ここは何処なのか

遠いことはいいことだ
愛が 憎しみが 心だって
なにもかも遠くなる

丘に日がしずみ
水がこきざみにながれ
やさしい空気が道に迷う

別れることはいいことだ
なにもかもひとすじになって自分に帰ってくる
沈黙だって
時だって
自分の影だって
見えないものがすべて自分のものだ

ひとりになる
死をたぐりよせてみる
やさしい自分のさいごをいたわってみる
まごうかたなくそれは自分なのだ

ああ在りし日にぼくはどこを彷徨っていたのか
ここは何処なのか

嵯峨信之
「アリゼ」9月号掲載
1988

手を清潔にしたい そして髪をかきあげたい

手を洗っています
もう二十回も洗いました
今二十一回めです
夜です
とても寒い
虫の声みたいな音が聞こえます
しんしんしんしんと言っています
白いネグリジェの裾が
床に触れるのではないかと不安です
蛇口に水をかけます
いっかい、にかい、さんかい、よんかい……
十かい、十一かい、十二かい
蛇口をしめます
蛇口の飛沫が
また、ついてしまいました
もう一度やりなおしです

蛇口をひねります
蛇口についた誰かのバイキンが
指先にこびりつきます
何度も洗います
何十回も手をこすります
冷たい水です
流しをバイキンが流れてゆきます
バイキンが吸水口のところにたまります
蛇口についているバイキンを
水をかけておとします
バイキンはなかなかおちません
何度も水をかけます
やっと、おちたみたいです
蛇口をしめます

でもまだバイキンは
私の手に残っているかもしれない
私は、髪をかきあげたい
でもバイキンが残っているかもしれません
バイキンは髪にこびりつくかもしれない
私はもう一度だけ手を洗って
それから髪を耳にかけようと思います

蛇口をひねります
ほらバイキンがついた
何度もこすります
手の先が赤く、しびれてきました
ネグリジェの裾がとても気になります
涙が出てきます
どうして私は泣いているのでしょう
鼻水もでてきます
でも手はバイキンで汚れていて
鼻をぬぐうことができない
蛇口には誰かのバイキンがついています
ネグリジェの裾から
廊下のしめったバイキンが上ってきます
私はどうすればいいのだろう
そう思うと体が硬直します
蛇口に水をかけます
かけながらネグリジェの裾が気になります
もう黄ばんでいるかもしれない
手を
清潔にしなければなりません
蛇口に水をかけます 速く
もっと速く
体が硬直します 速く
速く ハヤク

脅迫性障害蛇口に水をかけます

榊原淳子
「世紀末オーガズム」所収
1983

べ氏のユーウツな妄想

街があって
それはいくつもの四角い箱で構成されている
私はその街の
中心よりもやや西に住んでおり
住居はやはり四角い箱である
まず最初に
四角い箱そのものが
私に恐怖を与える
私は自分の住居である四角い箱
もちろんある程度の恐怖を与える私の生活に
カギをかけるのだが
そのカギはかなりおそまつである
そのおそまつさは
やがておこるべきできごとを暗示している
私はその時点で
すでにそれを了承済みである

まず少数のゾンビの集団が現れ
街の人々を襲う
襲われた人はゾンビになってしまう
ゾンビと人間の区別は容易である
ゾンビは左薬指に特殊な指輪をしている
その指輪は
透明感のないグリーンである
指輪をしていないゾンビの場合
爪の色が特殊な緑である
私は寝台に横たわったままの状態で
街の人々の大半がゾンビになってしまったことを知る
私を助けようとする親類縁者がいるのだが
その人もゾンビにされてしまう
そのことを寝台の上の私はまだ知らない

たくさんのゾンビが
私の住居のまわりをかこんでいる
街中でゾンビにされていない人間は
私と、私の他に一人か二人いるかいないか
そんなところだと私は思う
ゾンビが戸をたたいたり
煙突からのぞいたりしている
ゾンビの集団は
おそまつなカギを容易にこわして
私の寝室になだれこんでくる
私はこわれた扉の下にかくれ
スキをついて逃げだす
ゾンビが追ってくる
私の背後に
大アップのゾンビの顔がある

