Category archives: 1950 ─ 1959

あまだれのおとは・・・・

あまだれのおとは
とおく ちかく きれぎれな過去のおと
こどものころ
てるさんにつれられてみにいつた
しながわのドックのおと
てるさんがおしえてくれた
あさがほのつぼみを吹いてあそぶおと
ビーだまのおと
りんかのピアノ
らくてんちではじめておぼえた
コルクをぬいてあわをのむおと

いえをでたあの日のざいもくおきば
レインコートにあめのふるおと
それはまたかぎりないあしたを予想して
ひとりゆのみに湯をそそぐおと
あまだれのおと
かんおけにくぎをうつおと
とおく ちかく きれぎれにおちる
うんめいのあしおと

花田英三
「あまだれのおとは・・・・」所収
1954

風船

空に向かって
大きな欠伸をすると、
口の中から
風船がひとつ 飛び出した。
空へずんずん昇るにつれて、
それはしだいに大きく膨れあがっていった。

あの中には
毒瓦斯がいっぱい詰まっていて、
いつ爆発するかわからない。
――そんな噂が街中に拡がっていった

小さな街の
上空を覆う
巨大な風船。
それが朝から夜中まで、
幽霊のようにぶらぶらしている。

この街の人々は
生活に疲れきって、
空に
太陽のあることすら忘れていたのだが、
風船の出現に恐れおののいて
空ばかり見上げている。

何時、
どんな変事が起こるかわからぬので、
街中が
革命以上の大騒ぎとなった
警察は四方八方へ
刑事たちを走らせたが、
肝腎の犯人は何処にも見つからなかった。

――欠伸をした男をみたら 知らせてください。
――その男の人相もできるだけ詳しく。
そんな協力を街の人々に求めたが、
欠伸をしている男が
あまりに多過ぎるので、
どれが真犯人だかわからなかった。

流石の警察も
とうとう音をあげてしまった。

そして今でも
その小さな街の屋根の上を、
風船は
あいかわらずぶらぶらしている。
風の吹くままに、
西に
東に……

壺井繁治
風船」所収
1957

過去

その男はまずほそいくびから料理衣を垂らす
その男には意志がないように過去もない
鋭利な刃物を片手にさげて歩き出す
その男のみひらかれた眼の隅へ走りすぎる蟻の一列
刃物の両面で照らされては床の塵の類はざわざわしはじめる
もし料理されるものが
一個の便器であっても恐らく
その物体は絶叫するだろう
ただちに窓から太陽へ血をながすだろう
いまその男をしずかに待受けるもの
その男に欠けた
過去を与えるもの
台のうえにうごかぬ赤えいが置かれて在る
班のある大きなぬるぬるの背中
尾は深く地階へまで垂れているようだ
その向うは冬の雨の屋根ばかり
その男はすばやく料理衣のうでをまくり
赤えいの生身の腹へ刃物を突き入れる
手応えがない
殺戮において
反応のないことは
手がよごれないということは恐ろしいことなのだ
だがその男は少しずつ力を入れて膜のような空間をひき裂いてゆく
吐きだされるもののない暗い深度
ときどき現れてはうすれてゆく星
仕事が終るとその男はかべから帽子をはずし
戸口から出る
今まで帽子でかくされた部分
恐怖からまもられた釘の個所
そこから充分な時の重さと円みをもった血がおもむろにながれだす

吉岡実
「静物」所収
1955

伝説

湖から
蟹が這いあがってくると
わたくしたちはそれを縄にくくりつけ
山をこえて
市場の
石ころだらけの道に立つ
蟹を食うひともあるのだ

縄につるされ
毛の生えた十本の脚で
空を掻きむしりながら
蟹は銭になり
わたくしたちはひとにぎりの米と塩を買い
山をこえて
湖のほとりにかえる

ここは
草も枯れ
風はつめたく
わたくしたちの小屋は灯をともさぬ

くらやみのなかでわたくしたちは
わたくしたちのちちははの思い出を
くりかえし
くりかえし
わたくしたちのこどもにつたえる
わたくしたちのちちははも
わたくしたちのように
この湖の蟹をとらえ
あの山をこえ
ひとにぎりの米と塩をもちかえり
わたくしたちのために
熱いお粥をたいてくれたのだった

