けふはぼくのたましひは疾み
烏さへ正視ができない
あいつはちやうどいまごろから
つめたい青銅の病室で
透明薔薇の火に燃される
ほんたうに けれども妹よ
けふはぼくもあんまりひどいから
やなぎの花もとらない
宮沢賢治
「春と修羅」
1922
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです
これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)
けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
(あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料といつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません
すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます
宮沢賢治
「春と修羅」所収
1924
一
「茉莉」と呼ばれた軍艦が北支那の月の出の波止場に今夜も碇を投れている。岩塩のようにひつそりと白く。
私は艦長で大尉だった。娉嫖とした白皙な麒麟のような姿態は、われ乍ら麗はしく婦人のやうに思われた。私は艦長公室のモロッコ革のディヴンに、夜となく昼となくうつうつと阿片に憑かれてただ崩れてゐた。さういふ私の裾には一匹の雪白なコリー種の犬が、私を見張りして駐つてゐた。私は監禁されていた。
二
月の出がかすかに、私に妹のことを憶はせた。私はたつたひとりの妹が、その後どうなつてゐるかといふことをうすうす知つてゐた。妹はノルマンデイ産れの質のよくないこの艦の機関長に夙うから犯されてゐた。しかしそれをどうすることも今の私には出来なかつた。それに「茉莉」も今では夜陰から夜陰の港へと錨地を変へてゆく、極悪な黄色賊艦隊の麾下の一隻になつてゐる──悲しいことに、私は又いつか眠りともつかない眠りに、他愛もなくおちてゐた。
三
夜半、私はいやな滑車の音を耳にして醒めた。ああ又誰かが酷らしく、今夜も水に葬られる──私は陰気な水面に下りて行く残忍な木函を幻覚した。一瞬、私は屍体となって横たわる妹を、刃よりもはつきりと象た。私は遽に起とうとした。けれど私の裾には私を張番するコリー種の雪白な犬が、釦のように冷酷に私をディヴンに留めている。──「ああ!」私はどうすることも出来ない身体を、空しく悶えさせ乍ら、そして次第にそれから昏睡していつた。
四
月はずるずる巴旦杏のように堕ちた。夜蔭がきた。そして「茉莉」がまた錨地を変へるときがきた。「茉莉」は疫病のような夜色に、その艦首角を廻しはじめた──
安西冬衛
「軍艦茉莉」所収
1929
パインアップル、そしてア。ラリ。ラノ。ラミ。ラ
テーブルに置かれたさざんかは今宵しおれた
からいあまいテーブルにありがよつばう
どうですごきげんはと男が頭を下げた
すると急に女がよっぱらって
さざんかに小用した
今晩はごきげんねとさざんかに頭を下げると
急にはし折れる程伸び上がった
ああ
パインアップル、そしてア。ラリ。ラノ。ラミ。ラ
吉行エイスケ
「ダダイズム」初出
1922
心象のはいいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲模様
(正午の管楽よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路をかぎり
れいらうの天の海には
聖玻璃の風が行き交ひ
ZYPRESSEN 春のいちれつ
くろぐろと光素を吸へば
その暗い脚並からは
天山の雪の稜さへひかるのに
(かげらふの波と白い偏光)
まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(玉髄の雲がながれて
どこで啼くその春の鳥)
日輪青くかげろへば
修羅は樹林に交響し
陥りくらむ天の椀から
黒い木の群落が延び
その枝はかなしくしげり
すべて二重の風景を
喪神の森の梢から
ひらめいてとびたつからす
(気層いよいよすみわたり
ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
(まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる)
あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずえまたひかり
ZYPRESSEN いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ
宮沢賢治
「春と修羅」所収
1922
さあ行かう、あの七里四方の氷の上へ。
たたけばきいんと音のする
あのガラス張りの空気を破って、
隼よりもほそく研いだこの身を投げて、
飛ばう、
すべらう、
足をあげてきりきりと舞はう。
この世でおれに許された、たつた一つの快速力に、
鹿子まだらの朝日をつかまう、
東方の碧落を平手でうたう。
真一文字に風に乗つて、
もつと、もつと、もつと、もつと、
突きめくつて
見えなくならう。
見えないところで、ゆつくりと
氷上に大きな字を書かう。
高村光太郎
1925
あらゆる山が歓んでゐる
あらゆる山がかたつてゐる
あらゆる山が足ぶみして舞ふ、踊る
あちらむく山と
こちらむく山と
合つたり
離れたり
出てくる山と
かくれる山と
低くなり
高くなり
家族のやうに親しい山と
他人のように疎い山と
遠くなり
近くなり
あらゆる山が
山の日に歓喜し
山の愛にうなづき
今や
山のかがやきは
空いつぱいにひろがつてゐる
河井酔茗
「弥生集」所収
1921