つけもののおもし

つけものの おもしは
あれは なに してるんだ

あそんでるようで
はたらいてるようで

おこってるようで
わらってるようで

すわってるようで
ねころんでいるようで

ねぼけてるようで
りきんでるようで

こっちむきのようで
あっちむきのようで

おじいのようで
おばあのようで

つけものの おもしは
あれは なんだ

まどみちお
てんぷらぴりぴり」所収
1968

燈台

      一

そらのふかさをのぞいてはいけない。
そらのふかさには、
神さまたちがめじろおししてゐる。

飴のやうなエーテルにただよふ、
天使の腋毛。
鷹のぬけ毛。

青銅の灼けるやうな凄じい神さまたちのはだのにほひ。秤。

そらのふかさをみつめてはいけない。
その眼はひかりでやきつぶされる。

そらのふかさからおりてくるものは、永劫にわたる権力だ。

そらにさからふものへの
刑罰だ。

信心ふかいたましひだけがのぼる
そらのまんなかにつつたつた。
いつぽんのしろい蝋燭。
――燈台。

      二

それこそは天の燈守。海のみちしるべ。
(こころのまづしいものは、福なるかな。)
包茎。
禿頭のソクラテス。
薔薇の花のにほひを焚きこめる朝燉の、燈台の白堊にそうて辷りながら、おいらはそのまはりを一巡りする。めやにだらけなこの眼が、はるばるといただきをながめる。

神……三位一体。愛。不滅の真理。それら至上のことばの苗床。ながれる瑠璃のなかの、一滴の乳。

神さまたちの咳や、いきぎれが手にとるやうにきこえるふかさで、
燈台はたゞよひ、

燈台は、耳のやうにそよぐ

      三

こころをうつす明鏡だといふそらをかつては、忌みおそれ、
――神はゐない。
と、おろかにも放言した。
それだのにいまこの身辺の、神のいましめのきびしいことはどうだ。 うまれおちるといふことは、まづ、このからだを神にうられたことだつた。 おいらたちのいのちは、神の富であり、犠とならば、すゝみたつてこのいのちをすてねばならないのだ。
……………………。
……………………。

つぶて、翼、唾、弾丸、なにもとどかぬたかみで、安閑として、
神は下界をみおろしてゐる。
かなしみ、憎み、天のくらやみを指して、おいらは叫んだ。
――それだ。そいつだ。そいつを曳づりおろすんだ。

だが、おいらたち、おもひあがつた神の冒涜者、自由を求めるもののうへに、たちまち、冥罰はくだつた。
雷鳴。
いや、いや、それは、
燈台の鼻つ先でぶんぶんまはる
ひつつこい蝿ども。
威嚇するやうに雁行し、
つめたい歯をむきだしてひるがへる

一つ
一つ
神託をのせた
五台の水上爆撃機。

金子光晴
」所収
1935

母という字を書いてごらんなさい

母という字を書いてごらんなさい
やさしいように見えて むずかしい字です
格好のとれない字です
やせすぎたり 太りすぎたり ゆがんだり
泣きくずれたり…笑ってしまったり
お母さんにはないしょですが
ほんとうです

サトウハチロー
おかあさん」所収
1961

エスカレーター


エスカレーターがめずらしかったころ
ぞうりをぬいで
白い足袋すがたになり
きぜんとして
エスカレーターのなかへ消えていった
おばさんをみたことがあります

ぞうりはぬぎすててあったように
記憶しています
でも、そんなことはないでしょうね
ぞうりをしっかり手にもって
暗いエスカレーター上の人となり
ななめうえの世界へ
すがたを消したのにちがいありません

エスカレーターがめずらしかったころ
それはたいてい暗いところにありました
とくにフロアーから
フロアーへ
くぐりぬけるときは
まっくらになります
あの恐さをいまでも忘れることができません

エスカレーター教育ということばがあります
知っていますか
エスカレーターには
くだりもあるのですよ


エスカレーターは
やがて終点に来ます
われわれの身をのせているてっぱんが
いちまいいちまい
フロアーにすいこまれてゆきます
ふと
人生の「終点」を思うのです

いつまでもあのてっぱんにのっていると
どうなりますか
われわれの身は
フロアーのすきまにすいこまれて
うらがわ
知らない世界へ行ってしまうのかも知れません

エスカレーターの夢を
見たことはありませんか
らせん状になっていることもあれば
おどりばで
くるりとむきをかえて
こちらへ向かってくることもあります
「おどりば」って
人生を感じませんか