わたくしたちはやがてまた
わたくしたちのちちははのように
痩せほそったちいさなからだを
かるく
かるく
湖にすてにゆくだろう
そしてわたくしたちのぬけがらを
蟹はあとかたもなく食いつくすだろう
むかし
わたくしたちのちちははのぬけがらを
あとかたもなく食ひつくしたように

それはわたくしたちのねがいである

こどもたちが寝いると
わたくしたちは小屋をぬけだし
湖に舟をうかべる
湖の上はうすらあかるく
わたくしたちはふるえながら
やさしく
くるしく
むつびあう

会田綱雄
「鹹湖」所収
1957

僧侶

四人の僧侶
庭園をそぞろ歩き
ときに黒い布を巻きあげる
棒の形
憎しみもなしに
若い女を叩く
こうもりが叫ぶまで
一人は食事をつくる
一人は罪人を探しにゆく
一人は自潰
一人は女に殺される

四人の僧侶
めいめいの務めにはげむ
聖人形をおろし
磔に牝牛を掲げ
一人が一人の頭髪を剃り
死んだ一人が祈祷し
他の一人が棺をつくるとき
深夜の人里から押しよせる分娩の洪水
四人がいっせいに立ちあがる
不具の四つのアンブレラ
美しい壁と天井張り
そこに穴があらわれ
雨がふりだす

四人の僧侶
夕べの食卓につく
手のながい一人がフォークを配る
いぼのある一人の手が酒を注ぐ
他の二人は手を見せず
今日の猫と
未来の女にさわりながら
同時に両方のボデーを具えた
毛深い像を二人の手が造り上げる
肉は骨を緊めるもの
肉は血に晒されるもの
二人は飽食のため肥り
二人は創造のためやせほそり

四人の僧侶
朝の苦行に出かける
一人は森へ鳥の姿でかりうどを迎えにゆく
一人は川へ魚の姿で女中の股をのぞきにゆく
一人は街から馬の姿で殺戮の器具を積んでくる
一人は死んでいるので鐘をうつ
四人一緒にかつて哄笑しない

四人の僧侶
畑で種子を撒く
中の一人が誤って
子供の臍に蕪を供える
驚愕した陶器の顔の母親の口が
赭い泥の太陽を沈めた
非常に高いブランコに乗り
三人が合唱している
死んだ一人は
巣のからすの深い咽喉の中で声を出す

四人の僧侶
井戸のまわりにかがむ
洗濯物は山羊の陰嚢
洗いきれぬ月経帯
三人がかりでしぼりだす
気球の大きさのシーツ
死んだ一人がかついで干しにゆく
雨のなかの塔の上に

四人の僧侶
一人は寺院の由来と四人の来歴を書く
一人は世界の花の女王達の生活を書く
一人は猿と斧と戦車の歴史を書く
一人は死んでいるので
他の者にかくれて
三人の記録をつぎつぎに焚く

四人の僧侶
一人は枯木の地に千人のかくし児を産んだ
一人は塩と月のない海に千人のかくし児を死なせた
一人は蛇とぶどうの絡まる秤の上で
死せる者千人の足生ける者千人の眼の衡量の等しいのに驚く
一人は死んでいてなお病気
石塀の向うで咳をする

四人の僧侶
固い胸当のとりでを出る
生涯収穫がないので
世界より一段高い所で
首をつり共に嗤う
されば
四人の骨は冬の木の太さのまま
縄のきれる時代まで死んでいる

