Category archives: 1910 ─ 1919

小娘

たぶん工場通ひの小娘だらう

鼻のしやくれた愛嬌のある顔に

まつ毛の長い大きな眼をひらいて

夕方の静かな町を帰つてゆく

つつましげに

しかし何処かをぢつと見て

群を離れた鳥のやうに

まつすぐに歩いてゆく

気がついてみると少しびつこだ

其がとんとわからないのは

娘の歩き方のうまさ故だ

かすかに肩がゆれて

小さな包を抱へた肘が上る

銀杏返の小娘は光つた眼をして

ひきしまつた口をして

こざつぱりしたなりをして

愛嬌のあるふざけたさうな小娘は

しかし何処かをぢつと見て

緑のしつとり暮れる町の奥へ帰つてゆく

私は微妙な愛着の燃えて来るのを

何もかも小娘にやつてしまひたい気のして来るのを

やさしい祈の心にかへて

しづかに往来を掃いてゐた

 

高村光太郎

道程」所収

1914

 

何處へ行くのか

またしても

ごうと鳴る風

窓の障子にふきつけるは雪か

さらさらとそれがこぼれる

まつくらな夜である

ひとしきりひつそりと

風ではない

風ではない

それは餓ゑた人間の聲聲だ

どこから來て何處へ行く群集の聲であらう

誰もしるまい

わたしもしらない

わたしはそれをしらないけれど

わたしもそれに交つてゐた

 

山村暮鳥

風は草木にささやいた」所収

1918

鍛冶屋のぽかんさん

梨の花が眞白に咲いたのに

今日もまた降る雪交りの雨

濁り水は早口に鍛冶屋の樋へをどり込み

眞裸な柳は手放しで青い若葉をぬらしてゐる

 

此處の息子はぽかんさん

とんてんかんと泣く相鎚に

莓の初熟が喰べたいと

鐵碪臺を叩くとさ

手をあつあつとほてらして叩くとさ

 

ああ、夢ならばさめておくれ

ぽかんさん

此の世の中に多いものは

祕藏息子のやもめ暮らし

時計の針の尖のやうに

氣の狂れやすい生娘暮らし

この年月の寒暑の往來に

私の胸は凋んだ花の皺ばかり

私の胸はとりとまりない時候はづれな食氣ばかり

 

福士幸次郎

太陽の子」所収

1912

殺人事件

とほい空でぴすとるが鳴る。

またぴすとるが鳴る。

ああ私の探偵は玻璃の衣裳をきて、

こひびとの窓からしのびこむ、

床は晶玉、

ゆびとゆびとのあひだから、

まつさをの血がながれてゐる、

かなしい女の屍体のうへで、

つめたいきりぎりすが鳴いてゐる。

 

しもつき上旬のある朝、

探偵は玻璃の衣裳をきて、

街の十字巷路を曲つた。

十字巷路に秋のふんすゐ、

はやひとり探偵はうれひをかんず。

 

みよ、遠いさびしい大理石の歩道を、

曲者はいつさんにすべつてゆく。

 

萩原朔太郎

月に吠える」所収

1917

蟋蟀

記憶せよ

あの夜のことを

あの暴風雨を

あの暴風雨にも鳴きやめず

ほそぼそと力強くも鳴いてゐた

蟋蟀は聲をあはせて

はりがねのやうに鳴いてゐた

自分はそれを聞いてゐた

 

山村暮鳥

風は草木にささやいた」所収

1918

この残酷は何処から来る

どこで見たのか知らない、

わたしは遠い旅でそれを見た。

寒ざらしの風が地をドツと吹いて行く。

低い雲は野天を覆つてゐる。

その時火のつく樣な赤ん坊の泣き聲が聞え、

さんばら髮の女が窓から顏を出した。

 

ああ眼を眞赤に泣きはらしたその形相、

手にぶらさげたその赤兒、

赤兒は寒い風に吹きつけられて、

ひいひい泣く。

女は金切り聲をふりあげて、ぴしやぴしや尻をひつ叩く。

死んでしまへとひつ叩く。

風に露かれて裸の赤兒は、

身も世も消えよとよよと泣く。

 

