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危険な散歩

春になつて、
おれは新らしい靴のうらにごむをつけた、
どんな粗製の歩道をあるいても、
あのいやらしい音がしないやうに、
それにおれはどつさり壊れものをかかへこんでる、
それがなによりけんのんだ。
さあ、そろそろ歩きはじめた、
みんなそつとしてくれ、
そつとしてくれ、
おれは心配で心配でたまらない、
たとへどんなことがあつても、
おれの歪んだ足つきだけは見ないでおくれ。
おれはぜつたいぜつめいだ、
おれは病気の風船のりみたいに、
いつも憔悴した方角で、
ふらふらふらふらあるいてゐるのだ。

萩原朔太郎
月に吠える」所収
1917

反逆

数丈になほあまる
監獄の赤い煉瓦の壁をまつすぐにのぼるとかげよ
お前の恐ろしい凄い眼よ
お前の白刃と光らす鱗よ
誰を呪ひ、誰を恨んで、このまつぴるまにお前は何処へのぼつて行くのか
數丈になほあまる
監獄の赤い煉瓦の壁をまつすぐにのぼるとかげよ。

松本淳三
1950

東の渚

東の磯の離れ台、
その褐色の岩の背に、
今日もとまったケエツブロウよ、
何故にお前はそのように
かなしい声してお泣きやる。

お前のつれは何処へ去った
お前の寝床はどこにある――
もう日が暮れるよ――御覧、
あの――あの沖のうすもやを、
何時までお前は其処にいる。
岩と岩との間の瀬戸の、
あの渦をまく恐ろしい、
その海の面をケエツブロウよ、
いつまでお前はながめてる
あれ――あのたよりなげな泣き声――

海の声まであのように
はやくかえれとしかっているに
何時まで其処にいやる気か
何がかなしいケエツブロウよ、
もう日が暮れる――あれ波が――

私の可愛いケエツブロウよ、
お前が去らぬで私もゆかぬ
お前の心は私の心
私もやはり泣いている、
お前と一しょに此処にいる。

ねえケエツブロウやいっその事に
死んでおしまい! その岩の上で――
お前が死ぬなら私も死ぬよ
どうせ死ぬならケエツブロウよ
かなしお前とあの渦巻きへ――

伊藤野枝
「青鞜 第二巻第一一号」初出
1912

晴天

草木の側にいると離れられない
誘われそうだ
小川も唄っている
僕の体はふんわり
浮きそうだ
会話もしたくない
うんうん
とぼんやりしていたい
服装ももうない
裸だ
どんな高貴なものも
この雰囲気にはかなわない
顔も脚もない
いい気持ちだけだ
目は頭上にある
此の日画家のおお方の色彩が駆使された

伊藤茂次
「伊藤茂次詩集 ないしょ」所収
1984

不眠者

われらは 都会の肢体を感じ
日毎安らかならず
而もなほ わたくしらは このところに生きる
海にのみ 怒涛を感ずるものは知らない
都会の人には水平に斜面を感じ
プラタアスの並木路に出でて黄昏れの空気を吸ひ
再び雑踏の中へ紛れ去る
かくて都会は一日を燃焼し 暁の薄明を待機する
・・・・わたくしは夜更けてなほ彼の鼓動を聴く
人々の不眠を聚めて彼も亦轆囀反側してゐる

牧田益男
「さわらびの歌」所収
1947

今朝
も、ふと、目のさめしとき、
わが家と呼ぶべき家の欲しくなりて、
顔洗ふ間もそのことをそこはかとなく思ひしが、
つとめ先より一日の仕事を了へて帰り来て、
夕餉の後の茶を啜り、煙草をのめば、
むらさきの煙の味のなつかしさ、
はかなくもまたそのことのひょっと心に浮び来る――
はかなくもまたかなしくも。

場所は、鉄道に遠からぬ、
心おきなき故郷の村のはづれに選びてむ。
西洋風の木造のさっぱりとしたひと構へ、
高からずとも、さてはまた何の飾りのなくとても、
広き階段とバルコンと明るき書斎……
げにさなり、すわり心地のよき椅子も。

この幾年に幾度も思ひしはこの家のこと、
思ひし毎に少しづつ変へし間取りのさまなどを
心のうちに描きつつ、
ラムプの笠の真白きにそれとなく眼をあつむれば、
その家に住むたのしさのまざまざ見ゆる心地して、
泣く児に添乳する妻のひと間の隅のあちら向き、
そを幸ひと口もとにはかなき笑みものぼり来る。

