枯野の旅

乾きたる
落葉のなかに栗の實を
濕りたる
朽葉がしたに橡の實を
とりどりに
拾ふともなく拾ひもちて
今日の山路を越えて來ぬ

長かりしけふの山路
樂しかりしけふの山路
殘りたる紅葉は照りて
餌に餓うる鷹もぞ啼きし

上野の草津の湯より
澤渡の湯に越ゆる路
名も寂し暮坂峠

   ○

朝ごとに
つまみとりて
いただきつ

ひとつづつ食ふ
くれなゐの
酸ぱき梅干

これ食へば
水にあたらず
濃き露に卷かれずといふ

朝ごとの
ひとつ梅干
ひとつ梅干

   ○

草鞋よ
お前もいよいよ切れるか
今日
昨日
一昨日
これで三日履いて來た

履上手の私と
出來のいいお前と
二人して越えて來た
山川のあとをしのぶに
捨てられぬおもひもぞする
なつかしきこれの草鞋よ

   ○

枯草に腰をおろして
取り出す參謀本部
五萬分の一の地圖

見るかぎり續く枯野に
ところどころ立てる枯木の
立枯の楢の木は見ゆ

路は一つ
間違へる事は無き筈
磁石さへよき方をさす

地圖をたたみ
元氣よくマツチ擦るとて
大きなる欠伸をばしつ

   ○

頼み來し
その酒なしと
この宿の主人言ふなる

破れたる紙幣とりいで
お頼み申す隣村まで
一走り行て買ひ來てよ

その酒の來る待ちがてに
いまいちど入るよ温泉に
壁もなき吹きさらしの湯に

若山牧水
若山牧水全集」所収
1928

網を投げる人

わたしはひねもす
あみをなげる
あみはおともたてないで
しづかにおりる
めにみえないあみ
わたしはあみのなかにゐる
それをひきよせるので
どこかで
おほきなてがうごいてゐる

山村暮鳥
「山村暮鳥全集」所収
1924

アンコとの対話

  アンコと呼べど其名を知らず少年は十二歳なりと云ふ。手に鞭をもちて日毎
  に牛を牧す。此詩は或朝彼と語りて、帰るさに成れるものなり。

「アンコよ
君に問ふことあり」
我れ此く云ひて彼と皆に
青野が上にねころびぬ。

日は晴れたり
大空は光のみ・・・・・
いかで其処に
何もなし。

「アンコは日毎此処に居て
何も考へることなきや
仕事の暇は
何時何時ぞ」

「我れは十時半来れば
牛をみな入れるなり
されば我れは此処に居て
其事より考へず。」

「されば今ここに
神ありと思はずや
アンコよ、日は照りて
牧場の露は乾くなり。」

アンコ答へて
「否、我れは神を見ざるなり
ただ知るは此の牧場にて
また彼の光のみ。

正午近くなれば
我れは太陽を仰ぎ
この萋々としたる草に
気ままに居るを喜ぶなり。

牛の数は十に余り
そは皆犢なるが
其一つはなほ病みて
気づかはしくぞ思ふなる。

彼等は二歳、また一歳
崖の端まで善く走る
彼等の脚は勁健ゆゑ
なかなか追へず。

其時崖の上に
簇がる雲の美しし
我れは其の輝きを
早く見んとて走るなり。」

「さればあの崖の上に
何を見しや」
「そは雲なりしかば
我れは雲を見て楽しとおもふ」

「アンコよ、冬が来て雪積らば
いかに恐ろしからんぞ」
「さなり、海風は
げに恐ろし。

海風が吹かば
我手は凍ゆべし、
されど其季来れば牛は子舎につき
我れも温かに休み得なり。」

「さらばアンコよ、これらの犢
もしアンコの所有ならば楽しからん」
我れかく云へば
彼はほほゑむ面持して答ふ
「否、然かあるも同じからん。」

三木露風
「良心」所収
1915

コツトさんのでてくる抒情詩

子どもも見てゐる、
母も見てゐる。
けさ。湖水がはじめて凍つた。
水はもううごかない。
ラムネ玉のやうに。

母は氷のうえをすべつてみたいといふ。
子どももまねをして
一寸さう思ってみる。
だが、子どもは寒がり屋。

厚い氷の板の下は、
牛乳色に煙る。
死者の眼のくまのやうな
そこふかいみどりいろ。
底の底を支へた水が、たえず
水に曳きずられてゐるのだ。
この氷盤をま二つに割るものは
めぐりくる春より他にはない。

――戦争は慢性病です。
コツトさんはいふ。
――冬がすめば、春がきますよ。

子どもよ。信じて春を待たう。
だが、正直、この冬は少々
父や母にはながすぎる。

子どもにはとりかへす春があるが、
父や母に、その春はよそのものだ。
大切な人生の貴重な部分を
吹き荒れた嵐が根こそぎにした。

コツトさんはながいからだを
病気で、床によこたえてゐる。
米ありません。
薪ありません。

いま世の中をかすめてゐるものは
絶滅の思想だ。
杪に嘯き、虚空に渦巻いてゐるものは。

日没は弱陽で枯れ林を焚く。
暮れ方の風の痛さ。
すきま風漏る障子をしめて、
子どもはきいてゐる。
母はきいてゐる。

不安定な湖の氷が
風にゆられてきしみながら、
吼えるやうに泣くのを。
洞窟にこだまするやうに
氷と氷が身をすつて悶えるのを。

金子光晴
」所収
1948

六月

どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ 籠をおき
男も女も大きなジョッキをかたむける

どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮は
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