雪降り眞中に雪も降らない此の寒國の

見る眼も寒い朝景色、

暗い下界の地に添乳して、

氷の胸をはだけた天、

冬はおどろに荒れ狂ふ。

ああ野中の端の一軒家、

涙も凍るこの寒空に、

風は悲鳴をあげて行く棟の上、

ああこの殘酷はどこから來る、

ああこの殘酷はどこから來る、

またしてもごうと吹く風、

またしてもよよと泣く聲。

 

福士幸次郎

展望」所収

1919

自分は太陽の子である

自分は太陽の子である

未だ燃えるだけ燃えたことのない太陽の子である

 

今いま口火をつけられてゐる

そろそろ燻ぶりかけてゐる

 

ああこの煙りが焔になる

自分はまつぴるまのあかるい幻想にせめられて止まないのだ

 

明るい白光の原つぱである

ひかり充ちた都會のまんなかである

嶺にはづかしさうに純白な雪が輝く山脈である

 

自分はこの幻想にせめられて

今燻りつつあるのだ

黒いむせぼつたい重い烟りを吐きつつあるのだ

 

ああひかりある世界よ

ひかりある空中よ

 

ああひかりある人間よ

總身眼のごとき人よ

總身象牙彫のごとき人よ

怜悧で健康で力あふるる人よ

 

自分は暗い水ぼつたいじめじめした所から産聲をあげたけれども

自分は太陽の子である

燃えることを憧れてやまない太陽の子である

 

福士幸次郎

太陽の子」所収

1913

銀のやんま

二人ある日はようもなき

銀のやんまも飛び去らず。

君の歩みて去りしとき

銀のやんまもまた去りぬ。

銀のやんまのろくでなし。

 

北原白秋

思ひ出 抒情小曲集

1911

人類の泉

世界がわかわかしい緑になつて

青い雨がまた降つて来ます

この雨の音が

むらがり起る生物のいのちのあらわれとなつて

いつも私を堪らなくおびやかすのです

そして私のいきり立つ魂は

私を乗り超え私を脱がれて

づんづんと私を作つてゆくのです

いま死んで いま生れるのです

二時が三時になり

青葉のさきから又も若葉の萌え出すやうに

今日もこの魂の加速度を

自分ながら胸一ぱいに感じてゐました

そして極度の静寂をたもつて

ぢつと坐つてゐました

自然と涙が流れ

抱きしめる様にあなたを思ひつめてゐました

あなたは本当に私の半身です

あなたが一番たしかに私の信を握り

あなたこそ私の肉身の痛烈を奥底から分つのです

私にはあなたがある

あなたがある

私はかなり惨酷に人間の孤独を味つて来たのです

おそろしい自棄の境にまで飛び込んだのをあなたは知つて居ます

私の生を根から見てくれるのは

私を全部に解してくれるのは

ただあなたです

私は自分のゆく道の開路者です

私の正しさは草木の正しさです

ああ あなたは其を生きた眼で見てくれるのです

もとよりあなたはあなたのいのちを持つてゐます

あなたは海水の流動する力をもつてゐます

あなたが私にある事は

微笑が私にある事です

あなたによつて私の生は複雑になり 豊富になります

そして孤独を知りつつ 孤独を感じないのです

私は今生きてゐる社会で

もう万人の通る通路から数歩自分の道に踏み込みました

もう共に手を取る友達はありません

ただ互に或る部分を了解し合ふ友達があるのみです

私はこの孤独を悲しまなくなりました

此これは自然であり 又必然であるのですから

そしてこの孤独に満足さへしようとするのです

けれども

私にあなたが無いとしたら──

ああ それは想像も出来ません

想像するのも愚かです

私にはあなたがある

あなたがある

そしてあなたの内には大きな愛の世界があります

私は人から離れて孤独になりながら

あなたを通じて再び人類の生きた気息に接します

ヒユウマニテイの中に活躍します

すべてから脱却して

ただあなたに向ふのです

深いとほい人類の泉に肌をひたすのです

あなたは私の為めに生れたのだ

私にはあなたがある

あなたがある あなたがある

 

