Category archives: 1950 ─ 1959

聖母族

おんなは
へそのおを
貝をちりばめたふくろにたたみ
ちぶさにあてがっていた
発見されて
こどもは死にましたと
泣いた

それもうそだと
おとこはおんなをけっとばし
あやしげな酒場で
めちゃくちゃにおどっていたが
おんなを死なせてはならぬと
かけもどり
へそのおを焼かせた
そのときから
おとこはわかれたがったが
わかれれば死ぬとおもい
なんねんもいっしょにくらしたあげく
なぜ死なせてはならぬのか
とうとうわからぬままに
旅さきで死にたえ
おんなは死に目にもあえなかったが
やがて再縁さきで
りっぱににどめのこどもをうんだ

会田綱雄
「鹹湖」所収
1957

めまいよ こい

地球がまわり
俺は力ずくで坐っている

めまいよ こい
生きてることはすばらしい

風よ こい
ふかい空とつりあうために
錘のような心がある

地球がまわり
俺は力ずくで坐っている

山本太郎
「山本太郎詩集」所収
1957

一粒一粒がドン・キホーテなのだが
お互同志それを知らない

落日を完全武装ではねかえし
一せいに剣をぬきはなつている

ところがあいにく
劣勢な城主も不遇な王女も住んでいなかつた

野分の吹き荒れた朝

農夫が車を引いてくる

井上充子
「田舎の牧師」所収
1955

trash

危機という
ことばを愛したことがある
ひとなみに
いまでも愛しているかもしれない
しかし
危機という
ことばは死んだことばだと思うが
どうだろう
陸前の
海のとどろく絶壁の上に立ちすくんでいたわたしを
突きおとしてやろうか
あざけった鬼のような女の眼は忘れることができない
そいつとわかれてから
栗鼠を一匹飼った
てのひらにのせてにぎりしめると
キキキキ
鳴きながらもがいた
その栗鼠が死んだときはつらかった
地下鉄の
淡路町のフォームの
trash
ペンキで書いてある鉄籠の中に
ハンケチにくるんで
なきがらは棄てた
ナニクワヌカオ
アイウエオ
いまでもわたしは毎朝
地下鉄の
淡路町のフォームを幽霊のように通りぬけていく
銭がないこと
天女からわたしが盗みとった羽衣のこと
木曽の蓮華の花やわらびのこと
ひらめいてはきえていく脳天に
うすい毛をはやして
火事ハドコダ
牛込ダ
牛ノキンタマ丸焼ケダ

会田綱雄
「鹹湖」所収
1957

白い犬

湖が急に見えなくなってしまう曲り角
雨戸を二枚しか開けてない家があって
雨が細かく沢山降り出して
傘がなくて
それでも歩いていると
白い犬が濡れてとことこ通った
泥だらけになって
もう仕方なさそうな顔をしていた
棄てられた犬かと思っていたら
どこかでメリーメリーと呼んでいる
呼ばれても振りかえらずに
濁った水の流れる溝のへりを
何ということもない顔して
そのまま行ってしまった白い犬
あそこは湖が見えなくなる曲り角
音のない雨に濡れていた

串田孫一
「羊飼の時計」所収
1953

わたしが一番きれいだったとき

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
              ね

茨木のり子
見えない配達夫」所収
1958

悪夢はバクに食わせろと
むかしも云われているが
夢を食って生きている動物として
バクの名は世界に有名なのだ
ぼくは動物博覧会で
はじめてバクをみたのだが
ノの字みたいなちっちゃなしっぽがあって
鼻はまるで象の鼻を短かくしたみたいだ
ほんのちょっぴりタテガミがあるので
馬にも少しは似ているけれど
豚と河馬とのあいのこみたいな図体だ
まるっこい眼をして口をもぐもぐするので
さては夢でも食っていたのだろうかと
餌箱をのぞけばなんとそれが
夢ではなくてほんものの
果物やにんじんなんか食っているのだ
ところがその夜ぼくは夢を見た
飢えた大きなバクがのっそりあらわれて
この世に悪夢があったとばかりに
原子爆弾をぺろっと食ってしまい
水素爆弾をぺろっと食ったかとおもうと
ぱっと地球が明かるくなったのだ

山之口貘
定本 山之口貘詩集」所収
1958

死について

 お前が凍てついた手で 最後のマツチを擦つたとき、焔はパツと透明な球体をつくり 清らかな優しい死の床が浮び上つた。
 誰かが死にかかつてゐる 誰かが死にかかつてゐると お前の頬の薔薇は呟いた。小さな かなしい アンデルゼンの娘よ。
 僕が死の淵にかがやく星にみいつてゐるとき、いつも浮んでくるのはその幻だ。

原民喜
原民喜詩集」所収
1951

水辺

わたしは水を通わせようとおもう
愛する女の方へひとすじの流れをつくつて
多くのひとの心のそばを通らせながら
そのときは透明な小きざみで流れるようにしよう
うねうねとのぼつていく仔鰻のむれを水の上に浮かべよう
その縁で蛙はやさしくとび跳ね
その岸で翡翠は嘴を水に浸すようにしよう
この水辺の曙は
まだだれも歩いたものがないのだから
ひと知れず愛する女をそこに立たせよう
もし女が小さい声で唄いはじめたら
わたしは安心して蝉の鳴いている水源地へ歩いていこう

嵯峨信之
「愛と死の数え唄」所収
1957

戦後  ─ 1946年 ─

ぼくは 飢える
ぼくは 買出す
ぼくは 警官の眼をくぐる
ぼくは 並ぶ
ぼくは 車輌にぶらさがる
ぼくは リュックを背おう
ぼくは 身体が蝉のぬけがらのようにかさかさになる
ぼくは センカ紙の本をひろげる
ぼくは 芋の尻っぽを食う
ぼくは 腕いっぱいに大根をぶらさげる
ぼくは 服がすりきれる
ぼくは 靴が焼け跡にやぶれる
ぼくは 足が筋肉の運動だけになる
ぼくは 神経が意のままにならなくなる
ぼくは 女優の裸体のポスターにふるえる
ぼくは 性欲がとがる
ぼくは 勃起する
ぼくは 痙れんする
ぼくは 射精する
ぼくは 不能になる
ぼくは 防空壕に腰をおろす
ぼくは 暗い
ぼくは 眠りにつきはなされる
ぼくは ひとりだ
ぼくは ひとりの群衆だ
ぼくは いつも食卓の夢だ
ぼくは ぼろの袖口を噛む
ぼくは それを呑みこむ
ぼくは 舌なめずる
ぼくは 鼻をならす
ぼくは 唾液だ
ぼくは 犬のようだ
ぼくは おあずけだ
ぼくは 飢えそのものだ
ぼくは 示威に登録にゆく住民だ
ぼくは 叛乱に登録にゆく住民だ。

木島始
木島始詩集」所収
1953