ちいさな遺書

わが子よ
わたしが死んだときには 思い出しておくれ
酔いしれて なにもかもわからなくなりながら
涙を浮かべて お前の名を高く呼んだことを
また思い出しておくれ
恥辱と悔恨の三十年に
堪えてきたのは おまえのためだったことを

わが子よ
わたしが死んだときには 忘れないでおくれ
二人の恐怖も希望も 慰めも目的も
みなひとつ 二人でそれをわけあってきたことを
胸にはおなじアザをもち
またおなじ薄い眉をしていたことを 忘れないでおくれ

わが子よ
わたしが死んだときには 泣かないでおくれ
わたしの死はちいさな死であり
四千年も昔から ずっと
死んでいた人がいるのだから
泣かないで考えておくれ 引き出しの中に
忘れられた一個の古いボタンの意味を

わが子よ
わたしが死んだときには 微笑んでおくれ
わたしの肉体は 夢のなかでしか眠れなかった
わたしは死ぬまでは 存在しなかったのだから
わたしの屍体は 影の短い土地に運んで天日にさらし
飢えて死んだ兵士のように 骨だけを光らせておくれ

中桐雅夫
「中桐雅夫詩集」所収
1964

 

告別

おまへのバスの三連音が
どんなぐあいに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた
もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう
泰西著名の楽人たちが
幼齢 弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがやうに
おまへはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった管とをとった
けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
(ひとさへひとにとゞまらぬ)
云はなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮らしたり一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏のそれらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ

宮沢賢治
春と修羅第二集」所収
1925

性的な夢

 北半球に、ひるがおの花が、咲きひらくころ、ぼくは、性的な夢を、みなくなる。長いあいだ、ぼくは、そのことに気付かなかったが、ぼくの瞳孔を、覗きこんでいた医師が、ある日、その事実を、ぼくに、告げた。北半球に、ひるがおの花が、咲きひらくころ、ぼくの瞳の虹彩は、まるで、死界に咲きひらく花のように、精いっぱいに、ひらかれるという。だから、ぼくの内部には、おびただしい量のひかりが入りこみ、乱反射して、いかなる夢も、その像を、結ぶことが、できないというのだ。
 父の話しでは、北半球に、ひるがおの花が、咲きひらくころ、ぼくの若い母は、死んだという。母のしろく、美しい乳房を、癌が、犯していて、まだ幼なかったぼくは、しきりに、すでに抉りとられた、母の乳房の幻影を、まさぐっていたと、いうのだ。それが、ぼくが性夢をみなくなる原因であるということが、わかったとき、ぼくは、ぼくの内部にあふれる、白いひかりのなかで、涙を流した。
 だから、北半球に、ひるがおの花が、咲きひらくころ、ぼくは、生まれたばかりの、ぼくの手が、まさぐっていた、癌の感触と、母の、しろく美しい乳房の幻影を、無意識のうちに、想い浮かべ、そのとき、ぼくの瞳の虹彩は、まるで死界に咲きひらく花のように、精いっぱいにひらかれて、ぼくは、性的な夢を、みなくなるのだ。

高岡修
水の木」所収
1987

栗の実

 子供のころ、私の育った東京の下町には、夜店がでた。にぎやかに明るく、電燈を連ねて続く多くの店のはずれの方に、そこだけはなぜか別に、アセチレンガスを点けて、ひっそりとゆでた栗を売っている店があった。
 小さな枡に盛りあげたゆで栗を、粗末な紙袋にいれてくれる。ほうっと温かく顔に湯気がかかり、また、手に伝わる栗のほのかなぬくみに、子供ごころにも秋を感じたものだ。
 青年のころ、ひそかに慕ったひとがいた。
 そのひとは私より年上で、働きながらひとり暮らしをしていた。思いつめた気持を私は永いこと言えずにいた。
 いつだったか夕刻になり、急に栗ごはんをごちそうしてくれることになった。堅い栗の殻を、庖丁をじょうずに使いながらむいていく、そのひとの手もとを私はせつなく視つめつづけた。

 