エスカレーターのてっぱんは
ほんとうのことをいうと
機械のうらがわをくぐって
また「出発点」にでてくるのですね

藤井貞和
ピューリファイ!」所収
1984

落葉松

からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。

からまつの林を出でて、
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。

からまつの林の奥も、
わが通る道はありけり。
霧雨のかかる道なり。
山風のかよふ道なり。

からまつの林の道は、
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。

からまつの林を過ぎて、
ゆゑしらず歩みひそめつ。
からまつはさびしかりけり、
からまつとささやきにけり。

からまつの林を出でて、
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
からまつのまたそのうへに。

からまつの林の雨は、
さびしけどいよよしづけし。
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡るるのみなる。

世の中よ、あはれなりけり。
常なけどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。

北原白秋
水墨集」所収
1923

古い機織部屋

ふりむくとき
古い機織部屋が見える。
 (あれは、おかあさんの機織部屋)

ふりむくとき
機を織る音がきこえる。
 (あの部屋で、おかあさんが機を織っていた)

ふりむくとき
古い大きな屋敷が見える。畑が見える。山が見える。
 (あれは おかあさんの 生れた家 生れた村。)

ふりむくとき
鐘の音がきこえる。
 (あれは 三十年前の夕暮れ 時は連続し このように不連続)

ふりむくとき
海辺の山が見える。
 (あそこには おかあさんの墓がある。)

ふりむくとき
波の音がきこえる。
 (あそこで おかあさんと貝がらを ひろった)
 
ふりむくな、ふりむくな
無量の愛をうちにしたときに、別れを告げよう。
 (わたしたちは前へ すすまなければ ならないから)

大江満雄
「機械の呼吸」所収
1955

鴉猫

あら あの方がいない
村長さんの娘がいった
忘れていたからだわ
ふたりで肩をすぼめあった
暗い片隅に ギラギラ光るものが二つある
注意してみると
そこに鴉猫が一匹いて
いまにも襲いかかろうとしてみがまえている
あのかたよ
村長さんの娘が叫んだ

小松郁子
「鴉猫」所収
1979

お団子のうた ─母とは何故こうもあわれが残るものなのか─

病弱な小さい娘が育つように と
後家になりたての若い女は
笠森稲荷へ生涯のお団子を断った

神仏を信じるには
神仏にそむかれすぎた母が
その故に迷信を一切きらった母が
「断ちもの」をしたということに
娘はいつも重い愛情の負い目を感じてきた
串がなくとも丸いアンコの菓子に
「××団子」とうたってあれば
老いても女はかたくなにそれを拒んだ
「約束は守るためにするもの」
せっぱつまった愚かな母の愛を
賢い人間の信条が芋刺しにして
女の幸うすい一生は閉じられた

毎月十七日
娘は母の命日に必らずお団子を供えるのだ
 義理固かったお母さん
 あなたはいろいろな約束を守りすぎて
 身動きの出来ない人生を送りましたね
 でも もう みんなおしまい
 あなたを苦しめぬいた人間の約束事は
 人間でなくなったあなたには無用のもの
 さあ 一生涯分お団子を食べて!

明治の女の律気なあわれさ
娘は片はしからお団子をほほばっては
親のカタキ 親のカタキ と
とめどのない涙をながしつづけた

山下千江
「山下千江詩集」所収
1967

西武園所感 ─ ある日ぼくは多摩湖の遊園地に行った

詩は十月の午後
詩は一本の草 一つの石
みみっちく淋しい日本の資本主義
ぼくらに倒すべきグラン・ブルジョアがないものか
そうだとも ぼくらが戦うべきものは 独占である
生産手段の独占 私有生産手段である
独占には大も小もない すでに
西武は独占されているのだ

君がもし
詩を書きたいなら ペンキ塗りの西武園をたたきつぶしてから
書きたまえ

詩で 家を建てようと思うな 子供に玩具を買ってやろうと
思うな 血統書づきのライカ犬を飼おうと思うな 諸国の人心にやすらぎをあたえようと思うな 詩で人間造りができると思うな

詩で 独占と戦おうと思うな
詩が防衛の手段であると思うな
詩が攻撃の武器であると思うな
なぜなら
詩は万人の私有
詩は万人の血と汗のもの 個人の血のリズム
万人が個人の労働で実現しようとしているもの
詩は十月の午後
詩は一本の草 一つの石
詩は家
詩は子供の玩具
詩は 表現を変えるなら 人間の魂 名づけがたい物質
必敗の歴史なのだ

いかなる条件
いかなる時と場合といえども
詩は手段とはならぬ
君 間違えるな

田村隆一
「言葉のない世界」所収
1962

晩夏

停車場のプラットホームに
南瓜の蔓が葡いのぼる
閉ざれた花の扉のすきまから
てんとう虫が外を見ている
軽便車が来た
誰も乗らない
誰も下りない
柵のそばの黍の葉つぱに
若い切符きりがちょっと鋏を入れる

木下夕爾
「定本 木下夕爾詩集」所収
1966