Category archives: 恋のうた

吾胸の底のここには

吾胸の底のここには

言ひがたき秘密住めり

身をあげて活ける牲とは

君ならで誰かしらまし

 

もしやわれ鳥にありせば

君の住む窓に飛びかひ

羽を振りて昼は終日

深き音に鳴かましものを

 

もしやわれ梭にありせば

君が手の白きにひかれ

春の日の長き思を

その糸に織らましものを

 

もしやわれ草にありせば

野辺に萌え君に踏まれて

かつ靡きかつは微笑み

その足に触れましものを

 

わがなげき衾に溢れ

わがうれひ枕を浸す

朝鳥に目さめぬるより

はや床は濡れてただよふ

 

口唇に言葉ありとも

このこころ何か写さん

ただ熱き胸より胸の

琴にこそ伝ふべきなれ

 

島崎藤村

落梅集」所収

1901

少年の日

1

野ゆき山ゆき海辺ゆき

真ひるの丘べ花を敷き

つぶら瞳の君ゆゑに

うれひは青し空よりも。

2

影おほき林をたどり

夢ふかきみ瞳を恋ひ

あたたかき真昼の丘べ

花を敷き、あはれ若き日。

3

君が瞳はつぶらにて

君が心は知りがたし

君をはなれて唯ひとり

月夜の海に石を投ぐ。

4

君は夜な夜な毛糸編む

銀の編み棒に編む糸は

かぐろなる糸あかき糸

そのラムプ敷き誰がものぞ。

 

佐藤春夫

殉情詩集」所収

1921

恋を恋する人

わたしはくちびるにべにをぬつて

あたらしい白樺の幹に接吻した。

よしんば私が美男であらうとも

わたしの胸にはごむまりのやうな乳房がない

わたしの皮膚からはきめのこまかい粉おしろいの匂ひがしない

わたしはしなびきつた薄命男だ

ああなんといふいぢらしい男だ

けふのかぐはしい初夏の野原で

きらきらする木立の中で

手には空色の手ぶくろをすつぽりとはめてみた

腰にはこるせつとのやうなものをはめてみた

襟には襟おしろいのやうなものをぬりつけた

かうしてひつそりとしなをつくりながら

わたしは娘たちのするやうに

こころもちくびをかしげて

あたらしい白樺の幹に接吻した。

くちびるにばらいろのべにをぬつて

まつしろの高い樹木にすがりついた。

 

萩原朔太郎

月に吠える」所収

1917

最後のキス

人よ未練があるうちに

最後のキスをしてしまえ

最後のキスに咲く花は

赤い焔のばらの花

 

ばらの焔をかき分けて

三十二枚の歯が笑う

人よ未練があるうちに

最後のキスをしてしまえ

 

 

最後のキスの夕まぐれ

孔雀は空を飛びまわり

恋の入日の隈どりに

金糸銀糸を投げかける

 

希くは恋人よ

高嶺の空に現れて

ものすごいほどつづけよう

恋の最後の偉大なキスを

 

 

最後のキスが済んだなら

君はあちらへ行きたまえ

私はこちらの坂道を

小鳥のように飛び下りよう

 

遠い浮世に鐘は鳴り

長い袂に月は照る

小径よつづけどこまでも

少女ごころが泣いていく

 

 

か弱いまでに ほのぼのと

宇宙は私を明るくし

二足 三足 夢のなか

肩に さくらの花が散る

 

熱い涙を胸に呑み

短い命投げ飛ばし

酔えば情思は甘いかな

耽美の星がちらちらと

 

高群逸枝

「放浪者の死」所収

1921

 

 

 

花火

花火のやうにのぼりつめ

花火のやうにきえました。

花火のやうにうつつなう

はかなく消える恋でした。

 

竹久夢二

恋愛秘語」所収

1924

 

 

ゴンドラの唄

いのち短し恋せよ乙女

朱き唇褪せぬ間に

熱き血潮の冷えぬ間に

明日の月日のないものを

 

いのち短し恋せよ乙女

いざ手を取りてかの舟に

いざ燃ゆる頬を君が頬に

ここには誰も来ぬものを

 

いのち短し恋せよ乙女

黒髪の色褪せぬ間に

心の炎消えぬ間に

今日は再び来ぬものを

 

吉井勇

1915

罪なれば物のあわれを

こゝろなき身にも知るなり

罪なれば酒をふくみて

夢に酔い夢に泣くなり

 

罪なれば親をも捨てゝ

世の鞭を忍び負うなり

罪なれば宿を逐われて

花園に別れ行くなり

 

罪なれば刃に伏して

紅き血に流れ去るなり

罪なれば手に手をとりて

死の門にかけり入るなり

 

罪なれば滅び砕けて

常闇の地獄のなやみ

嗚呼二人抱きこがれつ

恋の火にもゆるたましい

 

島崎藤村

落梅集」所収

1901