Category archives: Chronology

雪もよい

寒い。

わかい歯科医のもとへ 一句
「歯石はづす 夜の皓さに
睫毛鳴る」とかき送つて
その夜、まつしろいものに埋つて寝た。

寒い。

青い視野の奥のはうで
鵞ペンは、わたしの鵞ペンは寝たやうだ
行燈まがひの卓上電気も もはや 眠つたらしい
それから わたしの子供も 句帖も。

ところで
のこつた、眠らないのがただひとつ
膨らんで阿呆のやうな、きたならしい、このひだりの胸の哀求律。

寒い。

夜のからんからんに乾いた空気の、その底で
うつかり 咳をとりおとすと
発止!
それは青く火を発して 鳴つた。

高祖保
「雪」所収
1942

第二の遺書

 神に捧ぐる一九一九年二月七日の、いのりの言葉。
 私はいま、私の家へ行つて歸つて來たところなのです。牛込から代々木までの夜道を、夢遊病者の樣にかへつて來たとこです。
 私は今夜また血族に對する強い宿命的な、うらみ、かなしみ、あゝどうすることも出來ないいら立たしさを新に感じて來たのです。其の感じが私の炭酸を滿たしたのです。
 あゝすべては虐げられてしまつたのだと私は思ひました。何度か、もうおそらく百度くらゐ思つた同じことをまた思ひました。
 親子の愛程はつきりと強い愛はありませうか、その當然すぎる珍しからぬ愛でさへ私たちの家ではもう見られないのです。何といふさびしい事でせう。
 しかも、とりわけて最もさびしい事は其の愛が私自身の心から最も早く消えさつてゐることなのです。私は母の冷淡さをなじつても、心に氷河のながれが私の心の底であざわらつてゐることを感ぜずには居られませんでした。私がかく母をなじり、流行性感冒の恐ろしさを説き、弟の手當を説いたかなりにパウシヨラケートな言葉も實は、私の愛に少しも根ざしてはゐないのでした。それどころか、恐ろしい、みにくい、利己の心が、たしかに其の言葉を言はせたのです。眞に弟を思つたのではないのです。私はたゞたゞ私自身の生活の自由と調和とが家庭の不幸弟の病氣等に依つてさまたげられこはれんことを恐れて居るのです。弟の病氣が重くなつては私の世界が暗くなるからなのです。
 ああ眞に弟を思ひその幸福のためにいのつてやる貴いうつくしい愛はどこへ行つたのでせう。またはいつ落としてしまつたのでせう。其れはとにかくない物なのだ。私の心のみか、私の家の中にはどこにもないものなのだ。何たるさびしさでせう。私は母をなじつて昂奮して外へ飛び出し、牛込から乘つた山の手電車の入口につかまつてほんとに泣きました。涙がにじみ出ました、ほんとです。ほんとです。このさびしさが泣かずにゐられませうか。私は泣きました。愛のない家庭といふ世にもみにくい家庭が私のかゝり場所かと思つて。それよりも私を、このみにくい私を、何たる血族だらう。このざまは何だらう。虐げられてしまつたのだ。すつかり虐げられてしまつたのです。もとはこれではなかつた。少なくとも私の少年時代は。
 神さま、私はもうこのみにくさにつかれました。
 涙はかれました。私をこのみにくさから離して下さいまし。地獄の暗に私を投げ入れて下さいまし。死を心からお願いするのです。
 神さま、ほんとです。いつでも私をおめし下さいまし。愛のない生がいまの私のすべてです。私には愛の泉が涸れてしまひました、ああ私の心は愛の廢園です。何といふさびしさ。
 こんなさびしい生がありませうか。私はこの血に根ざしたさびしさに殺されます。私はもう影です。生きた屍です。神よ、一刻も早く私をめして下さいまし。私を死の黒布でかくして下さいまし。そして地獄の暗の中に、かくして置て下さいまし。どんな苦をも受けます。たゞ愛のない血族の一人としての私を決してふたゝび、ふたたびこの世へお出しにならない樣に。
 私はもう決心しました。明日から先はもう冥土の旅だと考へました。
 神よ、私は死を恐れません。恐れぬばかりか慕ふのです。たゞ神さまのみ心に逆らつて自殺する事はいたしません。
 神よ、み心のまゝに私を、このみにくき者を、この世の苦しい涙からすくひ玉はんことを。くらいくらい他界へ。