吉岡実
「僧侶」所収
1958

パンク

狂い坊主が歩いて行きます
うちわのような太鼓をたたき
荒々しく狂い坊主が歩いて行きます
けれどパンクしたバスはなおりません

トラックが通ります
白色の標識が目にしみます
馬があばれます
女学生が悲鳴をあげます
赤色の筆箱が転りおちます
けれどパンクしたバスはなおりません

着かざった女の人がかん高く笑います
女学生が歌をうたいます
ハイヒールをはいた人がつまづきます
男の人がキングの本をよんでいます
けれどパンクしたバスはなおりません

江島寛
「江島寛詩集」所収
1954

さんたんたる鮟鱇

――へんな運命が私を見つめている  リルケ
 
顎を むざんに引っかけられ
逆さに吊りさげられた
うすい膜の中の
くったりした死
これは いかなるもののなれの果だ

見なれない手が寄ってきて
切りさいなみ 削りとり
だんだん稀薄になっていく この実在
しまいには うすい膜も切りさられ
惨劇は終っている

なんにも残らない廂から
まだ ぶら下っているのは
大きく曲った鉄の鉤だけだ

村野四郎
抽象の城」所収
1954

両の手で掩いかくしても眼は見てはならぬものをみつめようとし
口は不埒なことをわめこうとするので
私は顏を草原にふり棄てた
ひきはがれた顏の下から従順な家畜の顏が生えた

私は風のなびくままに歩いた

街は祭日のように賑わっていたが
人々の眼はやはり家畜だった

線路をいくつ越えたか覚えていない

子供達が電線に凧がひっかかっていると騒いでいた

ふと見上げたらさっき草原に棄てて來たはずの私の顏がはりついていた

閉じた眼から涙ぼうだと垂れ 折からの入日にきらきらと輝き
口はにんまりと笑みを含んでいた

町田志津子
「幽界通信」所収
1954

花もわたしを知らない

春はやいある日
父母はそわそわと客を迎える仕度をした
わたしの見合いのためとわかった

わたしは土蔵へかくれてうずくまった
父と母はかおを青くしてわたしをひっぱり出し
戸をあけて押し出した ひとりの男の前へ

まもなくかわるがわる町の商人が押しかけてきた
そして運ばれてきた
箪笥 長持ち いく重ねもの紋つき
わたしはうすぐらい土蔵の中に寝ていた
目ははれてトラホームになり
夜はねむれずに 何も食べずに
わたしはひとつのことを思っていた
古い村を抜け出て
何かあるにちがいない新しい生き甲斐を知りたかった
価値あるもの 美しいものを知りたかった
わたしは知ろうとしていた

父は大きな掌ではりとばしののしった
父は言った
この嫁入りは絶対にやめられないと

とりまいている村のしきたり
厚い大きな父の手

私は死なねばならなかった
わたしはおきあがって土蔵を出た
外はあかるかった
やわらかい陽ざし
咲き揃った花ばな

わたしは花の枝によりかかり
泣きながらよりかかった
花は咲いている

花は咲いている
花もわたしを知らない
誰もわたしを知らない
わたしは死ななければならない
誰もわたしを知らない
花も知らないと思いながら

中野鈴子
「花もわたしを知らない」所収
1955

空から降りてきた男

空から降りてきた男は、
花束をかかえて
笑っている。

その着陸場は
たちまちに沙漠となる。

そこはかつての激戦地。
爆弾や銃砲弾の破片とともに、
無数の死骸を
ブルドーザーで
地ならししたところ。

その男は
空を
大股に駆け回る、
黒いマントの翼をつけた
メフィストフェレスのように。

その男の
かかえている花束のまわりには、
巨大な蛾が
群り飛んでいる。

乾ききった
沙漠の風の中で、
つねに微笑をたたえて
僕たちにささやく男。

僕たちの
眠っている間に、
突然、
稲妻みたいな閃光が、
暗夜を
ヒステリックに引き裂いた。

そこは
僕たちの手のとどかぬ遠いところだったが、
その男はすでに
そこにいた。

翌朝、
新聞を読んだら、
やたらに
「平和」という活字が眼についた。

壺井繁治
1956