若い男といふものは、時として妙な氣持になる事があるものだ。ふわふわとした、影の樣な物が、胸の中で、右に左に寢返りをうつてじたばたしてる樣で、何といふ事もなく氣が落付かない。書を讀んでも何が書いてあるやら解らず。これや不可と思つて、聲を立てて讀むと何時しか御經の眞似をしたくなつたり、薩摩琵琶の聲色になつたりする。遠方の友達へでも手紙を書かうとすると、隣りの煙草屋の娘が目にちらつく。鼻先を電車が轟と驅る。積み重ねておいた書でも崩れると、ハツと吃驚して、誰もゐないのに顏を赤くしたりする。何の爲に恁うそわそわするのか解らない。新しい戀に唆かされてるのでもないのだ。
或晩、私も其麼氣持になつて、一人で種々な眞似をやつた。讀さしの書は其方のけにして、寺小屋の涎くりの眞似もした。鏡に向つて大口を開いて、眞赤な舌を自由自在に動かしても見た。机の縁をピアノの鍵盤に擬へて、氣取つた身振をして滅多打に敲いても見た。何之助とかいふ娘義太夫が、花簪を擲げ出し、髮を振亂して可愛い目を妙に細くして見臺の上を伸上つた眞似をしてる時、スウと襖が開いたので、慌てて何氣ない樣子をつくらうて、開けた本を讀む振をしたが、郵便を持つて來た小間使が出て行くと、氣が附いたら本が逆さになつてゐた。
たまらなくなつて、帽子も冠らず戸外へ飛出して了つた。暢然歩いたり、急いで歩いたり、電車にも乘つたし、見た事のない、狹い横町にも入つた。車夫にも怒鳴られたし、ミルクホールの中を覗いても見た。一町ばかり粹な女の跟をつけても見た。面白いもので、何でも世の中は遠慮する程損な事はないが、街を歩いても此方が大威張で眞直に歩けば、徠る人も、徠る人も皆途を避けてくれる。
妻を持つたら、決して夜の都の街を歩かせるものぢやない、と考へた。華やかな、晝を欺く街々の電燈は、怎しても人間の心を浮氣にする。情死と決心した男女が恁麼街を歩くと、屹度其企てを擲つて驅落をする事にする。
さらでだにふらふらと唆かされてゐる心持を、生温かい夏の夜風が絶間もなく煽立てる。
日比谷公園を出て少許來ると、十間許り前を暢然とした歩調で二人連の男女が歩いてゐる。餘り若い人達ではないらしいが何方も立派な洋裝で、肩と肩を擦合して行くではないか、畜生奴!
私は此夜、此麼のを何十組となく見せつけられて、少からず憤慨してゐたが、殊にも其處が人通の少い街なので、二人の樣子が一層睦じ氣に見えて、私は一層癪に觸つた。
と、幸ひ私の背後から一人の若い女が來て、急足で前へ拔けたので、私は好い事を考へ出した。
私は、早速足を早めて、其若い女と肩を並べた。先刻から一緒に歩いてゐる樣な具合にして、前に行く二人連に見せつけてやる積りなのだ。
女は氣の毒な事には、私の面白い計畫を知らない。何と思つたか、急に俯いて一層足を早めた。二人連に追付くには結句都合が可いので、私も大股に急いで、肩と肩を擦れさうにした。女は益々急ぐ、私も離れじと急ぐ。
たまらない位嬉しい。私は首を眞直にして、反返つて歩いた。
間もなく前の二人連に追付いて、四人が一直線の上に列んだ。五六秒經つと、直線が少許歪んで、私達の方が心持前へ出た。
私は生れてから、恁麼得意を覺えた事は滅多にない。で、何處までも末頼母しい情人の樣に、態度をくづさず女の傍に密接いて歩きながら滿心の得意が、それだけで足らず、些と流盻を使つて洋裝の二人連を見た。其麼顏をしてけつかるだらうと思つて。
私は不思首を縮めて足を留めた。
親類の結婚式に招ばれて行つた筈の、お父さんとお母さんが、手をとり合つて散歩ながらに家に歸る所だ!
『おや光太郎(私の名)ぢやないか! 帽子も冠らずに何處を歩いてゐるんだらう!』
とお母さんが……
私は生れてから、恁麼酷い目に逢つた事は滅多にない!
石川啄木
「啄木詩集」所収
1912