Category archives: 1940 ─ 1949

コツトさんのでてくる抒情詩

子どもも見てゐる、
母も見てゐる。
けさ。湖水がはじめて凍つた。
水はもううごかない。
ラムネ玉のやうに。

母は氷のうえをすべつてみたいといふ。
子どももまねをして
一寸さう思ってみる。
だが、子どもは寒がり屋。

厚い氷の板の下は、
牛乳色に煙る。
死者の眼のくまのやうな
そこふかいみどりいろ。
底の底を支へた水が、たえず
水に曳きずられてゐるのだ。
この氷盤をま二つに割るものは
めぐりくる春より他にはない。

――戦争は慢性病です。
コツトさんはいふ。
――冬がすめば、春がきますよ。

子どもよ。信じて春を待たう。
だが、正直、この冬は少々
父や母にはながすぎる。

子どもにはとりかへす春があるが、
父や母に、その春はよそのものだ。
大切な人生の貴重な部分を
吹き荒れた嵐が根こそぎにした。

コツトさんはながいからだを
病気で、床によこたえてゐる。
米ありません。
薪ありません。

いま世の中をかすめてゐるものは
絶滅の思想だ。
杪に嘯き、虚空に渦巻いてゐるものは。

日没は弱陽で枯れ林を焚く。
暮れ方の風の痛さ。
すきま風漏る障子をしめて、
子どもはきいてゐる。
母はきいてゐる。

不安定な湖の氷が
風にゆられてきしみながら、
吼えるやうに泣くのを。
洞窟にこだまするやうに
氷と氷が身をすつて悶えるのを。

金子光晴
」所収
1948

路上偶成

あと ひと息のところで
カタとおち
遮断機が 行手に大手をひろげた

まのあたり 月を載せ
――清水に流した素麺、いな
あの白ぬきの縞がらを いくすぢの線路が織る

とつぜん
ざあつとひかりを わたしに浴びせかけ
光り虫が いくつか
断続しながら わがまへを過ぎた

佇んで しばし
わたしは半生の行路にして
いくたび わたしを阻んだ
あの眼にみえぬ遮断機を かたどる

眼前咫尺まで おびきよせて遮り
故意に拒むやうな 依怙地な仕打をなしたもの

通りすぎるまでの ぎりぎりの
結着を待つて 暖かに 降ろされたもの

一歩は踏みこませ またひき戻させたもの
半ば歩ませ 半ばは駈歩に 急きたてたもの
はてしなく 待ち草臥れさせたもの
まち草臥れさせて 傍の
跨線橋に追ひやつてから すぐと展いたもの

いま一歩にして
みつけた伴侶を 見失はせたもの
それに
それから……

高祖保
「独楽」所収
1945

雪もよい

寒い。

わかい歯科医のもとへ 一句
「歯石はづす 夜の皓さに
睫毛鳴る」とかき送つて
その夜、まつしろいものに埋つて寝た。

寒い。

青い視野の奥のはうで
鵞ペンは、わたしの鵞ペンは寝たやうだ
行燈まがひの卓上電気も もはや 眠つたらしい
それから わたしの子供も 句帖も。

ところで
のこつた、眠らないのがただひとつ
膨らんで阿呆のやうな、きたならしい、このひだりの胸の哀求律。

寒い。

夜のからんからんに乾いた空気の、その底で
うつかり 咳をとりおとすと
発止!
それは青く火を発して 鳴つた。

高祖保
「雪」所収
1942

誕生祭

砂川原のまんなかの沼が夕焼け雲を映してゐたが。
もうむらさきの靄もたちこめ。
金盥の月がのぼつた。

蒲やおもだかが沼をふちどり。
その茎や葉や穂のびろうどには重なりあふほどの蛍たちが。
蛍イルミネーションがせはしくせはしく明滅する。
げんごろうの背中には水すましが。鯰のひげには光る藻が。

この時。
とくさの笛が鳴り渡つた。
するといきなり。沼のおもては蛙の顔で充満し。
幾重もの円輪をつくつてなんか厳かにしんとしてゐる。
螢がさつとあかりを消し。
あたりいちめん闇が沸き。
とくさの笛がふたたび高く鳴り渡ると。
《悠悠延延たり一万年のはての祝祭》の合唱が蒲もゆれゆれ轟きわたる。

  たちあがったのはごびろだらうか。
  それともぐりまだらうかケルケだらうか。
  合唱のすんだ明滅のなかに。
  ひときは高くかやつり草にもたれかかり。
  ばらあばらあと太い呪文を唱へてから。

   全われわれの誕生の。
   全われわれのよろこびの。
   今宵は今年のたつたひと宵。
   全われわれの胸は音たて。
   全われわれの瞳はひかり。
   全われわれの未来を祝し。
   全われわれは……。

飲めや歌へだ。ともうじやぼじやぼじやぼじやぼのひかりの渦。
泥鰌はきらつとはねあがり。
無数無数の螢はながれもつれあふ。

りーりー りりる りりる りつふつふつふ
りーりー りりる りりる りつふつふつふ
   りりんふ ふけんふ
   ふけんく けけつけ
けくつく けくつく けんさりりをる
けくつく けくつく けんさりりをる
    びいだらら びいだらら
    びんびん びがんく
    びいだらら びいだらら
    びんびん びがんく
びがんく びがんく がつがつがりりがりりき
びがんく びがんく がつがつがりりがりりき
   がりりき きくつく がつがつがりりき
   がりりき きくつく くつくく ぐぐぐ
 きくつく くくつく くつくく ぐぐぐ
      ぐぐぐぐ ぐぐんく
      ぐぐぐぐ ぐぐんく
ぐるるつ ぐるるつ いいいいいいいいいいいいいいいいい
ぐるるつ ぐるるつ いいいいいいいいいいいいいいいいい
   があんびやん があんびやん
     われらのゆめは
     よあけのあのいろ
     われらのうたは

ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ

草野心平
定本蛙」所収
1948

白い花

アッツの酷寒は
私らの想像のむこうにある。
アッツの悪天候は
私らの想像のさらにむこうにある。
ツンドラに
みじかい春がきて
草が萌え
ヒメエゾコザクラの花がさき
その五弁の白に見入って
妻と子や
故郷の思いを
君はひそめていた。
やがて十倍の敵に突入し
兵として
心のこりなくたたかいつくしたと
私はかたくそう思う。
君の名を誰もしらない。
私は十一月になって君のことを知った。
君の区民葬の日であった。

秋山清
「白い花」所収
1944

死んだ男

たとえば霧や
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
──これがすべての始まりである。

遠い昨日……
ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、
ゆがんだ顔をもてあましたり
手紙の封筒を裏返すようなことがあった。
「実際は、影も、形もない?」
──死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった

Mよ、昨日のひややかな青空が
剃刀の刃にいつまでも残っているね。
だがぼくは、何時何処で
きみを見失ったのか忘れてしまったよ。
短かかった黄金時代──
活字の置き換えや神様ごっこ──
「それが、ぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて……

いつも季節は秋だった、昨日も今日も、
「淋しさの中に落葉がふる」
その声は人影へ、そして街へ、
黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。

埋葬の日は、言葉もなく
立会う者もなかった、
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
空にむかって眼をあげ
きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横わったのだ。
「さよなら。太陽も海も信ずるに足りない」
Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

鮎川信夫
「鮎川信夫詩集」所収
1947

浅春偶語

    「物象詩集」の著者丸山薫君はわが二十余年来の詩友なり、この日
    新著を贈られてこれを繙くに感慨はたもだす能わず、乃ち

友よ われら二十年も詩を書いて
已にわれらの生涯も こんなに年をとつてしまつた

友よ 詩のさかえぬ国にあつて
われらながく貧しい詩を書きつづけた

孤独や失意や貧乏や 日々に消え去る空想や
ああながく われら二十年もそれをうたつた

われらは辛抱づよかつた
そうしてわれらも年をとつた

われらの後に 今は何が残されたか
問うをやめよ 今はまだ背後を顧みる時ではない

悲哀と歎きで われらは己にいつぱいだ
それは船を沈ませる このうえ積荷を重くするな

われら妙な時代に生きて
妙な風に暮したものだ

そうしてわれらの生涯も おいおい日暮に近づいた
友よ われら二十年も詩を書いて

詩のなげきで年をとつた ではまた
気をつけたまえ 友よ 近ごろは酒もわるい!

三好達治
一点鐘」所収
1941

襤褸(ぼろ)

悲しい叫びが起つた
仰天して窓は地上に砕けた
頭髪を乱した洋燈が街路を駆けてゐた

私の喉に
泥沼のごとく狼の咬傷は開いた
そこから赤い夜は始まつた

私の眼は地上に落ちた
それは孤独の星であつた
私はもはや石灰の中に私を探さない
私はもはや私に出遇はない
私の行くところ
到るところ襤褸は立ち上がる

 ★

かつて唇に庭園はあつた
かつて石に涙の秩序はあつた
笑ひは空井戸の底に
倦怠は屋根にあつた
呼吸しない広場で
風の歌が鳴つてゐた
私のゐるとき
それはいつでも夜であつた
睡眠は壁の中に
星は卓子の上にゐた

富士原清一
「富士原清一詩集 魔法書或は我が祖先の宇宙学」所収
1944

洗面器

( 僕は長いあひだ、洗面器といふうつはは、僕たちが顔や手を洗ふのに湯、水を入れるものとばかり思つてゐた。ところが爪硅(ジャワ)人たちはそれに羊(カンピン) や魚(イカン)や、鶏や果実などを煮込んだカレー汁をなみなみとたたえて、花咲く合歓木の木陰でお客を待ってゐるし、その同じ洗面器にまたがって広東の女たちは、嫖客の目の前で不浄をきよめ しゃぼりしゃぼりとさびしい音をたてて尿をする。 )

  洗面器のなかの
さびしい音よ。

くれてゆく岬の
雨の碇泊。

ゆれて、
傾いて、
疲れたこころに
いつまでもはなれぬひびきよ。

人の生のつづくかぎり
耳よ。おぬしは聴くべし。

洗面器のなかの
音のさびしさを。

金子光晴
女たちへのエレジー」所収
1949

古い詩集

僕は羽の汚れたペンで
少年のやうな詩を書いた
詩はいぢらしい詩集に編まれて
世の風の中にちらばつていつた
僕からも失くなつていつた

幾年――
僕は詩集をさがして歩いた
昨日 さびれた或る古本屋で
なつかしい彼に逅った
彼は十五銭
棚の埃にのってゐた

一円で僕は買はうと思つた
手にとってぺーヂをめくると
昔住んでゐた町角の夕陽が見えた
そこから黄ばんだ犬が一匹吠えて出て
僕の肩に跳びかかつた

丸山薫
「物象詩集」
1941