アンコとの対話

  アンコと呼べど其名を知らず少年は十二歳なりと云ふ。手に鞭をもちて日毎
  に牛を牧す。此詩は或朝彼と語りて、帰るさに成れるものなり。

「アンコよ
君に問ふことあり」
我れ此く云ひて彼と皆に
青野が上にねころびぬ。

日は晴れたり
大空は光のみ・・・・・
いかで其処に
何もなし。

「アンコは日毎此処に居て
何も考へることなきや
仕事の暇は
何時何時ぞ」

「我れは十時半来れば
牛をみな入れるなり
されば我れは此処に居て
其事より考へず。」

「されば今ここに
神ありと思はずや
アンコよ、日は照りて
牧場の露は乾くなり。」

アンコ答へて
「否、我れは神を見ざるなり
ただ知るは此の牧場にて
また彼の光のみ。

正午近くなれば
我れは太陽を仰ぎ
この萋々としたる草に
気ままに居るを喜ぶなり。

牛の数は十に余り
そは皆犢なるが
其一つはなほ病みて
気づかはしくぞ思ふなる。

彼等は二歳、また一歳
崖の端まで善く走る
彼等の脚は勁健ゆゑ
なかなか追へず。

其時崖の上に
簇がる雲の美しし
我れは其の輝きを
早く見んとて走るなり。」

「さればあの崖の上に
何を見しや」
「そは雲なりしかば
我れは雲を見て楽しとおもふ」

「アンコよ、冬が来て雪積らば
いかに恐ろしからんぞ」
「さなり、海風は
げに恐ろし。

海風が吹かば
我手は凍ゆべし、
されど其季来れば牛は子舎につき
我れも温かに休み得なり。」

「さらばアンコよ、これらの犢
もしアンコの所有ならば楽しからん」
我れかく云へば
彼はほほゑむ面持して答ふ
「否、然かあるも同じからん。」

三木露風
「良心」所収
1915

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