Category archives: 1940 ─ 1949

富士

重箱のやうに
狭つくるしいこの日本。

すみからすみまでみみつちく
俺たちは数えあげられてゐるのだ。

そして、失礼千万にも
俺たちを召集しやがるんだ。

戸籍簿よ。早く焼けてしまへ。
誰も。俺の息子をおぼえてるな。

息子よ。
この手のひらにもみこまれてゐろ。
帽子のうらへ一時、消えてゐろ。

父と母とは、裾野の宿で
一晩ぢゆう、そのことを話した。

裾野の枯林をぬらして
小枝をピシピシ折るやうな音を立てて
夜どほし、雨がふつてゐた。

息子よ。づぶぬれになつたお前が
重たい銃を曳きずりながら、喘ぎながら
自失したやうにあるいてゐる。それはどこだ?

どこだかわからない。が、そのお前を
父と母とがあてどなくさがしに出る
そんな夢ばかりのいやな一夜が
長い、不安な夜がやつと明ける。

雨はやんでゐる。
息子のゐないうつろな空に
なんだ。糞面白くもない
洗いざらした浴衣のやうな
富士。

金子光晴
」所収
1948

苦しい

お手紙出したこといけない
汽車に乗ったこといけない
私のしたことみないけない

苦しい時には
外へ出てはいけません
立派な御本をおよみなさい
立派な御本をおよみなさい
けれど私は疲れはてて
いつも眠ってしまうのです

山本沖子
「花の木の椅子」所収
1947

秀ちゃん

私は秀ちゃんが好きです
秀ちゃんはいつもうっすらとだまっています
私と同じように眼鏡をかけています
船つき場に二人で立って
海をみてます

秀ちゃんと二人でいると
むずかしいことちっとも話さない
私の胸のなかのむずかしいこと
ちっとも分ってくれない
それでも私は秀ちゃんが好きです
二人同じ夢みてるのでしょう
青い樹のなかで
青い葉っぱ食べる夢でしょう

山本沖子
「花の木の椅子」所収
1947

禿

── 一子乾の徴兵検査日に

 鮫のからだのやうに
ぺらりとむけてゆく
海の曙。

 ──かつて薔薇石鹸で
 官女の肌着を洗濯した
 そのにごつたゆすぎ水。

 ──いまは、すりへつてまるくなつた貝や、てんぼう、足んぼう、目も鼻も
   ながれた顔、ずんべらぼうなこころなどが底ふかくしづんでゐるだけの
 海。

ああ、かくまで消耗しつくした
水脈のはるかさ、遠さよ。
血のうせた頬の
死のふくらみ。

さだめし、いま、人類のあたまに
毛といふものはのこつてゐまい。

水のあま皮を突いて
突然、釘の先が出た。
潜水艇だ。
息苦しくてたまらなくなつて
ほつとしてうきあがつたのだ。

そのとつ先に、たちまち、
世界ぢゆうの生きのこつた神経があつまつて聴く。
アジアも、ヨーロッパも
のこらず禿げたといふ風信を。

金子光晴
落下傘」所収
1948

花嫁の冠は

明るい歌声のようにさざめいていた
花嫁の冠はもう取られただろうか?
そうして人生の悲しみも
もう一つ位は見知っただろうか?
たとえば愛する者の心を見失いかけたとか
幼い者の病むさまとか
時には神様が
それらの者をお召しにさえなろうとしたとか。
そうしてもう気附いただろうか?
墓地のたくさんの十字架の下には
見捨てられた不幸せな魂も
眠っていることを。
そうしてもう見ただろうか?
かつて愛したものの幸せかどうかと言う
それらの死者達の問いたげな眼なざしを。

野村英夫
「野村英夫詩集」所収
1948

征旅

蛾は
あのやうに狂ほしく
とびこんでゆくではないか
みづからを灼く 火むらのただなかに

わたしは
みづからを灼く たたかひの
火むらのただなかへ とびこんでゆく
あゝ 一匹の蛾だ

高祖保
独楽」所収
1945

微塵

籾摺機の中に穀物を流し入れて、
動力のとどろきはげしくベルトの廻転する時
こまかくくだけたその外皮は
陽にキラキラときらめいて
微塵となって飛んでゆく
琥珀色のふきあげ
金の噴出
その美しさにはてしなく魅力を感じるが
私に深い関係があるように思える
或は私自身のようにも思える
何かしら最もよいもの
もしかしたら詩の重みだけを残して
あとはかるくかるく自然の奥へと消えてゆくのだ。
景色と云うものになってしまうのだ。

永瀬清子
「焔について」所収
1948

みんな僕の

みんなぼくの知らないところからあらわれてくる
みんなぼくの知らないところへ消えてゆく
山の小径で 足を投げだしてやすんでいると
左の手くびの上に
一羽のモンキチョウがきてとまる
体内の血が急にあつくなる
ぼくはチョウに生るべきだったのに
どこかでふとしたことからとりちがえられたのかもしれぬ
だからここで たがいの生の軌道が
もういっぺんだけ交叉したのかもしれぬ
あ もう行っちまうのか
さようなら

藤原定
「天地の間」所収
1944

団子や芋を食うので
妻はよく屁をひるなり
少しは遠慮もするならん
それでも出るならん
しかしぼくはつくづく
離縁がしたく思うなり

木山捷平
詩篇拾遺」所収
1947

空間

中原よ。
地球は冬で寒くて暗い。

ぢや。
さやうなら。

草野心平
絶景」所収
1940