Category archives: 1950 ─ 1959

忘れた秋

持つことを秋の道でおぼえたとき
風は一つ一つの草の実に吹き
野は一日一日の夕焼を蔵った
私はそうして秋を数えていた

昔は何を語り何を聞いたのか
昔は何を待ち何をのぞんだのか
川は知っているらしかった
そうして昔の川は私の傍を流れた

昔いくつかの物語は木の下で眠り
昔いくつかの恋は木の下で別れたと
嘘をつかない楡の木は云った

けれども忘れっぽい蝶は
木の向うに足音がすることや
木の中にかくれているひとを教えてくれた

岸田衿子
「忘れた秋」所収
1955

動物園にて

「おじいちやんは いまごろ
 どこらへんを歩いているんだろうな、
 もう死んでいるのかなあ」
と、遠くにいる四歳の孫娘が考えた時
その時
じいさんはばあさんと
二十年ぶりに動物園に行つて
ゴリラの檻の前に立つていた
「ほら ばあさんや、
 ゴリラという奴は、何かやる前に
 ちやんとやり方を考えるね。えらい奴じや
 のう」
「まあ、ほんとにそうですね。あなたより
 よつぽどえらいようだよ」
二人はとぼとぼと手を握りあつて
満開の桜の花の下をあるいていつた

蔵原伸二郎
岩魚」所収
1955

無題

私は旅に出よう
私の腸を 松の木にヒツカケて
烏に啄つかせよう
潮風に吹かれなければならない
私はくさりかけてゐる

高橋新吉
「高橋新吉詩集」所収
1952

——自叙伝について

いつからか幕があいて
僕が生きはじめてゐた。
僕の頭上には空があり
青瓜よりも青かつた。

ここを日本だとしらぬ前から
やぶれ障子が立つてゐて
日本人の父と母とが
しよんぼり畳に坐つてゐた。

茗荷の子や、蕗のたうがにほふ。
匂ひはくまなくくぐり入り
いちばん遠い、いちばん仄かな
記憶を僕らにつれもどす。

おもへば、生きつづけたものだ。
もはやだいたいわかりきつた
おなじやうな明日ばかりで
大それた過ちも起りさうもない。

いつのまにか、僕にも妻子がゐて
友人、知人、若干にかこまれ
どこの港をすぎたのかも
気にとめぬうちに、月日がすぎた。

そのうち、はこばれてきたところが
こんな寂しい日本国だつた。
はりまぜの汚れ屏風に囲はれて
僕は一人、焼跡で眼をさました。

金子光晴
人間の悲劇」所収
1952

落日

匈奴は平原に何百尺かの殆ど信じられぬくらいの深い穴を穿ち、死者をそこに葬り、一匹の駱駝を殉死せしめて、その血をその墓所の上に注ぐ風習があった。雑草は忽ちにしてそこを覆い、その墓所の所在を判らなくするが、翌年遺族たちは駱駝を連れて平原をさまよい、駱駝が己が同族の血を嗅ぎ当てて咆哮するところに祭壇を造って、死者に供養したと言う。
私はこの話が好きだ。この話の故に匈奴という古代の遊牧民族を信用できる気になる。因みに彼等の考え方に依れば、そのような平原を地殻と言い、そのような平原の果に沈む太陽を落日と言う。そしてまたそのような平原に降り積む雪を降雪と言うのである。

井上靖
「北国」所収
1958

告別式

金ばかりを借りて
歩き廻っているうちに
ぼくはある日
死んでしまったのだ
奴もとうとう死んでしまったのかと
人々はそう言いながら
煙を立てに来て
次々に合掌してはぼくの前を立ち去った
こうしてあの世に来てみると
そこには僕の長男がいて
むくれた顔して待っているのだ
なにをそんなにむっとしているのだときくと
お盆になっても家からの
ごちそうがなかったとすねているのだ
ぼくはぼくのこの長男の
頭をなでてやったのだが
仏になったものまでも
金のかかることをほしがるのかとおもうと
地球の上で生きるのとおなじみたいで
あの世も
この世もないみたいなのだ

山之口貘
山之口貘詩集」所収
1953

老いたきつね

冬日がてっている
いちめん
すすきの枯野に冬日がてっている
四五日前から
一匹の狐がそこにきてねむっている
狐は枯れすすきと光と風が
自分の存在をかくしてくれるのを知っている
狐は光になる 影になる そして
何万年も前からそこに在ったような
一つの石になるつもりなのだ
おしよせる潮騒のような野分の中で
きつねは ねむる
きつねは ねむりながら
光になり、影になり、石になり雲になる夢をみている
狐はもう食欲がないので
今ではこの夢ばかりみているのだ
夢はしだいにふくらんでしまって
無限大にひろがってしまって
宇宙そのものになった
すなわち
狐はもうどこにも存在しないのだ

蔵原伸二郎
岩魚」所収
1955

人の酒

飲んでうたっておどったが
翌日その店の名をきかれて
ぼくは返事にこまった
人の酒ばかりを
飲んで歩いているので
店の名などいらないのだ

山之口貘
山之口貘詩集」所収
1951

象のはなし

象のいない上野動物園に
タイ国からこどもの象がきた。
まだ鼻もよくのびていない可愛いいやつ。
インドからも大きな象がきた。
ちいさい象はハナコさん。
大きな象はインディラさんと名をつけて
朝早く子供がわいわい押しかける。
大人も毎日見物にくる。
総理大臣もやってきて
一本百円もするバナナをたくさんたべさせた。
象たちは
うまいうまいとながい鼻の下にのみこんだ。
なぜ象たちはこんなに歓迎されたか。
動物園に象がいなかったからだ。
動物園に象がいなかったのは
戦争で殺されたからだ。
戦争は檻の中のおとなしい象もころしてしまう。
目のやさしいアジアの象よ。
象のすきな子供たちよ。
それはそんなに古い話ではない。

おとなしい象はどうして殺されたか。
厚くてつよい象の皮は
鉄砲の弾もはじきかえす。
注射の針もとおらない。
たべものに毒をまぜると
感のいい鼻でかぎわけてしまう。
だから水ものませず
ひぼしにされた。
もう三週間も、もっと
象たちはなんにもたべない。
腹ぺこぺこでたおれてしまいそう。
子供たちもだあれも来ない。
園丁のおじさん達はこっちを見ないふりしている。
あの親切なおじさんたちが、
なぜだろう。
象の目から涙がながれた。
芋がほしい。芋がほしい。何かください。
三十日ちかくたって
生きのこっているのは
やせてしわだらけのトンキーさん一匹。
ああ、遠くにおじさんがみえる。
逆立ちの芸当をして
もう一度ねだってみよう。
やっとのおもいで後足を蹴あげたはずみに
前足からくたくたとくずれた。
そのまま立ちあがれず
象は死んでいた。
人間の食糧も不足のときに
象のたべものなどありはしない。
空襲で
力のつよい象があばれだしたらどうするか。
こうして、戦争はむりやりに象をころした。

動物園の象の話だのに
戦争のことなどはなしてしまった。
そんなこと、象たちや子供はしらぬがいい。
大きな象が腹ぺちゃんこにやせ
しわだらけになって死ぬようなことは
もういやだ。

秋山清
「象のはなし」所収
1959

一つの星に

 わたしが望みを見うしなつて暗がりの部屋に横たはつてゐるとき、どうしてお前は感じとつたのか。この窓のすき間に、あたかも小さな霊魂のごとく滑りおりて憩らつてゐた、稀れなる星よ。

原民喜
原民喜詩集」所収
1951