うたを うたうとき

うたを うたう とき
わたしは からだを ぬぎすてます

からだを ぬぎすてて
こころ ひとつに なります

こころ ひとつに なって
かるがる とんでいくのです

うたが いきたい ところへ
うたよりも はやく

そして
あとから たどりつく うたを
やさしく むかえてあげるのです

まど・みちお
まめつぶうた」所収
1973

夏の物語─野球─

     摑む。
    滑る。
砂煙があがる。
 倒す。倒れる。
   どよめく。
  沸く。
 燃える。
ギュッとくちびるを噛む。
 苦しむ。焦る。つぶされる。
   どこまでもくいさがる。
  どこまでも追いあげる。
 どこまでも向かってゆく。
波に乗る。拳を握る。
襲いかかる。陥れる。
踏みこむ。真っ二ツにする。
盗む。奪う。
 刺す。
振りかぶる。構える。
  投げおろす。打ちかえす。
叫ぶ。叫ぶ。
跳びつく。駈ける。
     駈けぬける。
深く息を吸う。引き締める。
  かぶりを振る。うなずく。
 狙う。睨む。脅かす。
浴びせる。崩す。切りくずす。
むきだしにする。引きつる。
踏ンばる。
顔をあげる。腰を割る。
粘る。与える。ねじふせる。
         投げる。
        打つ。
       飛ぶ。
      走る。
見事に殺す。
なお生きる。生かしてしまう。
     付けいる。
    追いこむ。
     突きはなす。
    手をだす。
     見逃す。
読む。選ぶ。
黙る。
黙らせる。目に物みせる。
意気地をみせる。思い切る。
叩く。突っこむ。死ぬ。
 (動詞だ、
  野球は。
  すべて
  動詞で書く
  物語だ)
あらゆる動詞が息づいてくる。
  一コの白いボールを追って
 誰もが一人の少年になる
夏。

長田弘
心の中にもっている問題」所収
1990

胸の泉に

かかわらなければ
  この愛しさを知るすべはなかった
  この親しさは湧かなかった
  この大らかな依存の安らいは得られなかった
  この甘い思いや
  さびしい思いも知らなかった
人はかかわることからさまざまな思いを知る
  子は親とかかわり
  親は子とかかわることによって
  恋も友情も
  かかわることから始まって
かかわったが故に起こる
幸や不幸を
積み重ねて大きくなり
くり返すことで磨かれ 
そして人は
人の間で思いを削り思いをふくらませ
生を綴る
ああ
何億の人がいようとも

かかわらなければ路傍の人
    私の胸の泉に
枯れ葉いちまいも
落としてはくれない

塔和子
未知なる知者よ」所収
1988

部屋

私が入ってきたとき、中は真暗でした。
手をのばして探りながら歩いてきたら、お皿に(たぶんお皿に)ぶつかってしまったんです。
で、私はお皿のことを思い出しました。
お皿は丸くて(あるいはギザギザで)、冷たく(固く)、たぶん空っぽで、ぶつかった指の先から、すぐ離れました。
あのとき小さな音がしましたから。たぶん暗闇の中を、ゆっくりと辷っていったのだと思います。
それから、すぐテーブルのことを思ったんです。
テーブルは四角くて(あるいは正方形で)、灰色で(砂色をして)、私の手の下にあり、たぶんずっと以前からそこにあったのではないでしょうか。
それはザラザラなのにどこか濡れていて、どこまでも広がっているようでどこからか辷り落ちており、例のお皿がどうなったかなどということは、もう見当もつきませんでした。それから、急に、部屋が感じられました。それを考えるのは、とてもむづかしいことのようでした。
 だって部屋ほど曖昧なものって、あります?
階段のてすりや、本箱があることもあれば、どこかの隅に肖像画がかかっていることもあり、何十年も前の絵の具の間に、そっと入りこんでいる闇だってあるのです。
でも、何もない部屋っていうのも、あります。
部屋って、本当は何にもないんです。ただのいれものなんです。でも私にはただのいれものが、何故か空気のように優しく思われました。
ひょっとしたら、私はいつか、ここに来たことがあるのではないでしょうか。一度、二度、いいえ何度でも。もちろん遠い私の記憶にもけっしてないことなのですけれど。
部屋は矩形で(あるいは多角形で)、まっすぐで(曲っていて)、凹んでいるか尖っており、閉じているか開いており、そうです、この闇と同じ形、同じ深さ、私の周りにある黙った闇と同じ呼吸をしているのでした。そして私はといえば、やっぱりこの漠然とした闇と同じ呼吸をしているのに、ちがいありません。
ただ闇の中で。じっと息をつめて立止っていると、どこかでお皿が静かに止っている気配が、ふっと、するんです。