 いまはもう町に夜店もでない。ゆでた栗をあきなう、ひなびた店などもむろんみかけることもなくなった。
 栗ごはんをごちそうしてくれたひとは、どうしていることか。思いつめたあのころのひたむきな気持を、私はとうに失くしてしまった。

大木実
「月夜の町」所収
1966

新宿のシャンゼリゼでベトナムごっこをしたいだけ

顔もわすれたし、声もわすれた
名前に至ってはもともとしらないし、借りた本もどこに置いたかわすれた

いっしょに観たものもわすれたし、いっしょに歌ったものもわすれた
シャンゼリゼごっこをしたことは覚えているけれど、シャンゼリゼごっこがなにかはわすれた
うっすらと夏だった、いつの夏かはわすれた

シャンゼリゼは新宿にあったように思うけれど、どこがどうシャンゼリゼだったかはわすれた
いい大人がふたりでどうしてシャンゼリゼごっこなのかと考えたけれど
気持ち悪い感傷はだいきらいで、はじめから無いことになった

シャンゼリゼの店のクレープはおいしかった
けれど、どんな味だったかはわすれた
そこではじめてブラックコーヒーをのんだ、これはわすれちゃいけないことだった

わすれたというよりおぼえきれないし、おぼえるというよりわからなかったけれど
サングラスの下の眼がきらきら光っていた

「ねえ、つぎはベトナムごっこをしよう」とあなたは言った
うれしかったからずっとわすれなかった
なのに
ベトナムごっこをする日はこないし、そんな約束はわすれられた

だいたい、
毎日がべつべつの場所で、べつべつにせわしなく過ぎるので、わたしたちにはベトナムごっことは何かとかんがえる暇もなかったもの

いつか新宿のシャンゼリゼどおりで、ベトナムごっこをしたい

「夏はあついからいやだよ」
「どうして?ベトナムはもっと暑いんですよ」

あなたはこんな簡単なことがわからない人だから、ベトナムごっこができない
あなたのせいで、いつまでもベトナムごっこができない


現代詩投稿サイト「B-REVIEW」より転載
2017

大根抒情

よごれない
真白い大根。

あはれそのしろさ。
 
ひょうげた尻っぽに
私はほっとする
心貧しい日。

芯から白いのがたまらなく。

薄暮
たまらなさを
冷たく 食べて
冬が来た。

淵上毛錢
1950

鬼わたり

死んでいこうとするのと ひきとめようとするのと ふたりきりの病室になると まるで恋人たちのように春めいてきて うす青い草っぱのように 風になびいてしまうのだ 鬼がわたっているためだろうか

岡安恒武
「湿原 岡安恒武詩集」所収
1971

焔について

焔よ
足音のないきらびやかな踊りよ
心ままなる命の噴出よ
お前は千百の舌をもって私に語る、
暁け方のまっくらな世帯場で――。       (註)世帯場=厨房

年毎に落葉してしまう樹のように
一日のうちにすっかり心も身体もちびてしまう私は
その時あたらしい千百の芽の燃えはじめるのを感じる。
その時いつも黄金色の詩がはばたいて私の中へ降りてくるのを感じる

焔よ
火の鬣よ
お前のきらめき、お前の歌
お前は滝のようだ
お前は珠玉のようだ。
お前は束の間の私だ。

でもその時はすぐ過ぎる
ほんの十分間。
なぜなら私は去らねばならない
まだ星のかがやいている戸の外へ水を汲みに。
そしてもう野菜をきざまねばならない。
一日を落葉のほうへいそがねばならない。
焔よ
その眼にみえぬ鉄床の上に私を打ちかがやかすものよ
わが時の間の夢殿よ。

永瀬清子
「焔について」所収
1950

日本のさくら

もういちど はじめから
やり直そう
そう思った
さくらの花を仰ぎながら

ボロの復員服を着て
ボロ靴をはき
南方帰りのぼくに
日本の春は寒かった
さくらの花だけが鮮やかだった

家もなく
金もないが
いのちがある
もういちど そう思った
あのときぼくは三十だった

あの年のさくらのように
さくらはことしも美しい
ゆめのように
希望のように
梢に高く咲いている

大木実
「蝉」所収
1981