さて、その庭は広くして、草の繁るにまかせてむ。
夏ともなれば、夏の雨、おのがじしなる草の葉に
音立てて降るこころよさ。
またその隅にひともとの大樹を植ゑて、
白塗の木の腰掛を根に置かむ――
雨降らぬ日は其処に出て、
かの煙濃く、かをりよき埃及煙草ふかしつつ、
四五日おきに送り来る丸善よりの新刊の
本の頁を切りかけて、
食事の知らせあるまでをうつらうつらと過ごすべく、
また、ことごとにつぶらなる眼を見ひらきて聞きほるる
村の子供を集めては、いろいろの話聞かすべく・・・・・・

はかなくも、またかなしくも、
いつとしもなく若き日にわかれ来りて、
月月のくらしのことに疲れゆく、
都市居住者のいそがしき心に一度浮びては、
はかなくも、またかなしくも、
なつかしくして、何時までも棄つるに惜しきこの思ひ、
そのかずかずの満たされぬ望みと共に、
はじめより空しきことと知りながら、
なほ、若き日に人知れず恋せしときの眼付して、
妻にも告げず、真白なるラムプの笠を見つめつつ、
ひとりひそかに、熱心に、心のうちに思ひつづくる。

石川啄木
1912

タンカ

雲を喰らい、霞を呑んでいるとでも
大方思っていやがるのだろう
ゴミのような雑誌に
ロハで原稿を書かせやがって
往復ハガキさえよこせば
キット返事をよこすものだと
思っていやがる ヒョットコメ!!
おれは毎日水をガブガブと呑んで
その辺の野原から雑草をひきぬいて
ナマでムシャムシャ食っているのだが
――別段クタバリもしない
一度や二度飯が食えないと
もうふるえあがりやがって
黄色いシナビタ声を張りあげやがって
ナンダカンダと抜かしやがる
スットコドッコイのトンチキ野郎の
ヒョットコメ!!
ガツガツと、物欲しそうなそのツラは
全体なんというざまだ!!
いい気になってつけあがりやがって
やれ、ムサンケイキュウだの
ブルジョアだのと
阿保の一つ覚えみていなよまいごとを
よくあきもせず、性コリもなく
ツベコベツベコベと饒舌りやがる
デクの棒の、アヤツリ人形の
猿真似の、賤民野郎め!!

辻潤
1928

心よ

おお心よ、
もつと熱くなれ、
もつと踊れ、
もつと力強く押しすすめ。

おまへは
俺を改造しきれないで、
直ぐ勞れはててはだめだ。

おまへは一時
俺から抜出してみるのもよい。
そして囀る小鳥に、
とび駆ける獣に
青々と伸びあがる草木に闖入して、
何も知らない鳥や獣や草木が
結局一等よく生を生きて居ることを
俺に自覚させてやるがよい。
が、おまへは
俺の方へ帰ることを忘れてはならない。
おまへがそれから体験した
力強い腕で
俺にほんとうの生をもたらしてくれ。

おお心よ。
おまへはもつと熱くなれ
絃からながれる
スタカトとピチカト、
その歯切れのよい感触を、
心よ、俺にたぎらせよ。

深尾贇之丞
「天の鍵」所収
1921

小公園

私達の国の首府 東京の真中に在る
掌のやうにちつぽけな公園
その中央に によつきり立つた一本の円柱の天頂へ
一羽の小鳥が どこからともなく飛んで来て
こともなげに ちよつととまつた
初夏のひるさがり
低い無趣味な乳色の空は
腹立たしい程の単調さで私の頭を圧へつける
石垣の端の電柱に靠れて
Sandwichmanがこくりこくりと居眠りしてゐる
生暖かい微風が ときをり埃つぽい広場に小さい旋風をたてる
その後方には こんもりした若い杉の木の森がある
ところどころ禿のやうな赤土の見える緑の芝生に
どこかの小僧が一人
一生懸命犬の子を弄つてゐる

多田不二
夜の一部」所収
1926

再生

野菊があたりまへに咲いてゐる
原つぱだが牛もゐない
寝ころんでみる
風が少しあるので
野菊がふるへてゐる
背中が冷めたい
どくどくと地球の脈がする
嘘のないお陽さまが
僕を溶かしてしまひさうだ
なにもかもが僕の心をきいてゐる
野菊は咲いてゐるし
ここにこのまま埋まつてしまひ
来年の野菊には
僕がひいらいたひらいた

淵上毛錢
1950