巻貝の奥深く

巻貝の白い螺旋形の内部の つやつや光ったすべすべ

したひやっこい奥深くに ヤドカリのようにもぐりこ

んでじっと寝ていたい 誰が訪ねてきても蓋をあけ

ないで眠りつづけ こっそり真珠を抱いて できたら

そのままちぢこまって死にたい 蓋をきつくしめて

奥に真珠が隠されていることを誰にも知らせないで

 

高見順

死の淵より」所収

1964

息を 殺せ

息を ころせ

いきを ころせ

あかんぼが 空を みる

ああ 空を みる

 

八木重吉

秋の瞳」所収

1927

今わたしはなにかを忘れてゆく

なにを考えていたのだろう

今わたしはなにかを忘れてゆく

そして忘れてゆくことも忘れてゆくだろう

四月二十七日午後五時五十一分

液晶は 時刻のこわれやすさ

そこに一分とどまり

わずかに無へと滲んでゆくもの

目をあげれば光は

より薄いままに四囲をあかるく満ちている

建物の稜線はふくらみ

電線に曇り空の量感はまし 雪をさえ思わせる

 

わたしはみているのだろうか

それともみえない というかなしみなのか

みたい というよろこびか

空にむかいときおり不思議な穴のようになる視野

かすかに藻のようにうごく

こころのうごめきの感触だけがわかる

なにを考えていたのだろう

言葉はなにも思わないうつろないきものとして

また色づかないまま沈んでゆく

いおう としていたのか

いいえない とあきらめてゆくのか

水のように点りはじめた外灯

それらがなににともなくあるために いきづく空のパールグレー

 

気がつけば

より青みをました空気に

白くこまかなものがただよっている

雪でもなく 灰でもなく 残像の淡さで

記憶がかすかに藻のようにうごく

鳥が電線から旅だったのか

わたしは鳥をみていたのだろうか

それはどんなふうに飛びたち

一瞬空を不思議な色にして また翳らせたか

光をなくしたガラスに樹木の影はすでに夜のようにほどかれている

曇り空 電線 トランス 繁り葉

ふれたこともないそうした端から

光のニュアンスは変わっている

わたしはなにかを忘れたことに気づく

忘れたことも忘れてゆくことに

鳥の羽毛だと思う

飛ぶことにかかわったなにかであると思う

そのように思わせるなにかが

空にのこされている

立ち騒いだあとの空白が わたしにのこされている

手にとろうとすれば

ただようものは風圧でふいとそれてゆく

ひとつひとつに思いがけない意志があるのか

わたしはいくどもそれをくりかえす

忘れたことも忘れてゆきながら そしてそのことに気づきながら

みえないひとの襟をなおすように指をのべてゆく

なにを考えていたのだろう

鳥について?

光と影について?

なぜ意味もなく携帯をみてしまったかについて?

わたしのものでありすぎてやわらかでくずれやすいもの

鳩のくぐもる声でかんがえていたこと

(I feel so good, It’s automatic) *

コンビニの隙間から歌声がきこえる

藻のように揺れる美しいサビの部分は

なにもかもオートマチックだといっている気がする

きこえるたびに なにかを忘れてゆく

そして忘れてゆくことも 忘れてゆく

信号の青は青よりもあおく

梔子の白は白よりもしろく

曇り空のパールグレーは水のように光る外灯あたりをうずまき

不動の世界は

色と質感をオートマチックに深めてゆく

鳥の声はきこえない

デモ言葉ヲ失ッタ瞬間ガ一番幸セ、

輝きだしたコンビニはセイレーンのように歌いつづけている

飛び去ったものはあの歌声のなかに消えたのかもしれない

 

羽毛は仄光り 空気は昏くなる

空はなにかがいなくなったブルーグレーの画面

そこにうっすら忘却の軌跡があり

去ったものの匂いがのこっている

いくばくかまえの胸のやわらかさと鼓動のはやさ

思いだしもしないのに忘れることのないものの消滅

また曇り空はのこされて

時間はかすかにこわれ

電線とトランスと繁り葉とともに世界は濃くなっている

夜ではなく

忘れてゆくことも忘れてゆくことの果て を想う

 

* 宇多田ヒカル「Automatics」

 

河津聖恵

アリア、この夜の裸体のために」所収

2002

親と子

太鼓は空をゴム鞠にする

でんでん と太鼓の音が路からあふれてきて眠つてゐた子をおこしてしまつた

 

飴売は

「今日はよい天気」とふれてゐる

私は

「あの飴はにがい」と子供におしへた

 

太鼓をたゝかれて

私は立つてゐられないほど心がはずむのであつたが

眼をさました子供が可哀いさうなので一緒に縁側に出て列らんだ

 

菊の枯れた庭に二月の空が光る

 

子供は私の袖につかまつてゐる

 

尾形亀之助

雨になる朝」所収

1929

The Erotics Is a Measure Between

 after Lorde

 

Your body is not my pommel horse

nor my Olympic pool or diving board.

