持つことを秋の道でおぼえたとき
風は一つ一つの草の実に吹き
野は一日一日の夕焼を蔵った
私はそうして秋を数えていた
昔は何を語り何を聞いたのか
昔は何を待ち何をのぞんだのか
川は知っているらしかった
そうして昔の川は私の傍を流れた
昔いくつかの物語は木の下で眠り
昔いくつかの恋は木の下で別れたと
嘘をつかない楡の木は云った
けれども忘れっぽい蝶は
木の向うに足音がすることや
木の中にかくれているひとを教えてくれた
岸田衿子
「忘れた秋」所収
1955
持つことを秋の道でおぼえたとき
風は一つ一つの草の実に吹き
野は一日一日の夕焼を蔵った
私はそうして秋を数えていた
昔は何を語り何を聞いたのか
昔は何を待ち何をのぞんだのか
川は知っているらしかった
そうして昔の川は私の傍を流れた
昔いくつかの物語は木の下で眠り
昔いくつかの恋は木の下で別れたと
嘘をつかない楡の木は云った
けれども忘れっぽい蝶は
木の向うに足音がすることや
木の中にかくれているひとを教えてくれた
岸田衿子
「忘れた秋」所収
1955
私は旅に出よう
私の腸を 松の木にヒツカケて
烏に啄つかせよう
潮風に吹かれなければならない
私はくさりかけてゐる
高橋新吉
「高橋新吉詩集」所収
1952
いつからか幕があいて
僕が生きはじめてゐた。
僕の頭上には空があり
青瓜よりも青かつた。
ここを日本だとしらぬ前から
やぶれ障子が立つてゐて
日本人の父と母とが
しよんぼり畳に坐つてゐた。
茗荷の子や、蕗のたうがにほふ。
匂ひはくまなくくぐり入り
いちばん遠い、いちばん仄かな
記憶を僕らにつれもどす。
おもへば、生きつづけたものだ。
もはやだいたいわかりきつた
おなじやうな明日ばかりで
大それた過ちも起りさうもない。
いつのまにか、僕にも妻子がゐて
友人、知人、若干にかこまれ
どこの港をすぎたのかも
気にとめぬうちに、月日がすぎた。
そのうち、はこばれてきたところが
こんな寂しい日本国だつた。
はりまぜの汚れ屏風に囲はれて
僕は一人、焼跡で眼をさました。
金子光晴
「人間の悲劇」所収
1952
匈奴は平原に何百尺かの殆ど信じられぬくらいの深い穴を穿ち、死者をそこに葬り、一匹の駱駝を殉死せしめて、その血をその墓所の上に注ぐ風習があった。雑草は忽ちにしてそこを覆い、その墓所の所在を判らなくするが、翌年遺族たちは駱駝を連れて平原をさまよい、駱駝が己が同族の血を嗅ぎ当てて咆哮するところに祭壇を造って、死者に供養したと言う。
私はこの話が好きだ。この話の故に匈奴という古代の遊牧民族を信用できる気になる。因みに彼等の考え方に依れば、そのような平原を地殻と言い、そのような平原の果に沈む太陽を落日と言う。そしてまたそのような平原に降り積む雪を降雪と言うのである。
井上靖
「北国」所収
1958
冬日がてっている
いちめん
すすきの枯野に冬日がてっている
四五日前から
一匹の狐がそこにきてねむっている
狐は枯れすすきと光と風が
自分の存在をかくしてくれるのを知っている
狐は光になる 影になる そして
何万年も前からそこに在ったような
一つの石になるつもりなのだ
おしよせる潮騒のような野分の中で
きつねは ねむる
きつねは ねむりながら
光になり、影になり、石になり雲になる夢をみている
狐はもう食欲がないので
今ではこの夢ばかりみているのだ
夢はしだいにふくらんでしまって
無限大にひろがってしまって
宇宙そのものになった
すなわち
狐はもうどこにも存在しないのだ
蔵原伸二郎
「岩魚」所収
1955
象のいない上野動物園に
タイ国からこどもの象がきた。
まだ鼻もよくのびていない可愛いいやつ。
インドからも大きな象がきた。
ちいさい象はハナコさん。
大きな象はインディラさんと名をつけて
朝早く子供がわいわい押しかける。
大人も毎日見物にくる。
総理大臣もやってきて
一本百円もするバナナをたくさんたべさせた。
象たちは
うまいうまいとながい鼻の下にのみこんだ。
なぜ象たちはこんなに歓迎されたか。
動物園に象がいなかったからだ。
動物園に象がいなかったのは
戦争で殺されたからだ。
戦争は檻の中のおとなしい象もころしてしまう。
目のやさしいアジアの象よ。
象のすきな子供たちよ。
それはそんなに古い話ではない。
おとなしい象はどうして殺されたか。
厚くてつよい象の皮は
鉄砲の弾もはじきかえす。
注射の針もとおらない。
たべものに毒をまぜると
感のいい鼻でかぎわけてしまう。
だから水ものませず
ひぼしにされた。
もう三週間も、もっと
象たちはなんにもたべない。
腹ぺこぺこでたおれてしまいそう。
子供たちもだあれも来ない。
園丁のおじさん達はこっちを見ないふりしている。
あの親切なおじさんたちが、
なぜだろう。
象の目から涙がながれた。
芋がほしい。芋がほしい。何かください。
三十日ちかくたって
生きのこっているのは
やせてしわだらけのトンキーさん一匹。
ああ、遠くにおじさんがみえる。
逆立ちの芸当をして
もう一度ねだってみよう。
やっとのおもいで後足を蹴あげたはずみに
前足からくたくたとくずれた。
そのまま立ちあがれず
象は死んでいた。
人間の食糧も不足のときに
象のたべものなどありはしない。
空襲で
力のつよい象があばれだしたらどうするか。
こうして、戦争はむりやりに象をころした。
動物園の象の話だのに
戦争のことなどはなしてしまった。
そんなこと、象たちや子供はしらぬがいい。
大きな象が腹ぺちゃんこにやせ
しわだらけになって死ぬようなことは
もういやだ。
秋山清
「象のはなし」所収
1959