水から空へ
 いつぽんの葦が立つ。
葦は、ふるへる。
まつすぐな茎から

葉の末端までが
こまかにふるへる。
突つ立つたまゝ投げ箭が
ふるへてゐるやうに。

まみづと
しほみづのなかで
ゆられる葦は
ねたり起きたりしながら

ふなべりをこすり
舟のあふりで
うちひろがる波紋が、
なかば、水につかつて

ねむつてゐる
千本、万本の葦を
つぎつぎに
ざわめかせる。

あゝことしほど
秋の水が
こゝろと目にしみた
ことはなかつた。

水底にひたされた
葦の根をおしわけて
水のにほひの
いざなふままに、
舟と僕は、すゝむ。
ちぎれちぎれに
とぶ雲のしたを、
ひろがる水のうへを。

けふまで僕を捕まへてゐた
五十何年のながさから
とき放された僕を
小舟は、はこび

小舟はたゞよひ
僕をあそばせる。
舟ぞこにねそべつて
僕は、おもふ。

僕からながれ去つた
五十何年は
葦洲のむかうに
渺茫とつづいて

けぢめもつかない。
それにしても
なにがあつた。
どんなことが。

水のながれにも似た
時のながれにおされ、
ゆく水の、おもひもかけぬ
底のはやさにさらはれ、

愛憎の
もつれのまゝに
うきつ、しづみつ、
なにをみるひまも僕にはなかつた。

しかし、おどろく程のことはない。
女たちの
やさしさ以外は
みんなつまらないことばかりだ。

葦の葉から
葦の葉へ
ぬけてゆく風のやうに、みんな
こけおどかしにすぎないのだ。

コップに挿した
花茎のやうに
ほそうでをまげて
ふふと、笑ひかける女、

僕からついと身を避けて、
ふりむきもせず、流れていつた
ゆきずりの女。
女たちは、みんな花だつた。

水は、
それをはこんだ。
どこへ。
それはしらない。

五十何年が
ながれ去つたあとの
からからになつた僕の
なんといふかるさ。

なんといふあかるさ。
水のうへをゆく心に、さあ
きいてみるがいゝ。
つゆほどの反逆がのこつてゐるかと。

金子光晴
「非情」所収
1955

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