Category archives: 1960 ─ 1969

汽車は二度と来ない

わずかばかりの黙りこくった客を

ぬぐい去るように全部乗せて

暗い汽車は出て行った

すでに売店は片づけられ

ツバメの巣さえからっぽの

がらんとした夜のプラットホーム

電燈が消え

駅員ものこらず姿を消した

なぜか私ひとりがそこにいる

乾いた風が吹いてきて

まっくらなホームのほこりが舞いあがる

汽車はもう二度と来ないのだ

いくら待ってもむだなのだ

永久に来ないのだ

それを私は知っている

知っていて立ち去れない

死を知っておく必要があるのだ

死よりもいやな空虚のなかに私は立っている

レールが刃物のように光っている

しかし汽車はもはや来ないのであるから

レールに身を投げて死ぬことはできない

高見順

死の淵より」所収

1964

少年 ─中学2年A組の諸君に─

─ぼくが ぼくでない

そんなこと あるだろうか

 

このあいだのこと

気がついたら

灰色の 画用紙みたいな

うすべったい空の すみの方に

ひらべったい人間がひとつ

風にあおられながら

たよりなげに つながれていた

よく見たら

それが

ぼくなんだ

 

だから

ぼくがぼくでないことを

ぼくは初めて知ったんだ

 

ぼくでないぼくは

やっこだこみたいに

ぴらぴらしていて

へんてこで

かわいそうだ

おまけに

ぼくでないぼくが見る太陽は

にせものの太陽 病んだ太陽

ぼくでないぼくが見る月は

おいぼれの月 やつれた月

ぼくでないぼくが見る景色は

こわれた景色 うばわれた景色

ぼくでないぼくが見ると

ぼくの父はよその人

ぼくの先生は

どこかの国の見知らぬ兵士

友だちはみんなむこうむき

タールを塗った倉庫の中に追いこめられる

帳簿の中には

友だちの点数と人数と等級とが

たんねんに

書きこまれる

やがて 友だちを運搬する列車がやって来て

等級別に行き先をきめられるのだろう

だけど

みんな大好きな友だちなのに

どうして

あんなにとろんとして

くらげみたいに無表情で

葬列みたいにのろのろと

歩くのだろう

 

傾いたクレーンが

砕けた鉄骨をむりやりつりあげる

溶接の火花が

ばちばちと鬼火のように飛びかう

すると 電子計算機が

たちまち友だちの値段を計算する

 

でも

これらこわれた景色をこえたもっとむこうに

ほんもののかけがえのない景色があることを

ほんものの頑丈な太陽がかがやくことを

ほんものの健康な月がのぼることを

ぼくは

がまんできないくらい よく知っている

 

なぜなら

このこわれた景色の中で

ぼくの骨格はかわき

ぼくの皮膚はつめたいけれど

ぼくの皮膚の裏がわの

遠い遠い奥の方では

何かが たえまもなく

やぶれ

くだけ

沸騰し

炸裂しているから

 

だから

このこわれた景色を

ほんとうの揺るぎない景色に作りかえるために

この

空気なしの 光なしの 季節なしの 景色の中から

また もうひとりの

ぼくでないぼくを

ぼくは見つけだすだろう

その中から

ぼくらみんな

ぼくらでないぼくらを

ぼくらよりも強いぼくらを

ほんとうのぼくらを

見つけだすだろう

 

杉浦鷹男

「答案」所収

1962

ひそかな対決

ぱあではないかとぼくのことを

こともあろうに精神科の

著名なある医学博士が言ったとか

たった一篇ぐらいの詩をつくるのに

一〇〇枚二〇〇枚だのと

原稿用紙を屑にして積み重ねる詩人なのでは

ぱあではないかと言ったとか

ある日ある所でその博士に

はじめてぼくがお目にかかったところ

お名前はかねがね

存じ上げていましたとかで

このごろどうです

詩はいかがですかと来たのだ

いかにもとぼけたことを言うもので

ぱあにしてはどこか

正気にでも見える詩人なのか

お目にかかったついでにひとつ

博士の診断を受けてみるかと

ぼくはおもわぬのでもなかったのだが

お邪魔しましたと腰をあげたのだ

 

