一
「茉莉」と呼ばれた軍艦が北支那の月の出の波止場に今夜も碇を投れている。岩塩のようにひつそりと白く。
私は艦長で大尉だった。娉嫖とした白皙な麒麟のような姿態は、われ乍ら麗はしく婦人のやうに思われた。私は艦長公室のモロッコ革のディヴンに、夜となく昼となくうつうつと阿片に憑かれてただ崩れてゐた。さういふ私の裾には一匹の雪白なコリー種の犬が、私を見張りして駐つてゐた。私は監禁されていた。
二
月の出がかすかに、私に妹のことを憶はせた。私はたつたひとりの妹が、その後どうなつてゐるかといふことをうすうす知つてゐた。妹はノルマンデイ産れの質のよくないこの艦の機関長に夙うから犯されてゐた。しかしそれをどうすることも今の私には出来なかつた。それに「茉莉」も今では夜陰から夜陰の港へと錨地を変へてゆく、極悪な黄色賊艦隊の麾下の一隻になつてゐる──悲しいことに、私は又いつか眠りともつかない眠りに、他愛もなくおちてゐた。
三
夜半、私はいやな滑車の音を耳にして醒めた。ああ又誰かが酷らしく、今夜も水に葬られる──私は陰気な水面に下りて行く残忍な木函を幻覚した。一瞬、私は屍体となって横たわる妹を、刃よりもはつきりと象た。私は遽に起とうとした。けれど私の裾には私を張番するコリー種の雪白な犬が、釦のように冷酷に私をディヴンに留めている。──「ああ!」私はどうすることも出来ない身体を、空しく悶えさせ乍ら、そして次第にそれから昏睡していつた。
四
月はずるずる巴旦杏のように堕ちた。夜蔭がきた。そして「茉莉」がまた錨地を変へるときがきた。「茉莉」は疫病のような夜色に、その艦首角を廻しはじめた──
安西冬衛
「軍艦茉莉」所収
1929