Category archives: 1940 ─ 1949

二元論

夕方戸を閉る、戸の内にも夕暮れがある。
明け方戸を開ける。戸の内にも夜明けがある。

菱山修三
「盛夏」所収
1946

喪のある景色

うしろを振りむくと
親である
親のうしろがその親である
その親のそのまたうしろがまたその親の親であるというように
親の親の親ばっかりが
むかしの奧へとつづいている
まえを見ると
まえは子である
子のまえはその子である
その子のそのまたまえはそのまた子の子であるというように
子の子の子の子の子ばっかりが
空の彼方へ消えているように
未来の涯へとつづいている
こんな景色のなかに
神のバトンが落ちている
血に染まった地球が落ちている

山之口貘
山之口貘詩集」所収
1940

黙っていても

黙っていても
考えているのだ
俺が物言わぬからといって
壁と間違えるな

壺井繁治
「果実」
1946

枯木と私

私もお前のやうに
時には天を刺したい。
サクレツする事の出来ない
老いたる者の怒りのやうな。
動物園の鷹のやうな。

松木千鶴
「松木千鶴詩集」所収
1949

平和

峠の上から
人々の働いてゐるのを見ると
平和そのものゝやうだ
麦をかつてゐる者
田植をしてゐる者
馬で田畑を耕してゐる者
仔馬は母親の廻りをとびはねてゐる。
それを太陽は慈悲深く
しかし厳かに照らしてゐる。
平和そのものゝやうだ。
平和の神は太陽と共に
この世を照してゐるのだが
人々はまだそれを受け入れることが
出来ないのではないか。
神は人々と共に働いてゐるのだが
人々はそれに気がつかないのではないか。

武者小路実篤
無車詩集」所収
1941

言葉

私は言葉を「物」として選ばなくてはならない。
それは最もすくなく語られて
深く天然のように含蓄を持ち、
それ自身の内から花と咲いて、
私をめぐる運命のへりで
暗い甘く熟すようでなくてはならない。

それがいつでも百の経験の
ただひとつの要約でなくては ――
一滴の水の雫が
あらゆる露点の実りであり、
夕暮の一点の赤い火が
世界の夜であるように。

そうしたら私の詩は、
まったく新鮮な事物のように、
私の思い出から遠く放たれて、
朝の野の鎌として、
春のみずうみの氷として、
それ自身の記憶からとつぜん歌を始めるだろう。

尾崎喜八
「行人の歌」所収
1940

蒸し暑い或る日
浜松町駅のプラットホームに佇んでいると
おびただしい雁の群れが
目の前を覆った、
私は今までに
街の中で
雁が
こんなにも低く飛ぶのを
見たことがない
泳ぐように突き出した長い首や
うしろに延しやった黄色い脚さえ
見えたのだ、
見たことがないのは
低く飛ぶ雁ばかりではない
これらの雁の乱れ方だ
あまりにも乱れていた、
一群れが
すすんで行くかと見ると
一群れはそれとは逆に飛んでいる
その中間で戸迷っている群れがある
といった塩梅だ、
しかもその一群れ一群れが
それぞれ
まるで雁行の形を成していないのだ
ずっと遅れて
あとから一羽二羽が
はぐれては大変だとばかり
あわてふためいていたのは
二、三にとどまらない
一体 何がどうしたというのだろう
この雁の乱れは
只ごとではないと思われた
わたしは
胸つまる思いで
乱れに乱れたおびただしい雁の群れを
見迎え見送っていた。

 一九四七年八月末のことである。
 この日から幾ばくもなくして、われわれはカスリーン台風に襲われたが、この台風とあの雁の乱れとは関係があるものかどうか、私には判らない。が、妙に気になることではある。

北川冬彦
1947

不眠者

われらは 都会の肢体を感じ
日毎安らかならず
而もなほ わたくしらは このところに生きる
海にのみ 怒涛を感ずるものは知らない
都会の人には水平に斜面を感じ
プラタアスの並木路に出でて黄昏れの空気を吸ひ
再び雑踏の中へ紛れ去る
かくて都会は一日を燃焼し 暁の薄明を待機する
・・・・わたくしは夜更けてなほ彼の鼓動を聴く
人々の不眠を聚めて彼も亦轆囀反側してゐる

牧田益男
「さわらびの歌」所収
1947

夢からさめて

この夜更に、わたしの眠をさましたものは何の気配か。
硝子窓の向ふに、あゝ今夜も耳原御陵の丘の斜面で
火が燃えてゐる。そして それを見てゐるわたしの胸が
何故とも知らずひどく動悸うつのを感ずる。何故とも知らず?
さうだ、わたしは今夢をみてゐたのだ、故里の吾古家のことを。
ひと住まぬ大き家の戸をあけ放ち、前栽に面した座敷に坐り
独りでわたしは酒をのんでゐたのだ。夕陽は深く廂に射込んで、
それは現の日でみたどの夕影よりも美しかつた、何の表情もないその冷たさ、透明さ。
そして庭には白い木の花が、夕陽の中に咲いてゐた
わが幼時の思ひ出の取縋る術もないほどに端然と……。
あゝこのわたしの夢を覚したのは、さうだ、あの怪しく獣めく
御陵の夜鳥の叫びではなかつたのだ。それは夢の中でさへ
わたしがうたつてゐた一つの歌の悲しみだ。

かしこに母は坐したまふ
紺碧の空の下
春のキラめく雪渓に
枯枝を張りし一本の
木高き梢
あゝその上にぞ
わが母の坐し給ふ見ゆ

伊東静雄
詩集夏花」所収
1940

狐は尾を水に濡らさないそうだ
たとい 獵師や熊に追い駈けられて
倉皇と谷の流れを横切るときでも
あの重いふさふさした尾を巧みに捌いて
飛沫の一滴にも濡らさないさうだ

ところで 或る時 私はこの眼で見た
一匹の狐が慎重に川瀬を徒渉り
あわや 向う岸にとどくという間際に
いかなる不運に魅入られたのか
ふらりと 尾の先端を水面に垂れたのを

刹那狐は襲われたかのように
躍り上がつて いつさんに夕霧の中に隱れたが
不思議に しばらく 私には見えてゐた
霧のむかふで どんなに彼が悔いてゐたか
悔いに悶えながら走りつづけてゐたかが

丸山薫
北国」所収
1946