帰来

僕はゐる さまざまの場所に
昔のままのやさしい手に
責められたり 抱かれたりしながら

僕はそこにもゐる
酸っぱいスカンポの茎のなかに
それを折るときのうつろな音のなかに

僕はそこにもゐる
柿若葉の下かげに
陽のあたる石の上に
トカゲみたいに臆病さうに

僕はそこにもゐる
ながれのほとりの草の上に
とらえそこねた幸福のやうに
魚の光る水の中に

僕はそこにもゐる
土蔵のかげ 桑の葉のかげに
アイヌ人みたいに
口のほとりに桑の実の汁の刺青をして

僕はそこにもゐる
小鳥が巣を編む樹の梢に
屋根の上に
略奪の眼を光らせて

僕はそこにもゐる
しその葉のいろのたそがれのなかに
とほくから草笛のきこえる道ばたに
人なつかしくネルの着物きて

ああ僕はそこにもゐる
井戸ばたのほのぐらいユスラウメの木の下に
人を憎んで
ナイフなんど砥いだりしながら

木下夕爾
「定本 木下夕爾詩集」所収
1966

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