高村光太郎

智恵子抄」所収

1913

牛はのろのろと歩く

牛は野でも山でも道でも川でも

自分の行きたいところへは

まつすぐに行く

牛はただでは飛ばない、ただでは躍らない

がちり、がちりと

牛は砂を堀り土を掘り石をはねとばし

やっぱり牛はのろのろと歩く

牛は急ぐ事をしない

牛は力一ぱいに地面を頼つて行く

自分を載せている自然の力を信じ切って行く

ひと足、ひと足、牛は自分の道を味はって行く

ふみ出す足は必然だ

うわの空の事ではない

是でも非でも

出さないではいられない足を出す

牛だ

出したが最後

牛は後へはかえらない

足が地面へめり込んでもかえらない

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く

牛はがむしゃらではない

けれどもかなりがむしゃらだ

邪魔なものは二本の角にひっかける

牛は非道をしない

牛はただ為たい事をする

自然に為たくなる事をする

牛は判断をしない

けれども牛は正直だ

牛は為たくなって為た事に後悔をしない

牛の為た事は牛の自信を強くする

それでもやっぱり牛はのろのろと歩く

何処までも歩く

自然を信じ切って

自然に身を任して

がちり、がちりと自然につっ込み食い込んで

遅れても、先になっても

自分の道を自分で行く

雲にものらない

雨をも呼ばない

水の上をも泳がない

堅い大地に蹄をつけて

牛は平凡な大地を行く

やくざな架空の地面にだまされない

ひとをうらやましいとも思わない

牛は自分の孤独をちやんと知っている

牛は喰べたものを又喰べ乍ら

ぢっと淋しさをふんごたえ

さらに深く、さらに大きい孤独の中にはいって行く

牛はもうと啼いて

その時自然によびかける

自然はやっぱりもうとこたへる

牛はそれにあやされる

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く

牛は馬鹿に大まかで、かなり無器用だ

思い立ってもやるまでが大変だ

やりはじめてもきびきびとは行かない

けれども牛は馬鹿に敏感だ

三里さきのけだものの声をききわける

最善最美を直覚する

未来を明らかに予感する

見よ

牛の眼は叡智にかがやく

その眼は自然の形と魂とを一緒に見ぬく

形のおもちゃを喜ばない

魂の影に魅せられない

うるおいのあるやさしい牛の眼

まつ毛の長い黒眼がちの牛の眼

永遠の日常によび生かす牛の眼

牛の眼は聖者の眼だ

牛は自然をその通りにぢっと見る

見つめる

きょろきょろときょろつかない

眼に角も立てない

牛が自然を見る事は牛が自分を見る事だ

外を見ると一緒に内が見え

内を見ると一緒に外が見える

これは牛にとっての努力ぢゃない

牛にとっての当然だ

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く

牛は随分強情だ

けれどもむやみとは争わない

争わなければならない時しか争わない

ふだんはすべてをただ聞いている

そして自分の仕事をしている

生命をくだいて力を出す

牛の力は強い

しかし牛の力は潜力だ

弾機ではない

ねぢだ

坂に車を引き上げるねぢの力だ

牛が邪魔物をつっかけてはねとばす時は

きれ離れのいい手際だが

牛の力はねばりっこい

邪悪な闘牛者の卑劣な刃にかかる時でも

十本二十本の槍を総身に立てられて

よろけながらもつっかける

つっかける

牛の力はこうも悲壮だ

牛の力はこうも偉大だ

それでもやっぱり牛はのろのろと歩く

何処までも歩く

歩き乍ら草を喰う

大地から生えている草を喰う

そして大きな身体を肥す

利口でやさしい眼と

なつこい舌と

かたい爪と

厳粛な二本の角と

愛情に満ちた啼声と

すばらしい筋肉と

正直な涎を持った大きな牛

牛はのろのろと歩く

牛は大地をふみしめて歩く

牛は平凡な大地を歩く

 

高村光太郎

道程」所収

1914