「雌ラクダをなだめる習慣」、ユネスコ無形文化遺産に登録
11月30日~12月4日にかけて、ナミビアのウィントフックでユネスコ無形文化遺産保護条約第10回政府間委員会会議が行われた。会議でモンゴルの「雌ラクダをなだめる習慣」が賛成され、緊急に保護する必要がある無形文化遺産に登録された。「雌ラクダをなだめる習慣」とは。子ラクダを拒絶した雌ラクダは、草も食べず水も飲まなくなって、毛並みも悪くなり、群れから離れて一頭で遠くを見て、時々ふり返っては鳴くようになる。そんな時、遊牧民はラクダの母子の心を通わせるための知恵を働かせ、雌ラクダを子ラクダに慣らすため叙情歌を歌うのである。リンベ(横笛)やモリンホール(馬頭琴)の伴奏で特別な歌を歌うと、母子が感動し心を通わせるようになる。この歌の内容は、栄養たっぷりの乳を飲むために生まれてきた可愛い子ラクダを、どうして拒絶するのか。朝起きると唇をぴくぴくさせて待っている。どうか濃い乳を飲ませてやって「フース、フース、フース」、「フース、フース、フース」などと、3、4番まで歌うと、雌ラクダの目から涙がこぼれて子ラクダに乳をやるようになるのである。(FBモンゴル通信より)
「どうか濃い乳を飲ませてやって」「フース、フース、フース」と
3、4番まで歌うと
母ラクダの目から涙がこぼれ、子ラクダに乳をやるのである
育児放棄したラクダの母と子に
こころ通わせるために、歌われる叙情歌
ホー、ソーソー、ソーソーソー(わたしにはそのように聞こえる)
だがしかし・・・
はじめて
乳が出るときのズキンとした痛みをわたしの胸は
覚えている
あのラクダの母親の涙は
母と子のこころが通った、涙ではない。
あれは自分のからだの中の血が、乳に変わるときの
痛みに、こぼれた涙だ。
閉ざされた自分が
開こうとする自分の未知の力に、敗れたときに疾る・・・痛み
それは、
ちのみごがいて
ちのははがいる
ホー、ソー、ソー、ソーソーソー、
見よ。
わたしたちのからだもまた
血が流れる、
戦場なのだ。
怒りがあり、憎しみがあり
決壊を待つ、沸騰がある。
ちのみごがいて
ちのははがいる
ホー、ソー、ソー、ソーソーソー、
血を流すのではない
わたしを敵に明け渡すのではなく
わたしをわたしに明け渡す
つぎの命を育てる
乳を流す
赤い血が、赤味を漉して、白い乳に変容したときの
身の内にも戦いがある
血と血の、戦いを戦うな
血を流す人と人の、血を流す国と国の
こころ通わせるために、歌も言葉もあるのだと
ホー、ソー、ソー、ソーソーソー、
傷口から噴き出す
怒りの血を
傷口にあてがわれた唇に
ホー、ソー、ソー、ソーソーソー、
注いで憎しみを育てるわけにはいかないと
血はみずからに敗れて
血を乳に変えるために。
血は泣くのだ、赤いまま流れることをこらえて
父母が流した血と
赤い同じ血を、血は流れたくて
血は泣くのだ、まだ終わっていない、怒りを
まだ終わっていない、悲しみを
血は泣くのだ
こどものように、痛くてなくのだ
母になる前に
ちは
なみだをこぼして
ちちになる
険しい峠をこえるように
じぶんの赤さをこえて
母になるために
ゆるせないものを
ゆるすために
ちを
いのちにかえるために
血はいちど
あまりのいたみに
その目に
涙をこぼすのだ
白い
乳になるまえに
しを
いのちにかえるために
血の流れる歌から
乳の流れる歌になるために
ホー、ソー、ソー、ソーソーソー
ホー、ソー、ソー、ソーソーソー
宮尾節子
「晴れときどき」宮尾節子ブログより転載
2016