Your body is not my personal Internet

channel nor my timeline,

nor my warm Apollo spotlight.

Your body is not my award

gala. Your body is not my game—

preseason or playoffs.

Your body is not my political party

convention. Your body is not

my frontline or my war’s theatre.

Your body is not my time

trial. Your body is not my entrance

exam or naturalization interview.

I am a citizen of this skin—that

alone—and yours is not to be

passed nor won. What is done—

when we let our bodies sharpen

the graphite of each other’s bodies

—is not my test, not my solo

show. One day I’ll learn. I’ll prove

I know how to lie with you without

anticipating the scorecards of your eyes,

how I might merely abide—we two

unseated, equidistant from the wings

in a beating black box, all stage.

 

Kyle Dargan

From “Honest Engine

2015

 

エロティック 相手との距離を測るもの

 

ロードに倣いて

 

あなたの肉体は私の鞍馬ではない

私のオリンピックプールでもないし

飛び込み台でもない。

あなたの肉体は私のネットチャネルではないし、

私のタイムラインではない。

私の「アポロ」の暖かいスポットライトでもない。 *

あなたの肉体は私の祝祭の報いではない

あなたの肉体は私の試合 ─プレシーズンあるいはプレイオフの─ ではない

あなたの肉体は私の政党の大会ではない。

あなたの肉体は私の前線ではない。

あるいは私の戦争の劇場ではない。

あなたの肉体は私のタイムトライアルではない。

あなたの肉体は私の入学試験ではない。

あるいは移民審査ではない。

私はこの肌の市民である

─ただそれだけ─

そしてあなたは

通過することも

勝利することもない。

なされたこと ─

我々が自らの肉体を研ぎ澄ませる時

それぞれの肉体の黒いチョーク

─それは私の試験ではない。

また私のソロのショーでもない。

いつの日か

私は学ぶだろう。

私は証明するだろう

私があなたを欺くすべを知ったことを。

あなたの瞳の値踏みを見越すことなく。

私はただじっと待つ

─我々二人

落馬して、

翼から等しい距離で

全てのステージで

ブラックボックスを叩きながら

 

* 訳注 アポロはニューヨークハーレムにある劇場

停留所にてスヰトンを喫す

わざわざここまで追ひかけて

せっかく君がもって来てくれた

帆立貝入りのスヰトンではあるが

どうもぼくにはかなりな熱があるらしく

この玻璃製の停留所も

なんだか雲のなかのよう

そこでやっぱり雲でもたべてゐるやうなのだ

この田所の人たちが

苗代の前や田植の後や

からだをいためる仕事のときに

薬にたべる種類のもの

きみのおっかさんが

除草と桑の仕事のなかで

幾日も前から心掛けて拵へた

雲の形の膠朧体

それを両手に載せながら

ぼくはただもう青くくらく

かうもはかなくふるへてゐる

きみはぼくの隣に座って

ぼくがかうしてゐる間

じっと電車の発着表を仰いでゐる

あの組合の倉庫のうしろ

川岸の栗や楊も

雲があんまりひかるので

ほとんど黒く見えてゐるし

いままた稲を一株もって

その入口に来た人は

たしかこの前金矢の方でもいっしょになった

きみのいとこにあたる人かと思ふのだが

その顔も手もただ黒く見え

向ふもわらってゐる

ぼくもたしかにわらってゐるけれども

どうも何だかじぶんのことではないやうなのだ

ああ友だちよ

空の雲がたべきれないやうに

きみの好意もたべきれない

ぼくははっきりまなこをひらき

その稲を見てはっきりと云ひ

あとは電車が来る間

しづかにここに倒れよう

ぼくたちの

何人も何人もの先輩がみんなしたやうに

しづかにここへ倒れて待たう

 

宮沢賢治

春と修羅 第三集」所収

1928

煙草のめのめ

其一

 

煙草のめのめ、空まで煙せ

どうせ、この世は癪のたね

  煙よ、煙よ、ただ煙

  一切合切、みな煙

 

煙草のめのめ、照る日も曇れ

どうせ、一度は涙雨

  煙よ、煙よ、ただ煙

  一切合切、みな煙

 

煙草のめのめ、忘れて暮らせ

どうせ、昔はかへりやせぬ

  煙よ、煙よ、ただ煙

  一切合切、みな煙

 

煙草のめのめ、あの世も煙れ

どうせ、亡くなりや野の煙

  煙よ、煙よ、ただ煙

  一切合切、みな煙

 

其二

 

煙草よくよく 横目で見たら

好きなお方も、また煙草。

  煙よ、煙よ、ただ煙

  一切合切、みな煙

 

煙草付けよか、紅つけませうか、

紅ぢやあるまい、脂であろ。

  煙よ、煙よ、ただ煙

  一切合切、みな煙

 