どこかに美しい人と人の力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる

茨木のり子
見えない配達夫」所収
1958

選択

<世界に深入りしたくない>
と言った さびしいひとは
逃げて行った たぶん
もうひとつの ”世界”のはうへ

深入りする まさにそのことが
わたしには いちばんまぶしい
願ひだったのに

ガラス扉にさへぎられて
黄金の葉ずゑが光り
”世界”は音もなく溢れつづけ
そのふちに ゆれながらふみとどまって

そしていま たうとう深入りできたよ! と
つぶやきながらガラスを破る
わたしに 待ってゐた風が流れこみ

(掌の傷を舐めながら)
逃げて行ったひとに
電話をかける

<死んだあとの 幸せの味は
いかがですか
こちらやっと不幸
まだ 肥りすぎてゐないなら
会ひませう いちど>

吉原幸子
「夜間飛行」所収
1978

比良のシャクナゲ

むかし写真画報という雑誌で〝比良のシャクナゲ〟
の写真をみたことがある。そこははるか眼下に鏡のよう
な湖面の一部が望まれる比良山系の頂きで、あの香り高
く白い高山植物の群落が、その急峻な斜面を美しくおお
っていた。
その写真を見た時、私はいつか自分が、人の世の生活の
疲労と悲しみをリュックいっぱいに詰め、まなかいに立
つ比良の稜線を仰ぎながら、湖畔の小さい軽便鉄道にゆ
られ、この美しい山巓の一角に辿りつく日があるであろ
うことを、ひそかに心に期して疑わなかった。絶望と孤
独の日、必ずや自分はこの山に登るであろうと――。
それからおそらく十年になるだろうが、私はいまだに比
良のシャクナゲを知らない。忘れていたわけではない。
年々歳々、その高い峰の白い花を瞼に描く機会は私に多
くなっている。ただあの比良の峰の頂き、香り高い花の
群落のもとで、星に顔を向けて眠る己が睡りを想うと、
その時の自分の姿の持つ、幸とか不幸とかに無縁な、ひ
たすらなる悲しみのようなものに触れると、なぜか、下
界のいかなる絶望も、いかなる孤独も、なお猥雑なくだ
らぬものに思えてくるのであった。

井上靖
北国」所収
1958

栗の木

どの恋人と行つても
僕の言葉が同じだつたやうに
僕に抱かれて夢みるそぶりをする恋人の
その額の上に
やはらかい木もれ日を
そよそよと降らせるのでした
僕にとつてはやさしい一本の木なのです
山の上の小道をたどりながら
人の心をとらへるために
だんだん僕が人に迫り
そのからだを支へるのを
緑の葉をそよがせて招いてくれた
あの栗の木は
今日 ひどい胸の破れに
一人で僕がそこへ行くと
無残にも切りたふされてゐて
僕はその上にまたがつて
共犯者の死を泣くだけでした

小山正孝
「逃げ水」所収
1955

マダム・レインの子供

マダム・レインの子供を
他人は見ない
恐しい子供の体操をするところを
見たら
そのたびぼくらは死にたくなる
だからマダム・レインはいつも一人で
買物に来る
歯ブラシやネズミ捕りを
たまには卵やバンソウコウを手にとる
今日は朝から晴れているため
マダム・レインは子供に体操の練習をさせる
裸のマダム・レインは美しい
でもとても見られない細部を持っている
夏ならいいのだが
雪のふる夜をマダム・レインは分娩していたんだ
うしろからうしろからそれは出てくる
形而上的に表現すれば
「しばしば
肉体は死の器で
受け留められる!」
球形の集結でなりたち
成長する部分がそのまま全体といえばいえる
縦に血の線がつらなって
その末端が泛んでいるように見えるんだ
比喩として
或る魚には毛がはえていないが
或る人には毛がはえている
それは明瞭な生物の特性ゆえに
かつ死滅しやすい欠点がある
しかしマダム・レインの所有せんとする
むしろ創造しようと希っている被生命とは
ムーヴマンのない
子供と頭脳が理想美なのだ
花粉のなかを蜂のうずまく春たけなわ
縛られた一個の箱が
ぼくらの流している水の上を去って行く
マダム・レインはそれを見送る
その内情を他人は問わないでほしい
それは過ぎた「父親」かも知れないし
体操のできない未来の「子供」かも知れない
マダム・レインは秋が好きだから
紅葉をくぐりぬける

吉岡実
サフラン摘み」所収
1976

雲雀

ひねもす空で鳴りますは
あゝ 電線だ、電線だ
ひねもす空で啼きますは
あゝ 雲の子だ、雲雀奴だ

碧い 碧い空の中
ぐるぐるぐると 潜りこみ
ピーチクチクと啼きますは
あゝ 雲の子だ、雲雀奴だ

歩いてゆくのは菜の花畑
地平の方へ、地平の方へ
歩いてゆくのはあの山この山
あーをい あーをい空の下

眠つてゐるのは、菜の花畑に
菜の花畑に、眠つてゐるのは
菜の花畑で風に吹かれて
眠つてゐるのは赤ン坊だ?

中原中也
在りし日の歌」所収
1936