村山槐多
「村山槐多詩集」所収
1919

背後

きみの右手が
おれのひだりを打つとき
おれの右手は
きみのひだり手をつかむ
打つものと
打たれるものが向きあうとき
左右は明確に逆転する
わかったな それが
敵であるための必要にして
十分な条件だ
そのことを確認して
きみは
ふりむいて きみの
背後を打て

石原吉郎
「斧の思想」所収
1970

遠い花火

唇には歌でもいいが
こころには そうだな
爆弾の一個くらいはもっていたいな
ぼくが呟くと
(ばくだんって
あのばくだん?)
おばさんが首を傾げて質問する
そうですよ ほかにどんなばくだんがあるのですか
こころに
爆弾があって
信管が奥歯のあいだにあって
それをしみじみ噛みしめると
BANG!
ぼくがいなくなってしまうんだ
(いいわね そのときはわたしも
吹きとんでしまうんでしょ?
遠い花火のように)

おばさんとぼく
ぼくが少年のときの海と空を
同時に思い出す
荒れ騒ぐ波のうえを
鷗が数羽とんでいる
はやくあのこのところへ行かなくちゃと
息はずませてボートを漕いでいる
若いおばさんもいる
おばさんには
村の道にぼつんと立っている
たよりない子供の影も見えていて
その子がやがて
<ボートを漕ぐおばさんの肖像>という
いくつかの詩を書くのである

辻征夫
ボートを漕ぐおばさんの肖像」所収
1992

人間の言葉を借りて

生まれたくなかった
胎内で抵抗した
何度か流産のチャンスがあった
チャンスは薬物の力でつぶされた
その日は”難産”だった
緊急処置の帝王切開で
わたしは生まれた
三年ぶりに二人目の子を得た若い父母の喜びが
わたしには、うとましかった
生まれたくなかった
育ちたくなかった
しかし
順調に育った

或る日
三歳になる兄が
眠っているわたしの顔に
小さな透明のビニールの袋をかぶせた
袋は頭をピッタリ包み
わたしは息が出来なくなった
チャンス到来
忽ち気が遠くなり
わたしは人間でなくなった

わたしの異状に兄は驚き
母のもとへ走った
母が駆けつけ
すべてを察した
青ざめて
ビニールの袋をはずし
わたしを荒々しくゆさぶった
動かなかった
母は電話をかけ、病院に車を飛ばした
母の供述のちぐはぐに
医者は不審を抱いた
乳児がビニールの袋をかぶる筈がない
医者の通報で警官が来た
母は事の次第を正直に語った
語って泣いた
警察の穏便な処置で、兄は罪を免れた
母と兄が罪になることなど、わたしは望まなかった
人間でなくなりさえすればよかったのだから
わたしの望みが叶えられ、人間でなくなった日
わたしは思い出していた
以前、人間だったことを
再度の人間稼業はごめんだと真底思っていたことを
わたしの望みが何処かの神のお耳に入ればいいと
思っていたことを

理由は
今更、人間に話しても仕方がない
陽気な顔をして何度でも人間に生まれたがっている者に
わたしは、ただ、微笑を贈るばかり

わたしの望みが叶えられ、人間でなくなった日
若く優しい父母は泣き
小さな兄は訳もわからず走りまわっていた
わたしは詫び、静かに会釈をして
そこから立ち去って来た
わたしの世界に
わたしと同じ意思たちの住む明るい世界を
人間は信じるでしょうか?

吉野弘
自然渋滞」所収
1989

魂よ

魂よ
この際だからほんとのことを言うが
おまえより食道のほうが
私にとってはずっと貴重だったのだ
食道が失われた今それがはっきり分った
今だったらどっちかを選べと言われたら
おまえ 魂を売り渡していたろう
第一 魂のほうがこの世間では高く売れる
食道はこっちから金をつけて人手に渡した
魂よ
生は爆発する火山の熔岩のごとくであれ
おまえはかねて私にそう言っていた
感動した私はおまえのその言葉にしたがった
おまえの言葉を今でも私は間違いだとは思わないが
あるときほんとの熔岩の噴出にぶつかったら
おまえはすでに冷たく凝固した熔岩の
安全なすきまにその身を隠して
私がいくら呼んでも出てこなかった
私はひどい火傷(やけど)を負った
おまえは私を助けに来てはくれなかった
幾度かそうした眼に私は会ったものだ
魂よ
わが食道はおまえのように私を苦しめはしなかった
私の言うことに黙ってしたがってきた
おまえのようなやり方で私をあざむきはしなかった
卑怯とも違うがおまえは言うこととすることとが違うのだ
それを指摘するとおまえは肉体と違って魂は
言うことがすなわち行為なのであって
矛盾は元来ないのだとうまいことを言う
そう言うおまえは食道がガンになっても
ガンからも元来まぬかれている
魂とは全く結構な身分だ
食道は私を忠実に養ってくれたが
おまえは口さきで生命を云々するだけだった
魂よ
おまえの言葉より食道の行為のほうが私には貴重なのだ
口さきばかりの魂をひとつひっとらえて
行為だけの世界に連れて来たい
そして魂をガンにして苦しめてやりたい
そのとき口の達者な魂ははたしてなんと言うだろう

