Category archives: 1920 ─ 1929

心よ

おお心よ、
もつと熱くなれ、
もつと踊れ、
もつと力強く押しすすめ。

おまへは
俺を改造しきれないで、
直ぐ勞れはててはだめだ。

おまへは一時
俺から抜出してみるのもよい。
そして囀る小鳥に、
とび駆ける獣に
青々と伸びあがる草木に闖入して、
何も知らない鳥や獣や草木が
結局一等よく生を生きて居ることを
俺に自覚させてやるがよい。
が、おまへは
俺の方へ帰ることを忘れてはならない。
おまへがそれから体験した
力強い腕で
俺にほんとうの生をもたらしてくれ。

おお心よ。
おまへはもつと熱くなれ
絃からながれる
スタカトとピチカト、
その歯切れのよい感触を、
心よ、俺にたぎらせよ。

深尾贇之丞
「天の鍵」所収
1921

小公園

私達の国の首府 東京の真中に在る
掌のやうにちつぽけな公園
その中央に によつきり立つた一本の円柱の天頂へ
一羽の小鳥が どこからともなく飛んで来て
こともなげに ちよつととまつた
初夏のひるさがり
低い無趣味な乳色の空は
腹立たしい程の単調さで私の頭を圧へつける
石垣の端の電柱に靠れて
Sandwichmanがこくりこくりと居眠りしてゐる
生暖かい微風が ときをり埃つぽい広場に小さい旋風をたてる
その後方には こんもりした若い杉の木の森がある
ところどころ禿のやうな赤土の見える緑の芝生に
どこかの小僧が一人
一生懸命犬の子を弄つてゐる

多田不二
夜の一部」所収
1926

生徒諸君に寄せる

中等学校生徒諸君
諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないのか
それは一つの送られた光線であり
決せられた南の風である

諸君はこの時代に強ひられ率いられて
奴隷のやうに忍従することを欲するか

今日の歴史や地史の資料からのみ論ずるならば
われらの祖先乃至はわれらに至るまで
すべての信仰や特性は
ただ誤解から生じたとさへ見へ
しかも科学はいまだに暗く
われらに自殺と自棄のみをしか保証せぬ

むしろ諸君よ
更にあらたな正しい時代をつくれ

諸君よ
紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
じつに諸君は此の地平線に於ける
あらゆる形の山嶽でなければならぬ

宙宇は絶えずわれらによって変化する
誰が誰よりどうだとか
誰の仕事がどうしたとか
そんなことを言ってゐるひまがあるか

新たな詩人よ
雲から光から嵐から
透明なエネルギーを得て
人と地球によるべき形を暗示せよ
 
新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系を解き放て

衝動のやうにさへ行われる
すべての農業労働を
冷く透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
舞踏の範囲にまで高めよ

新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴らしく美しい構成に変へよ

新しい時代のダーヴヰンよ
更に東洋風静観のキャレンジャーに載って
銀河系空間の外にも至り
透明に深く正しい地史と
増訂された生物学をわれらに示せ
おほよそ統計に従はば
諸君のなかには少なくとも千人の天才がなければならぬ
素質ある諸君はただにこれらを刻み出すべきである

潮や風……
あらゆる自然の力を用ひ尽くして
諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ

ああ諸君はいま
この颯爽たる諸君の未来圏から吹いて来る
透明な風を感じないのか

宮沢賢治
春と修羅」所収
1922

楽しさも
よろこばしさも
花と血の船をあたためて
風の旗とともに
田舎路はひらける

一歩は一歩とこの世を忘れてしまひ
明るみから遠いところの深みへ
水車のやうに沈み
肩を天にふれ
手は地球のよろこび羽搏く

すき透るまでに華やかなるぐるりよ
柄の無い樹々の傘をさしたる自然よ
この路を真直ぐに行くと
夢の世界へゆくのであらう
他に行くべき路はないのであらう

佐藤惣之助
「華やかな散歩」所収
1922

夜の花をもつ少女と私

眠い――
夜の花の香りに私はすつかり疲れてしまつた

 ××
 これから夢です

 もうとうに舞台も出来てゐる
 役者もそろつてゐる
 あとはベルさえなれば直ぐにも初まるのです

 ベルをならすのは誰れです
 ××

夜の花をもつ少女の登場で
私は山高をかるくかぶつて相手役です

少女は静かに私に歩み寄ります
そして

そつと私の肩に手をかける少女と共に
私は眠り――かけるのです

そして次第に夜の花の数がましてくる

尾形亀之助
色ガラスの街」所収
1925

首の無い男

   ● ●●●●●煙突
            屋根
              屋根
               黒ずんだ屋根の下で
        俺は麻酔者のやうな状態で
         見えない鎖を
    腰のまはりから引きち切つてゐる