煙草ぶかぶかキッスしてゐたら、

鼻のパイプに、火をつけた。

  煙よ、煙よ、ただ煙

  一切合切、みな煙

 

北原白秋

白秋愛唱歌集」所収

1919

生ひ立ちの歌

   Ⅰ

 

    幼 年 時

私の上に降る雪は

真綿のようでありました

 

    少 年 時

私の上に降る雪は

霙のようでありました

 

    十七〜十九

私の上に降る雪は

霰のように散りました

 

    二十〜二十二

私の上に降る雪は

雹であるかと思われた

 

    二十三

私の上に降る雪は

ひどい吹雪とみえました

 

    二十四

私の上に降る雪は

いとしめやかになりました……

 

   Ⅱ

 

私の上に降る雪は

花びらのように降ってきます

薪の燃える音もして

凍るみ空の黝む頃

 

私の上に降る雪は

いとなよびかになつかしく

手を差伸べて降りました

 

私の上に降る雪は

熱い額に落ちもくる

涙のようでありました

 

私の上に降る雪に

いとねんごろに感謝して、神様に

長生したいと祈りました

 

私の上に降る雪は

いと貞潔でありました

 

中原中也

山羊の歌」所収

1934

帽子

学校の帽子をかぶつた僕と黒いソフトをかぶ

つた友だちが歩いてゐると、それを見たもう

一人の友だちが後になつてあのときかぶつて

ゐたソフトは君に似あふといひだす。僕はソ

フトなんかかぶつてゐなかつたのに、何度い

つても、あのとき黒いソフトをかぶつてゐた

といふ。

 

立原道造

手製詩集「日曜日」所収

1933

接吻

ロシヤ人よ

君達の国では

──たふれるまで飲んでさわいだ(註1)

あのコバーク踊りは、もうないだらう。

だが悲しむな、

ドニヱプルの傍には

君等の心臓は高鳴り、踊つてゐるだらうから、

君等は飛び立つた、夜鶯のために悲しむな、

よし夜鶯はゐなくても

幸福な夜は君等のためにやつてきてゐるから、

君はもつと君等の国のシラミの為めにたたかへ、

それとも君等はシラミ共の

追ひ出しの仕事を

すつかり終つたとでもいふのか、

我々の国では追ひ出しどころか、

我々のところは──シラミそのものなんだ、

いま私の机の上にはロシアの同志、

君たちの優秀な詩人、

ベズイミンスキイと

ジャーロフと

ウートキンと

三人で撮つた写真が飾つてある、

私はいまそれに接吻した、

接吻──それは私の国の

習慣に依る愛情のあらはし方ではない、

東洋では十米突離れて

ペコリと頭をさげるのだ、

貴重な脳味噌の入つた頭を──。

肉体の熱さを伝ひ合ふ握手さへしない、

挨拶にかぎらないだらう、

我々の国ではすべてが形式的で

すべてがまだ伝統的だ、

あゝ、だが間もなく我々若者の手によつて

これらの習慣はなくなるだらう、

しかも新しい形式は始まり

新しい伝統は既に始まつてゐる

我々は目に見えてロシア的になつた、

ザーのロシアではなく

君たちのロシアに──。

ロシア人よ、

私の耳にはドニイブルの水の響はきこえない

きこえるものは我々の国の

凶悪な歌ごゑ叫びごゑだ、

ただ私はドニイブルの水の響を

心臓の中に移したいと思ふ、

私はそのやうにも高い感情を欲してゐる、

君よ、シラミと南京虫のために――、

世界共通の虫のために――、

たがひに自分の立つてゐる土地の上から

共同でこれらの虫を追はう、

ロシア人よ、

君は仕事部屋で手を差出せ

私は私の仕事部屋でそれを握る、

間髪を入れない

同一の感情の手をもつて――、

それはおそらく電気の手だらう、

更に接吻をおくらう、

――人間と鳩とアヒル(註2)の習慣を、

接吻

おゝ、衛生的ではないが

なんと率直な感情表現

もつとも肉体的な挨拶よ、

われわれは東洋流に十米突離れて

たたかつて来たが

いま我々は肉体を打ちつけて争ひ始めた、

我々のところの現実がそれを教へた、

我々はだまつて接近し

君の国の習慣のやうに

我々はかたく手を握り合ふ、

我々もあるひは君等のやうに接吻し合ふだらう、

男同志の、鬚ツラの勝利の接吻

おゝ、なんとそれは素晴らしいことよ。

 

  (註1)ベズイミンスキイの詩『悲劇の夜』の一節、コパーク踊は旧ロシアの農民踊

  (註2)『接吻の習慣のあるものは、人間と斑鳩と家鴨だけだといはれてゐる』ヴォルテール

 

小熊秀雄

小熊秀雄詩集」所収

1935