夢からさめて

この夜更に、わたしの眠をさましたものは何の気配か。
硝子窓の向ふに、あゝ今夜も耳原御陵の丘の斜面で
火が燃えてゐる。そして それを見てゐるわたしの胸が
何故とも知らずひどく動悸うつのを感ずる。何故とも知らず?
さうだ、わたしは今夢をみてゐたのだ、故里の吾古家のことを。
ひと住まぬ大き家の戸をあけ放ち、前栽に面した座敷に坐り
独りでわたしは酒をのんでゐたのだ。夕陽は深く廂に射込んで、
それは現の日でみたどの夕影よりも美しかつた、何の表情もないその冷たさ、透明さ。
そして庭には白い木の花が、夕陽の中に咲いてゐた
わが幼時の思ひ出の取縋る術もないほどに端然と……。
あゝこのわたしの夢を覚したのは、さうだ、あの怪しく獣めく
御陵の夜鳥の叫びではなかつたのだ。それは夢の中でさへ
わたしがうたつてゐた一つの歌の悲しみだ。

かしこに母は坐したまふ
紺碧の空の下
春のキラめく雪渓に
枯枝を張りし一本の
木高き梢
あゝその上にぞ
わが母の坐し給ふ見ゆ

伊東静雄
詩集夏花」所収
1940

しなびた船

海がある、
お前の手のひらの海がある。
苺の実の汁を吸ひながら、
わたしはよろける。
わたしはお前の手のなかへ捲きこまれる。
逼塞した息はお腹の上へ墓標をたてようとする。
灰色の謀叛よ、お前の魂を火皿の心にささげて、
清浄に、安らかに伝道のために死なうではないか。

大手拓次
藍色の蟇」所収
1936

首の無い男

   ● ●●●●●煙突
            屋根
              屋根
               黒ずんだ屋根の下で
        俺は麻酔者のやうな状態で
         見えない鎖を
    腰のまはりから引きち切つてゐる

獣のやうな瞳
   四角の肩の下にある乳房
鹿のやうな女をつれた紳士
  ——腐れた肺が胸にせはしく動いてゐる
  ——頬つぺたの青い林檎色
両側から噴き出す食糧品と香水の匂ひ

俺は オモチヤのやうに
  廻転つてゐる外景の下積みで
ア—————ア
●●●●●黒煙の街巷に
    今日から
  ? ? ? ? ? ? ? ? ?
俺は 俺は 俺は 俺は 俺は 俺は

「キ―サ―マ―ハ―タレダ!!」
 「摑首された
    荒れた都会の川底に
  蟹のやうに ネムルオトコ!」
「恐怖と\
     \飢餓の食ひちがつた寝床で
  墓場へ 墓場へ
ハイ ユカウトオモツテ
         ユケナイ オトコ!」
ヅドンと 午砲が
  腹部とアタマの頂点で鳴つた!
外景が凹んで
   グルリと廻つた!

萩原恭次郎
死刑宣告」所収
1925

こころ

こころをばなににたとへん
こころはあぢさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。

こころはまた夕闇の園生のふきあげ
音なき音のあゆむひびきに
こころはひとつによりて悲しめども
かなしめどもあるかひなしや
ああこのこころをばなににたとへん。

こころは二人の旅びと
されど道づれのたえて物言ふことなければ
わがこころはいつもかくさびしきなり。

萩原朔太郎
純情小曲集」所収
1925

狐は尾を水に濡らさないそうだ
たとい 獵師や熊に追い駈けられて
倉皇と谷の流れを横切るときでも
あの重いふさふさした尾を巧みに捌いて
飛沫の一滴にも濡らさないさうだ

ところで 或る時 私はこの眼で見た
一匹の狐が慎重に川瀬を徒渉り
あわや 向う岸にとどくという間際に
いかなる不運に魅入られたのか
ふらりと 尾の先端を水面に垂れたのを

刹那狐は襲われたかのように
躍り上がつて いつさんに夕霧の中に隱れたが
不思議に しばらく 私には見えてゐた
霧のむかふで どんなに彼が悔いてゐたか
悔いに悶えながら走りつづけてゐたかが

丸山薫
北国」所収
1946

冬の長門峡

長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。

われは料亭にありぬ。
酒酌みてありぬ。

われのほか別に、
客とてもなかりけり。

水は、恰も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。

やがても密柑の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。

ああ! ――そのような時もありき、
寒い寒い 日なりき。

中原中也
在りし日の歌」所収
1938

この島 何貫あるだろう
てのひらにのせて量りたいほどだ
瀬戸内海の名も無い島
それで一向浪にもつてゆかれもしない

予の家族十二人
総計百五十貫あまりあるとして
さて この島へ引移り
畑でも耕してくらしを立てるか

この島 どうやら歪みさうだ
この島 呻きごゑ立てさうだ
じつさいは百五十貫あまりでも
くらしを立てるとなると量り知れない重さとなる

七千万あまり犇く人間をのせて
よくぞまあ 沈まず浮いてゐられる
日本の四つの島 島 島
裾を水につけて
研ぎすました富士山などをのつけてゐる

竹中郁
竹中郁詩集」所収
1932

ゆふすげびと

かなしみではなかつた日のながれる雲の下に
僕はあなたの口にする言葉をおぼえた、
それはひとつの花の名であつた

それは黄いろの淡いあはい花だつた、
僕はなんにも知つてはゐなかつた

なにかを知りたく うつとりしてゐた、
そしてときどき思ふのだが一体なにを
昨日の風は鳴つてゐた、林を透いた青空に
かうばしい さびしい光のまんなかに
あの叢に咲いてゐた、そうしてけふもその花は
思ひなしだか 悔ゐのやうに――。
しかし僕は老いすぎた 若い身空で
あなたを悔ゐなく去らせたほどに! 

立原道造
拾遺詩編」所収
1939

自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

茨木のり子
自分の感受性くらい」所収
1977

川のほとりに

どこからか わたしは見ている
体重のない人たちが
この岸からあの岸へ
一度かぎり運ばれていくのを

水は澄み きめこまかくねっとりとして
渡し守が櫂をうごかしてもしぶきが飛ばない
舟のうえの人びとはたぶん《魂》なのだろうに
まるで魂の抜けた人のようだ

深い眠りのなかにあるように
うっすらと口をあけている
忘れ川の水をのむまでもなく
おそらく記憶を失いつくして

あの老女たちはみな母に似ている
とすればわたしもかれらにうそ似ているのであろうか
夢が夢に似るほどの似通いかたで
うっすらと口をひらいて

そしてどちらの岸から
わたしは見ているのであろうか
へさきにとまった蜻蛉が うすい翅で
広大な午後の重みを量っている

多田智満子
川のほとりに」所収
1998