私を助けてくれるはずの親類縁者が
前からやってくる
その左薬指の緑色の指輪を見て
私は息をのむ
「彼もまたゾンビにされてしまった」
急に孤独感が襲ってくる
再びかくれ家にたてこもる私
家全体がぐらぐら揺れている
ゾンビが中に入ろうと
あらゆる壁面を押しているのだ
ガラス窓にはりついた
ゾンビの顔
私はぎりぎりのところまで
追いつめられてしまったことを知る
どうしていいかわからない
体が硬直する
下半身の力が抜け
耳からはオーラが吹きでる
その感覚の中で
ただ混乱している
ゾンビに威圧されて・・・

君もまたゾンビになってしまえばいいのだと
あなたは言うが
私にはできない

榊原淳子
「ボディ・エレクトリック」所収
1988

折紙

八歳の姉が、四歳の弟を呼んでいる。
K助。昨日はんぶんこした折紙を持っておいで。
弟が持ってくると、姉は一枚いちまい子細に検討し、色の綺麗なの
を自分に、悪いのを弟に、そして言う。   これではんぶんこ。
次の日。姉はまた弟にいう。
K助。昨日はんぶんこした折紙を持っておいで。
弟が持ってくると、姉は模様の良いのを自分に、汚れたのを弟に、
そしていう。
これではんぶんこ。
次の日。姉はくちゃくちゃになった自分の紙を弟にやる。弟は喜ん
で、これA子ちゃんにもらった、とはしゃぐ。かくして姉の許には
色紙が集まり、弟は弟で喜んでいる。

井川博年
「待ちましょう」所収 「子供の世界」より
1989

帰りたい

もう帰りたいのだけれど
言いだしかねて
ズルズル居すわっているのである
それを察して
まあいいじゃないですか
もう少しぐらいと
いわれて
すわっているのである
退くつきわまりないので
腰を浮かしてみたりするのだが
さて どこへ帰るかとなると
はっきりとはしないのである
とにかく ここを
出たいのである

杉山平一
「青をめざして」所収
2004

くまさん

はるが きて
めが さめて
くまさん ぼんやり かんがえた
さいているのは たんぽぽだが
ええと ぼくは だれだっけ
だれだっけ

はるが きて
めが さめて
くまさん ぼんやり かわに きた
みずに うつった いいかお みて
そうだ ぼくは くまだった
よかったな

まど・みちお
「くまさん」所収

青をめざして

たゞ目の前のシグナルを
青のシグナルを見つめて
脇見をしないで
歩いた
どこへ行くのか考えたことも
なかった
青をみつめて
青だけをみつめて
わたしは歩いていった

どこが悪かったのだ
みんなどこへ消えたのだ

杉山平一
「青をめざして」所収
2004

麗日

桃子
また外へ出て
赤い茨の実をとって来ようか

八木重吉
「貧しき信徒」
1927

会議室にて

机の前にたくさんの顔が並んでいる。
血のかよっている
笑ったり怒ったり話したりする顔
いつかみんないなくなる顔

とじられる目
つめたくなる唇
からっぽのがいこつ、

けれど永久になくならない
次々と生まれてくる顔
やがては全部交替する顔
それをじっとみまもっている
その交替をあざやかにみている眼——
それがある、きっと。

それが誰だかわからない
ひとり、たしかに一人いるのだが。

石垣りん
私の前にある鍋とお釜と燃える火と
1959

さくら


さくらは天にむかって散っていく
せかいはひとつの網膜で
はなびらのひとつひとつは
そのぬるむせかいのはてなさを
おののくのだ

やがて鶴の群れとなり
はなびらは 死のひろがりへ
はばたいていく。

うすももいろというとき
その認識にまつわるはじらいは
さくらのはなびらの どこに
受けとめられるというのか

さくらのころ
わたしらに斜めにふりかかるひかりが
はなやかな風光を
ほのぐらい地平へ
うながすことがある

そのとき じつにわずかなときだが
さくらのはなびらは
わたしらの足もとを
どこにもないひかりでてらす

もはや わたしらは
背中にしずかにまわされた
みえないあつい手に
めまいする静寂
そのおそれの岸へといざなわれているのだ。

片岡文雄
「悪霊」所収
1969