山之口貘

「山之口貘全集」所収

1963

巻貝の奥深く

巻貝の白い螺旋形の内部の つやつや光ったすべすべ

したひやっこい奥深くに ヤドカリのようにもぐりこ

んでじっと寝ていたい 誰が訪ねてきても蓋をあけ

ないで眠りつづけ こっそり真珠を抱いて できたら

そのままちぢこまって死にたい 蓋をきつくしめて

奥に真珠が隠されていることを誰にも知らせないで

 

高見順

死の淵より」所収

1964

広漠たる原野

背に夕陽をうけて 軽快に

飛んでいた 鴉が

突然 死んだ

鴉は高い空から垂直に落下した

と同時に

あかねいろにそまった野の地平線から

彼の大きな影が

目にもとまらぬ速さで

じぶんの死骸にかけこんできた

この地球に偉大な影を落していた鴉は

心臓マヒだった

 

蔵原伸二郎

蔵原伸二郎選集」所収

1965

大阿蘇

雨の中に馬がたっている

一頭二頭仔馬をまじえた馬の群が 雨の中にたっている

雨は蕭々と降っている

馬は草を食べている

尻尾も背中も鬣も ぐっしょり濡れそぼって

彼らは草をたべている

あるものはまた草もたべずに きょとんとしてうなじを垂れてたっている

雨は蕭々と降っている

山は煙をあげている

中獄の頂から うすら黄ろい 重っ苦しい噴煙が濛々とあがっている

空いちめんの雨雲と

やがてそれはけじめもなしにつづいている

馬は草を食べている

草千里浜のとある丘の

雨にあらわれた青草を 彼らはいっしんにたべている

たべている

彼らはそこにみんな静かにたっている

ぐっしょりと雨に濡れて いつまでもひとつところに 彼らは静かに集まっている

もしも百年が この一瞬の間にたったとしても何の不思議もないだろう

雨が降っている 雨が降っている

雨は蕭々と降っている

 

三好達治

定本三好達治全詩集」所収

1962

ねずみ

生死の生をほっぽり出して

ねずみが一匹浮彫りみたいに

往来のまんなかにもりあがっていた

まもなくねずみはひらたくなった

いろんな

車輪が

すべって来ては

あいろんみたいにねずみをのした

ねずみはだんだんひらくたくなった

ひらたくなるにしたがって

ねずみは

ねずみ一匹の

ねずみでもなければ一匹でもなくなって

その死の影すら消え果てた

ある日 往来に出てみると

ひらたい物が一枚

陽にたたかれて反っていた

 

山之口獏

鮪に鰯」所収

1964

黒板

病室の窓の

白いカーテンに

午後の陽がさして

教室のようだ

中学生の時分

私の好きだった若い英語教師が

黒板消しでチョークの字を

きれいに消して

リーダーを小脇に

午後の陽を肩さきに受けて

じゃ諸君と教室を出て行った

ちょうどあのように

私も人生を去りたい

すべてをさっと消して

じゃ諸君と言って

 

高見順

死の淵より」所収

1964

暗い夏の晩

暗い夏の晩だつた

街のなかもまた妙に暗かつた

どこかに祭でもあるらしく

多勢の人手がみな黒い影になり

賑かに行き来してゐた

私もその中にまじりながら

ひとりであるいてゐた

なんだか人々の背後の世界を歩いてゐるやうな気がしてゐた

或る町角へくると

戸板の上に蝋燭をたてて売つてゐるのがあつた

消えることのない蝋燭だといふのであつた

いくほんもたち並んでゐる蝋燭の灯が

暗い風にゆれなびきながら

消えることがなかつた

 

高橋元吉

高橋元吉詩集」所収

1962

海の若者

若者は海で生まれた。

風を孕んだ帆の乳房で育つた。

すばらしく巨きくなつた。

或る日 海へ出て

彼は もう 帰らない。

もしかするとあのどつしりした足どりで

海へ大股に歩み込んだのだ。

とり残された者どもは

泣いて小さな墓をたてた。

 

佐藤春夫

1964