星をさがして

 こころのこもったお見舞いの手紙をありがとう。とてもうれしく拝読しました。とつぜんの心因性難聴から耳が聴こえなくなってしまって五日が経ちます。外界の物音から肉体が切りはなされているときは、恐ろしさと、安らぎの、どちらにもほどけない感覚があります。五感が絹糸にくるまれてしまって、繭の内壁の白い記憶をいつまでも見ているよう。この音のない国にもすこしずつ慣れてきたところです。病室の窓ガラスから裏門に目をやると、ポプラの木が三本、風にそよいで気もちを鎮めてくれます。反対に、アオミドロで汚れている泉水にぼとっぼとっと重たく降りかかる音のない雨のしずくは、この古い渋谷K病院、街中の病院の一隅に隔離されている自分の境遇が思い知らされて、なんだか視界がぼんやりしてしまうのです。
 耳の病は「耳管水晶結石症」というのだそうです。この不可思議な響きの病名は、蝸牛よりも下側、耳の管に幻の石がつまる錯聴に由来するのだとか。とはいえ、若い担当医によれば、ほどなく退院できるとの由。治療は投薬が主でアデホスコーワを、間隔をおいて注射してもらいます。この薬が耳のなかで生まれた、こころの結晶体を溶かすというのだから、可笑しい。注射をうった日は、とりわけ誰かが廊下にじっとひそんでいるような、音ともつかない音が耳の奥底を谺しながら流れている。耳鳴りとまではいえないものの、奇妙な気配が頭の芯からはなれていかないのです。

 1 音のない国について

 音のない国、などど書いてしまいました。実際、一時的であれ、音をもたない者になったことで、ぼくは自分自身が外国人にでもなってしまった気分です。看護婦さんのさわやかな微笑もボードでの筆談も、なんだかとても遠い。そこにはいつも目に見えない架空の国の閾がある気がします。病室には、難聴を患うふたりの患者さんがいます。言葉をかわすこともできなければ、耳も聴こえない者同士が空間と暮らしをわかちあうのですから、なんとも奇妙なおつきあいです。それでも夜には隣のベッドから寝息が聴こえてくる錯覚があります。看護婦さんいわく皮膚が人間の気配を敏感に察知しているのだとか。そう、この国では幽し気配こそが国語です。ふと頬を撫ぜる風。カーテンの透き間から忍びこむ銀の月暈。夕方の電柱の五線譜に一列にならぶ鳥たちは音の実。窓際で、紙コップのしめった香りのする珈琲を鼻先にもってくると、雨に濡れたり、西日に照らされている家並みの底から、潮騒やら群青色に波打つ海原やらが炙りでてくる。この国でぼくは、自分の身辺にみちあふれているさまざまな声のない気配に気づきます。
 だから、きみの手書きの文字からは、きみの肉声が聴こえてくる、といったら嗤うでしょうか。お医者さんがいうには音は鼓膜における空気の振動、物質的な刺激だけでなく、人間の記憶に依存している部分がおおきいそうです。リーン、という音が聴こえると同時に、人間は無意識のうちに「ベル」を想起している、ということですね。ラヴェルではないですが、人間はなにかを聴く瞬間、なにかを思いだしている。よって記憶のストックがそれほどない生まれたての赤ちゃんは、耳もよく聴こえないそうです。ぼくの大人の耳は赤ちゃん以下というわけ。
 頭のなかにはいつも無音が響いているのかといえば、そうでもありません。人によってちがうそうですが、ぼくの耳のなかにはたえずシューッ、シューッ、パチ、パチという幻聴があります。ハイランド地方で聴いた、オーロラのたてる音に似ているかしら。耳のなかで夜が燃えているような。人間の脳と精神はまったくの無音には耐えられない、耳が記憶の力をかりて擬似的な音の世界をつくりだしているのだそうです。
 便宜的にオーロラの音と比較しましたが、ぼくにはこの音がどんな音か、正確にはわからない。否。いまの話でいうと、思いだせないのです。ぼくを狂気から守ってくれている記憶そのものの音。その純粋な記憶を、ぼくは思い出すことができない。自分自身の記憶の声をいつか聴くことができるでしょうか。ぼくの体内で、孤児のままでいる記憶を。

 2 星をさがして

 そういえば、昨日、同室のYさんのお孫さんが見舞いにきて、すばらしい影絵を披露してくれました。それは赤や黄や青のセロファンとボール紙、かぼそい竹棒とでつくった鳥や花や星や人間や魔物たち。ぼくらも子どものころに工作した、棒で嘴や手足を動かすあれです。物語は「シンドバッド」のようでした。ハトロン紙でスクリーンをつくり、うしろから電燈をあてて影絵を動かす。すると、ハトロン紙から色が透けて見えてすごくきれいです。3Dテレビの時代に、こんな単純な劇と仕掛けにあらためておどろかされて、その美しさに気づけたのは、健聴をくずしたせいもあるでしょう。声を発しない物静かな影たちは、ぼくの耳のなかの幼年からも踊りでて、音をなくしたこころにやさしく寄り添い、元気づけてくれたのです。
 その夜はひさしぶりにぐっすり眠れ、ふしぎな夢を見ました。音にはうえへと上昇する性質があるそうですね。夢のなかでは、ぼくには聴こえない街の物音がアスファルトから羽毛みたくどんどん沸きおこって、夜空にのぼってゆく。
 それからひとつひとつの音は、音楽の起源を、天の薄機にひろげたのでした。

石田瑞穂
耳の笹舟」所収
2015

3 comments on “星をさがして

  1. 「星をさがして」は石田様の許可をいただいた上で掲載しております。無断転載はご遠慮ください。

    この詩を読んで興味を持たれた方は下記のサイトも是非ご覧になってください。

    石田瑞穂さんのブログ
    http://traveling-songs.blogspot.jp/

  2. 管理人さま、いつも貴重な言葉たちを聞かせていただき感謝しています。この音をなくしたかたの言葉たちは一際瑞々しくココロに沁みて来ます。雨の気配の朝のひと時、私も少し覚醒された気分です。たまにFBにここのツイートをリンクさせていただいてますが…
    構わないものでしょうか?

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