獣のやうな瞳
   四角の肩の下にある乳房
鹿のやうな女をつれた紳士
  ——腐れた肺が胸にせはしく動いてゐる
  ——頬つぺたの青い林檎色
両側から噴き出す食糧品と香水の匂ひ

俺は オモチヤのやうに
  廻転つてゐる外景の下積みで
ア—————ア
●●●●●黒煙の街巷に
    今日から
  ? ? ? ? ? ? ? ? ?
俺は 俺は 俺は 俺は 俺は 俺は

「キ―サ―マ―ハ―タレダ!!」
 「摑首された
    荒れた都会の川底に
  蟹のやうに ネムルオトコ!」
「恐怖と\
     \飢餓の食ひちがつた寝床で
  墓場へ 墓場へ
ハイ ユカウトオモツテ
         ユケナイ オトコ!」
ヅドンと 午砲が
  腹部とアタマの頂点で鳴つた!
外景が凹んで
   グルリと廻つた!

萩原恭次郎
死刑宣告」所収
1925

こころ

こころをばなににたとへん
こころはあぢさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。

こころはまた夕闇の園生のふきあげ
音なき音のあゆむひびきに
こころはひとつによりて悲しめども
かなしめどもあるかひなしや
ああこのこころをばなににたとへん。

こころは二人の旅びと
されど道づれのたえて物言ふことなければ
わがこころはいつもかくさびしきなり。

萩原朔太郎
純情小曲集」所収
1925

水のほとりに

水の辺りに零れる
響ない真昼の樹魂。

物の思ひの降り注ぐ
はてしなさ。

充ちて消えゆく
もだしの応へ。

水のほとりに生もなく死もなく、
声ない歌、
書かれぬ詩、
いづれか美しからぬ自らがあらう?

たまたま過ぎる人の姿、獣のかげ、
それは皆遠くへ行くのだ。

色、
香、
光り、
永遠に続く中。

三富朽葉
「三富朽葉詩集」所収
1926

蹈み入つてはいけない

蹈み入つてはいけない!
ここは熟れて落ちた櫻の實で一杯だから・・・・・・
葉蔭は休息によかろう けれど
葉から すべりおりてくる毒矢をもつた野蠻人が
卿等のまどろみを 永遠に
魔法にかけやうから---

蹈み入つてはいけない!
その数多い赤黒い血球が 卿等を
ぬりつぶしてしまふから・・・・・・
卿等が 若し冒した罪の贖にくるのなら 卿等は路をとりちがえてゐる
ここは罪の阿修羅場だ
血腥い 屠牛場

蹈み入れてはいけない!
ほつかり虞美人草の花が 卿等を誘ふたにしても
生毛のやうな毛並から 囁かれる 悪魔の不思議な話に 惑がされても
美装した惰眠は濃霧の谷に
おまへらを陥入れやうから---

蹈み入つてはいけない!
おんみらはみるだらう
乳白色の瞳をもつた少女が
厚つぽい赤い唇に涎を垂れて
桜の木のもとを流れてゐる溝に
血を啜つてゐるところの---

蹈み入れてはいけない!
あの木蔭に卿等はきくのだろう
哀しい運命を預覚した牛の 傷ましい声を
うすら笑みを浮べて待つてゐる黒猫を
いくども喉に舌やつて 唇を
ぬらしてゐる少女の
佇んでゐる木蔭に---

高木斐瑳雄
「青い嵐」所収
1922

くちばしの黄な 黒い鳥

くちばしの 黄いろい
まつ黒い 鳥であつたつけ
ねちねち うすら白い どぶのうへに
籠のなかで ぎやうつ! とないてゐたつけ、

なにかしら ほそいほそいものが
ピンと すすり哭いてゐるような
そんな 真昼で あつたつけ

八木重吉
秋の瞳」所収
1925