夜
さくらは天にむかって散っていく
せかいはひとつの網膜で
はなびらのひとつひとつは
そのぬるむせかいのはてなさを
おののくのだ
やがて鶴の群れとなり
はなびらは 死のひろがりへ
はばたいていく。
うすももいろというとき
その認識にまつわるはじらいは
さくらのはなびらの どこに
受けとめられるというのか
さくらのころ
わたしらに斜めにふりかかるひかりが
はなやかな風光を
ほのぐらい地平へ
うながすことがある
そのとき じつにわずかなときだが
さくらのはなびらは
わたしらの足もとを
どこにもないひかりでてらす
もはや わたしらは
背中にしずかにまわされた
みえないあつい手に
めまいする静寂
そのおそれの岸へといざなわれているのだ。
片岡文雄
「悪霊」所収
1969