コツトさんのでてくる抒情詩

子どもも見てゐる、
母も見てゐる。
けさ。湖水がはじめて凍つた。
水はもううごかない。
ラムネ玉のやうに。

母は氷のうえをすべつてみたいといふ。
子どももまねをして
一寸さう思ってみる。
だが、子どもは寒がり屋。

厚い氷の板の下は、
牛乳色に煙る。
死者の眼のくまのやうな
そこふかいみどりいろ。
底の底を支へた水が、たえず
水に曳きずられてゐるのだ。
この氷盤をま二つに割るものは
めぐりくる春より他にはない。

――戦争は慢性病です。
コツトさんはいふ。
――冬がすめば、春がきますよ。

子どもよ。信じて春を待たう。
だが、正直、この冬は少々
父や母にはながすぎる。

子どもにはとりかへす春があるが、
父や母に、その春はよそのものだ。
大切な人生の貴重な部分を
吹き荒れた嵐が根こそぎにした。

コツトさんはながいからだを
病気で、床によこたえてゐる。
米ありません。
薪ありません。

いま世の中をかすめてゐるものは
絶滅の思想だ。
杪に嘯き、虚空に渦巻いてゐるものは。

日没は弱陽で枯れ林を焚く。
暮れ方の風の痛さ。
すきま風漏る障子をしめて、
子どもはきいてゐる。
母はきいてゐる。

不安定な湖の氷が
風にゆられてきしみながら、
吼えるやうに泣くのを。
洞窟にこだまするやうに
氷と氷が身をすつて悶えるのを。

金子光晴
」所収
1948

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