高見順
死の淵より」所収
1964

ショウガパンの兵士

小麦粉はよくよくふるって、
ジンジャー・パウダーと塩と一緒に
ミキシング・ボールに入れて、
オートミールと赤砂糖を混ぜておいて、
そして、小さなソースパンにラードを敷いて、
ゴールデン・シロップをたっぷりと注いで、
ほんのすこし牛乳をくわえて火にかけて、
熱く溶かしてミキシング・ボウルに注いで、
さらに卵を割りいれて混ぜあわせて、
四人の兵士のかたちに
生地をつくって、
オーヴンに入れてきっちりと焼くと、
素敵なショウガパンの兵士のできあがりだ。
いやだ、兵士だなんて、と一人がいった。
てんでまちがってる、と一人がいった。
とにかく逃げだすんだ、と一人がいった。
ぼくらを匿まってくれ、と一人がいった。
もちろんさ、と子どもたちはこたえた。
そして、まんまと大人たちの目を盗み、
四人のショウガパンの脱走兵は姿を消した。
子どもたちの手びきで、
子どもたちの口のなかへ、
もう誰も兵士でなくていい場所へ。

長田弘
食卓一期一会」所収
1987

最も鈍い者が

言葉の息遣いに最も鈍い者が
詩歌の道を朗らかに怖さ知らずで歩んできた
と思う日

人を教える難しさに最も鈍い者が
人を教える情熱に取り憑かれるのではあるまいか

人の暗がりに最も鈍い者が
人を救いたいと切望するのではあるまいか

それぞれの分野の核心に最も鈍い者が
それぞれの分野で生涯を掛けるのではあるまいか

言葉の道に行き昏れた者が
己にかかわりのない人々にまで
言いがかりをつける寒い日

吉野弘
「自然渋滞」所収
1989

また

 私はトゲトゲの多い小さい草の実だから、それで人にとりつこうとするほかなかったのだ。
 その人もやっぱりさびしい旅行者だったので、草の実をはこんだけれどおしまいには私を落した。
 トゲが折れ摩滅した時、はなれて落ちるのは草の実として当然のことにちがいない、それで事は成就するのだから──
 だから悲しみというものは人間に必要なことに属するのだ。
 かんじんなことは何が成就したかを知ることだ。そしてそのことでさびしさをいやす努力をすることだ。
(タトエバ仮リニ、詩ヲカクト云ウコトダケデモ・・・・)

永瀬清子
短章集「流れる髪」所収
1977

伝言

ときどき
会社にいくのがいやになるから
いかないんだ
ベッドにひっくりかえって
ちりぢりばらばらの
友だちのことなんかかんがえている
ひとりで笑って
あれこのまえおれが笑ったのはいつだっけ
なんてかんがえたり
へんだろおれって

でも半月もぼんやりしてるとさ
金もなくなる食いものもなくなる
じゃかすかのびるのはひげばかりで
しかたがないから近所の
コンビニエンスストアでアルバイト
いがいと評判がよかったりしてさ
おれもはりきって あーあくたびれた
今日は帰るか なんて大声でいってみたり
へんだなおれって

まえの会社は病欠っていうのかな
月にいちどは電話があるんだ 母のところに
母はおろおろしているけれど
おれはなんだか筋肉がついちゃったし
背丈までのびたみたいだ
もちろんおれは書くのは苦手だから
何といったかな あの生涯ヒラ社員の
(子使いさんを夢みるひと)
に頼んで書いてもらう
おれの名前は出さないそうだけど
これ おれなんだ わかるかな

辻征夫
河口眺望」所収
1993