さくら


さくらは天にむかって散っていく
せかいはひとつの網膜で
はなびらのひとつひとつは
そのぬるむせかいのはてなさを
おののくのだ

やがて鶴の群れとなり
はなびらは 死のひろがりへ
はばたいていく。

うすももいろというとき
その認識にまつわるはじらいは
さくらのはなびらの どこに
受けとめられるというのか

さくらのころ
わたしらに斜めにふりかかるひかりが
はなやかな風光を
ほのぐらい地平へ
うながすことがある

そのとき じつにわずかなときだが
さくらのはなびらは
わたしらの足もとを
どこにもないひかりでてらす

もはや わたしらは
背中にしずかにまわされた
みえないあつい手に
めまいする静寂
そのおそれの岸へといざなわれているのだ。

片岡文雄
「悪霊」所収
1969

羽の日

嗚呼、私はどうすれば良いのだろうか?
妻の体は白に包まれて行く
もう胸の辺りまで真っ白だ
深く息を吸うが肺は膨らめず
弱い呼吸を繰り返すしかない
私は妻の硬くなった太股を触る
微かにだが体温と拍動を感じる
体内は軟らかいままのようだ
だがそれを知った所でなんになるのだ?

私は布団の前で正座し
何日も風呂に入らず雲脂だらけの頭を掻き毟った
録に食事も寝もせずに妻の前でただこうやって
泣く事しか私にはもう思い付かないし出来やしない
そうする事で苦しむ妻と同じ立場になり
無力な私が許される
そんな気がしたのだ

私は何度も医者を呼んだ
だがしかし妻の容態を見るなり
急用を思い出したと行って帰って来ない
何時になったら戻って来るのだろうか
目の前で苦しむ妻よりも大事な用事とはなんなのだろう
ある医者を招き入れ妻に会わせると
背を向けて帰ろうとするので
私は彼の足をぎゅっと掴む
何処へ向かわれるのですか?
医者は私の腕を振り払い
知らないと言って家を出ていってしまった
それを最後に私は医者を呼ぶのを止めた
だが、どうしたら良いのか私は何も知らないままだ

最後に医者を呼んでから三度の日を跨いだ
もう起きているのか寝ているのか分からない
非常に曖昧で畳から浮いている
引き延ばされた時間の中に私は座っていた
その中で妻の絞った声が聞こえた
今までありがとうございます
その声を聞いた瞬間
私の視界に黒い幕が降りて来て
ぐるぐると意識が解けていった

目を覚ますと朝で
妻は安らかな顔で
頭の先まで真っ白になっていた
涙を既に枯らしていた私は
畳をひたすら殴った
皮膚を破り血が滲んでも
構わずに殴った
この何も出来ない私の手で妻の頬に触れる
すると硬い頬の奥に流れる物を感じた

私は急いで服を脱ぎ
妻の服を脱がせ割れないように抱いた
この温度を逃がさぬと抱いた
日なんて幾つ跨いだか分からない
ある朝に妻の白い体が内側から割れる
中から羽の生えた赤子が何体も飛び出し
私は驚いて尻餅を付く

暫く呼吸すら忘れていたが
その後直ぐに窓を開けて放してあげないといけないと思った
死んだ部屋の空気と沈んだ埃と一緒に
赤子達は空へと飛んでいった
きっと医者が言っていた知らないとは違う場所

カオティクルConverge!!貴音さん
現代詩投稿サイトBREVIEWより転載
2018

藪蚊

注射器いつぽんが身上
乙に
縞の胴衣なんか着込んでさ
患者には「瘤」と「痒み」を置土産に
せつせと稼ぐ うら藪から往診の藪医者どの

高祖保
「高祖保詩集」より
1945

四月

起きもしない
外はまばゆい
何だか静かに
失はれてゆく

原民喜
かげろふ断章」所収
1956

港の人

無は一つみたいだけれど
じつにたくさんある

必然をいくら細かに砕いてみても
ちっとも
偶然はでてこない

海の教訓は
とてもきびしい
でも
もっときびしくしてもいいとおもいながら

午後
やました公園をひとまわりして
部屋に帰って
静物の位置をすこしなおす

北村太郎
港の人」所収
1988

その言葉は
釘のように グイと
打ちこんできた

いや しかし と
言おうとしたのに

ふたゝび 奥へ
たゝきこんできた

そしてもう一発
ガーンと止めの一撃

もう動けなかった

杉山平一
「青をめざして」所収
2004

戦争の終り、
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。

美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられて。

とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)

それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。

石垣りん
「表札など」所収
1968

女医になつた少女

おそろしい世情の四年をのりきつて
少女はことし女子医専を卒業した。
まだあどけない女医の雛は背広を着て
とほく岩手の山を訪ねてきた。
私の贈つたキユリイ夫人に読みふけつて
知性の夢を青々と方眼紙に組みたてた
けなげな少女は昔のままの顔をして
やつぱり小さなシンデレラの靴をはいて
山口山のゐろりに来て笑つた。
私は人生の奥に居る。
いつのまにか女医になつた少女の眼が
烟るやうなその奥の老いたる人を検診する。
少女はいふ、
町のお医者もいいけれど
人の世の不思議な理法がなほ知りたい、
人の世の体温呼吸になほ触れたいと。
狂瀾怒涛の世情の中で
いま美しい女医になつた少女を見て
私が触れたのはその真珠いろの体温呼吸だ。

高村光太郎
「高村光太郎詩集」所収
1949

 水から空へ
 いつぽんの葦が立つ。
葦は、ふるへる。
まつすぐな茎から

葉の末端までが
こまかにふるへる。
突つ立つたまゝ投げ箭が
ふるへてゐるやうに。

まみづと
しほみづのなかで
ゆられる葦は
ねたり起きたりしながら

ふなべりをこすり
舟のあふりで
うちひろがる波紋が、
なかば、水につかつて

ねむつてゐる
千本、万本の葦を
つぎつぎに
ざわめかせる。

あゝことしほど
秋の水が
こゝろと目にしみた
ことはなかつた。

水底にひたされた
葦の根をおしわけて
水のにほひの
いざなふままに、
舟と僕は、すゝむ。
ちぎれちぎれに
とぶ雲のしたを、
ひろがる水のうへを。

けふまで僕を捕まへてゐた
五十何年のながさから
とき放された僕を
小舟は、はこび

小舟はたゞよひ
僕をあそばせる。
舟ぞこにねそべつて
僕は、おもふ。

僕からながれ去つた
五十何年は
葦洲のむかうに
渺茫とつづいて

けぢめもつかない。
それにしても
なにがあつた。
どんなことが。

水のながれにも似た
時のながれにおされ、
ゆく水の、おもひもかけぬ
底のはやさにさらはれ、

愛憎の
もつれのまゝに
うきつ、しづみつ、
なにをみるひまも僕にはなかつた。

しかし、おどろく程のことはない。
女たちの
やさしさ以外は
みんなつまらないことばかりだ。

葦の葉から
葦の葉へ
ぬけてゆく風のやうに、みんな
こけおどかしにすぎないのだ。

コップに挿した
花茎のやうに
ほそうでをまげて
ふふと、笑ひかける女、

僕からついと身を避けて、
ふりむきもせず、流れていつた
ゆきずりの女。
女たちは、みんな花だつた。

水は、
それをはこんだ。
どこへ。
それはしらない。

五十何年が
ながれ去つたあとの
からからになつた僕の
なんといふかるさ。

なんといふあかるさ。
水のうへをゆく心に、さあ
きいてみるがいゝ。
つゆほどの反逆がのこつてゐるかと。

金子光晴
「非情」所収
1955

Tender

二つの道がある
言い淀んだその後に惨めな川が生まれる
流れるでも滞留するでもない

軸のないカラダになってしまった
軸のないカラダになってしまった

例えなければ、それはただの
あまりにも
ただの

ん苛々するナァ

なんやようわからん植物を
ブドウと思って口に入れたときの
人生の方がよかった

食う前からまずいと決めて馬鹿野郎が
能書き垂れよる
能書き垂れよる

ワシわなぁ
轢き殺されたいときかあるんじゃ
気に食わんからのう
ズルしよるやろ
みんな、ズルしよるやろう
こんな世界で生きてナァ
何になるんや
そこのアンタ
詩なんか書いてアンタ
なんか答えてみぃや
黙っててよう、何のための詩ぃか

睨みつけてばっかり

人生が素晴らしいと言うんなら

心から誓えるか
叫べるんか

ゆうてみろや

派遣社員
泥だらけ途中下車
右膝ジーンズの穴
穴、穴ぼっこ
こりごりの穴ぼっこ
左膝、擦り切れた糸くず
有り金はたいて給料取りに行く
嘘みたいな巧妙
ヘルメット代、制服代
べんきょ出来ないからよくわからないけど何かの保険
言いくるめられた
そう言えばあの時も言い淀んだな

流れるでも滞留するでもない

軸のないカラダになってしまった
軸のないカラダになってしまった

例えなければ、それはただの
あまりにも
ただの

苛々する
苛々して何かしでかすくらいなら
そのまま竜巻にぶち切られて、その終わりと共に消えたい

うまく生きられへんから

うまく生きられへんから

クヮン・アイ・ユウ
現代詩投稿サイトBREVIEWより転載
2018