のために

それを云へないがひどいです

あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが

わたくしから見えるのは

やっぱりきれいな青ぞらと

すきとほった風ばかりです。

 

宮沢賢治

疾中」所収

1930

子供の好きな少女に

たとへれば夏の作物を見るやうだ

子供の好きな少女は豊かで美しい

あどけなくてどこか生真面目で

さうして

活々とした目と優しい心を持つてゐる

ある夕べ稲光りがして

庭の薄が明るくそよいでゐた

室内も

ときに又昼間のやうに明るくなつた

子供が寝てゐたお臍を出して

その傍を離れず

十五ばかりの娘が一人

恐怖で目をみはつたまま座つてゐた

少女の手はまるで無意識に

(ああそしてそれはきつと

 この世の美しい行為の一つに違ひない)

小さな子供の手を確かり握つてゐた

 

津村信夫

或る遍歴から」所収

1944