黒部節子
「まぼろし戸」所収
1986

しかられた神さま

ずっと ずっと むかしから
北海道に住んでいたアイヌの人たちは
いろりの火のそばでも 家のなかでも
川でも 野でも 森でも 狩りのときでも
いつも神さまといっしょだったって
その姿は見えないけれど
いつも神さまといっしょだったって
だから たとえばさ
夜 川の水をくむときは
まず水の神さまの名前を呼んで
神さまを起してから くんだんだって
神さまも夫婦で住んでいるから
お二人の名前を呼んだんだって
でもさ
子どもが川におぼれたりすると
ちゃんと見張っていなかったからだと
水の神さまは いくら神さまでも
人間からしかられたんだって

川崎洋
しかられた神さま」所収
1981

おかあさんが死んだあとで

おかあさん
おかあさんが死んだあとで・・・・

私は海でころんでしまって
きり石でひどいけがして
大きな針でぬったのよ

もみじの樹が大きくなって
私の背よりもたかくてよ

青い模様のお皿はたくさんこわれてよ
夜がきても朝がきても
ばあやはあいさつしなくてよ

おかあさん
おかあさんが死んだあとで・・・・

山本沖子
「花の木の椅子」所収
1947

薄明

C Am7 F Em7

屈強な夜が
明るかった
それはひよわくもあった、いいえ
脆弱な朝の首を
ぐいぐい絞め上げている、
だから。

酒のような雨が降る
僕らの 否、

の、
フラスコの胃
は、この酒のような雨を拒否する、
二日酔いで、
なんてことがあったらいいのに。
みんな騒いで銃を乱射するような。
悪い者しかいなくなって、
善いがなくなってだから悪いが反吐が出る位上等に普通になる。
というかなっている。音楽が止まった。嗚呼、僕は酒が飲めない。
祭りの日を、
楽しく待っているのは甘酒が飲めるから。
キリキリと胃痛がとまらない、ついに胃痛にディストーションが掛かる、母親がペダルを踏んだ、どこに買い出しにいくんだろう?

友達は東京で音楽していて
最近メジャーからインディーレーベルへ落ちてしまった。
彼らとの意思疎通
それはいつだって落とし穴だった。
東京で落とし穴に落ちたのは僕だった。

・・・・・・・なんもやってねぇよ、なんもやってねぇよ、なんもやってねぇよ

シンナーの香り。告白している受付嬢。オレンジシャンプーの香り。そんな記憶と
神なんとか駅近く、客にボコボコにされていくローソンのレジ係と
アップ&ダウン、アップ&ダウン、やっぱりフィッシュマンズのナイトクルージング(名曲!)と
酔ってダウンした友人の喉に指を突っ込んで丸のみされてた椎茸を取り出したこと、
フィード・バック、ケツの穴、ポリバケツ、ペットボトルの甘味料への不満、
ポコンと酒玉が胸から抜けて良い気分になって乗ってたタクシーは代々木で。
反対に最低のタクシードライバー。
訴え損ねたもんだ、
訴え方を知らなかった・・・・・・。
熟考するベーシスト、そして自由ヶ丘のバーのホームシックな外人、ジョン!

生きるものは今でも生きている、死ぬものは死んでしまった。
水タバコをやってたひと、水死体になったひと、歌がうまいひと、もう先はないと震えてた。

お前がのぞむなら、世界をやるけれど
世界をもらって、何も変わるまい

なんでって知っている筈だろう、どれだけの死と、屈託のない笑顔をみてきた、
それからどれだけ詩を書いてきた。しかし言葉は尽きない!
ねぇ、ちょっとだけコーヒーを頂戴。それから五百円を頂戴。
領収書を書いて頂戴。そうだった、税理士にあったことすらない。
脳、が
ねつ造できないあの東京を
倶楽部を、僕は薄明と呼ぼう。
薄命とかかっている。

田中恭平
現代詩投稿サイト「B-REVIEW」より転載
2017

さくらの はなびら

えだを はなれて
ひとひら

さくらの はなびらが
じめんに たどりついた

いま おわったのだ
そして はじまったのだ
 
ひとつの ことが
さくらに とって
 
いや ちきゅうに とって
うちゅうに とって
 
あたりまえすぎる
ひとつの ことが
 
かけがえのない
ひとつの ことが

まど・みちお
くまさん」所収
1989

日々

小鳥がいて
黒猫の親子がいて
庭には犬がいて

夕方の買いものは
小鳥のための青菜と
猫のための小鯵と
犬のための肉と
それに
カレーライスを三杯もおかわりする
息子がいた
あのころの買い物籠の重かったこと!

いまは 籠も持たずに表通りに出て
パン一斤を求めて帰って来たりする

みんな時の向こうに流れ去ったのだ
パン一斤の軽さをかかえて
夕日の赤さに見とれている

高田敏子
薔薇の木」所収
1980

鳥よ
おまえは
羽があるために
そのことで戸惑うことは
ないか?
ないだろうな
だから
羽があるのだろうな

川崎洋
海を思わないとき」所収
1978