おかんはたつた一人
峠田のてつぺんで鍬にもたれ
大きな空に
小ちやいからだを
ぴよつくり浮かして
空いつぱいになく雲雀の声を
ぢつと聞いてゐるやろで
里の方で牛がないたら
ぢつと余韻に耳をかたむけてゐるやろで
大きい 美しい
春がまはつてくるたんびに
おかんの年がよるのが
目に見えるやうで かなしい
おかんがみたい
坂本遼
「たんぽぽ」所収
1927
おかんはたつた一人
峠田のてつぺんで鍬にもたれ
大きな空に
小ちやいからだを
ぴよつくり浮かして
空いつぱいになく雲雀の声を
ぢつと聞いてゐるやろで
里の方で牛がないたら
ぢつと余韻に耳をかたむけてゐるやろで
大きい 美しい
春がまはつてくるたんびに
おかんの年がよるのが
目に見えるやうで かなしい
おかんがみたい
坂本遼
「たんぽぽ」所収
1927
うえからまっすぐ
おしこまれて
とんとん背なかを
たたかれたあとで
行ってしまえと
いうことだろうが
それでおしまいだと
おもうものか
なべかまをくつがえしたような
めったにないさびしさのなかで
こうしておれは
つっ立ったままだ
おしこんだ棒が
はみだしたうえを
とっくりのような雲がながれ
武者ぶるいのように
巨きな風が通りすぎる
棒をのんだやつと
のませたやつ
なっとくづくのあいまいさのなかで
そこだけ なぐりとばしたように
はっきりしている
はっきりしているから
こうしてつっ立って
いるのだ
石原吉郎
「石原吉郎詩集」所収
1969
山は美しい夕焼
女はナプキンをたたんでゐる
椅子にかけた その女は膝を組み重ねる
すると腿のあたりが はっきりして燃え上るやうだ
食卓 頑丈で磨きのよくかかった栗の木の食卓に
白い皿 ぎんのスプーン ナイフ フォーク
未だあかるい厨房では 姫鱒をボイルしてゐる
夕暮の空気に 女の髪の毛がシトロンのやうに匂い 快い興奮と
何かしら身うちに
熱るものをわきたてる
山は美しい夕暮
女はナプキンに 美しい夕焼をたたんでゐる
田中冬二
「晩春の日に」所収
1961
いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッと噛んで
身体をこわばらせて—–。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持で
美しい夕焼けも見ないで。
吉野弘
「吉野弘詩集」所収
1971
学校を卒えて 歩いてきた十幾年
首を回らせば学校は思ひ出のはるかに
小さくメダルの浮彫のやうにかがやいてゐる
そこに教室の棟々が瓦をつらねてゐる
ポプラは風に裏反つて揺れてゐる
先生はなにごとかを話してをられ
若い顔達がいちやうにそれに聴入つてゐる
とある窓辺で誰かが他所見をして
あのときの僕のやうに呆然こちらを眺めてゐる
彼の瞳に 僕のゐる所は映らないだらうか?
ああ 僕からはこんなにはつきり見えるのに
丸山薫
「物象詩集」所収
1941
赤いろにふちどられた
大きい青い十字花が
つぎつぎにいっぱい宙に咲く
きれいな花ね たくさんたくさん
ちがうよ おホシさんだよ おかあさん
まんなかをすっと線がよこぎって
遠く右のはしに棒が立つ
ああ野の電線
ひしゃげたようなあわれな家が
手まえの左のすみっこに
そして細長い窓ができ その下は草ぼうぼう
ぼうやのおうちね
うん これがお父さんの窓
性急に余白が一面くろく塗りたくられる
晩だ 晩だ
ウシドロボウだ ゴウトウだ
なるほど なるほど
目玉をむいたでくのぼうが
前のめりに両手をぶらさげ
電柱のかげからひとりフラフラやってくる
くらいくらい野の上を
星の花をくぐって
伊東静雄
「伊東静雄詩集」所収
1953
春の野に
かなしいこころを捨てた。
ふりかへると
そこが怪物のやうに
明るくなツてゐる。
岡崎清一郎
1986
かおをつぶされて死んだ少女に化粧してやると みょうに茫大な原っぱになってしまって おやたちもめがくらんでしまったのか ガランとつったったまま哭くのをやめてしまったのでそこだけつぼみのようにひらいたくちびるをのこして火をつけてみなといってやったのだ
岡安恒武
「湿原 岡安恒武詩集」所収
1971
あまだれのおとは
とおく ちかく きれぎれな過去のおと
こどものころ
てるさんにつれられてみにいつた
しながわのドックのおと
てるさんがおしえてくれた
あさがほのつぼみを吹いてあそぶおと
ビーだまのおと
りんかのピアノ
らくてんちではじめておぼえた
コルクをぬいてあわをのむおと
いえをでたあの日のざいもくおきば
レインコートにあめのふるおと
それはまたかぎりないあしたを予想して
ひとりゆのみに湯をそそぐおと
あまだれのおと
かんおけにくぎをうつおと
とおく ちかく きれぎれにおちる
うんめいのあしおと
花田英三
「あまだれのおとは・・・・」所収
1954