Category archives: Chronology

とんぼの目玉

とんぼの目玉はでっかいな。

銀ピカ目玉の碧目玉、

まあるいまあるい目玉、

地球儀の目玉、

せわしな目玉、

目玉の中に、

小人が住んで、

千も万も住んで、

てんでんに虫眼鏡で、あっちこっちのぞく。

上向いちゃピカピカピカ。

下向いちゃピカピカピカ。

クルクルまわしちゃピカピカピカ。

とうもろこしにとまればとうもろこしが映る。

はげいとうにとまればはげいとうが映る。

千も万も映る。

きれいな、きれいな、

五色のパノラマ、きれいな。

 

ところへ、子どもが飛んで出た、

もちざおひゅうひゅう飛んで出た。

さあ、逃げ、わあ、逃げ、

麦わら帽子が追ってきた。

千も万も追ってきた。

おお怖、ああ怖。

ピカピカピカピカ、ピッカピカ、

クルクル、ピカピカ、ピッカピッカ。

 

北原白秋

白秋全集」所収

1934

虫が鳴いてる

いま ないてをかなければ

もう駄目だといふふうに鳴いてる

しぜんと

涙をさそはれる

 

八木重吉

貧しき信徒」所収

1928

玻璃問屋

空気銀緑にしていと冷き

五月の薄暮、ぎやまんの

数数ならぶ横町の玻璃問屋の店先に

 

盲目が来りて笛を吹く、

その笛のとろり、ひやらと鳴りゆけば、

青き玉、水色の玉、珊瑚珠、

管の先より吹き出る水のいろいろ――

 

一瞬の胸より胸の情緒。

 

流れ流れてうち淀む

流れを引いてびいどろの細き口より飛ぶ泡の

車輪まはせば風鈴もりんりんりんと鳴りさわぐ。

われは君ゆゑ胸さわぐ。

 

おどけたる旋律きけど、さはあれど、

雨後の空気のしつとりと、

うち湿りたる五月の暮しがた、

びいどろ簾かけ渡す玻璃問屋の店先に、

 

雲を漏れたる落日の

その一閃の縦笛の銀の一矢が、

ぎやまんの群より目ざめ

ゆらゆらとあえかに立てる玻璃の乙女、

ああ人間のわかき日の唯一瞬のさんちまん

それを照してまた消ゆる影を見るゆゑ、

 

われはそれ故涙する。

君もそれゆゑ涙する。

 

落ちし涙が水盤に小波を立て、

くるくると赤き車ぞうちめぐる。

車は廻れ、波おこれ、

波起すべう風きたれ。

風は来たりてりんりんと風鈴鳴らし、

細君は酸漿鳴らす玻璃問屋の店先に、

 

盲目が来りて笛を吹く。

 

木下杢太郎

木下杢太郎詩集」所収

1930

蟋蟀

記憶せよ

あの夜のことを

あの暴風雨を

あの暴風雨にも鳴きやめず

ほそぼそと力強くも鳴いてゐた

蟋蟀は聲をあはせて

はりがねのやうに鳴いてゐた

自分はそれを聞いてゐた

 

山村暮鳥

風は草木にささやいた」所収

1918

高楼

わかれゆくひとを をしむと こよひより

とほきゆめちに われやまとはん

 

   妹

とほきわかれに たへかねて

このたかどのに のぼるかな

 

かなしむなかれ わがあねよ

たびのころもを とゝのへよ

 

   姉

わかれといへば むかしより

このひとのよの つねなるを

 

ながるゝみづを ながむれば

ゆめはづかしき なみだかな

 

   妹

したへるひとの もとにゆく

きみのうへこそ たのしけれ

 

ふゆやまこえて きみゆかば

なにをひかりの わがみぞや

 

   姉

あゝはなとりの いろにつけ

ねにつけわれを おもへかし

 

けふわかれては いつかまた

あひみるまでの いのちかも

 

   妹

きみがさやけき めのいろも

きみくれなゐの くちびるも

 

きみがみどりの くろかみも

またいつかみん このわかれ

 

   姉

なれがやさしき なぐさめも

なれがたのしき うたごゑも

 

なれがこゝろの ことのねも

またいつきかん このわかれ

 

   妹

きみのゆくべき やまかはは

おつるなみだに みえわかず

 

そでのしぐれの ふゆのひに

きみにおくらん はなもがな

 

   姉

そでにおほへる うるはしき

ながかほばせを あげよかし

 

ながくれなゐの かほばせに

ながるゝなみだ われはぬぐはん

 

島崎藤村

若菜集」所収

1896

案内

三畳あれば寝られますね。

これが水屋。

これが井戸。

山の水は山の空気のやうに美味。

あの畑が三畝、

いまはキヤベツの全盛です。

ここの疎林がヤツカの並木で、

小屋のまはりは栗と松。

坂を登るとここが見晴し、

展望二十里南にひらけて

左が北上山系、

右が奥羽国境山脈、

まん中の平野を北上川が縦に流れて、

あの霞んでゐる突きあたりの辺が

金華山沖といふことでせう。

智恵さん気に入りましたか、好きですか。

うしろの山つづきが毒が森。

そこにはカモシカも来るし熊も出ます。

智恵さん斯ういふところ好きでせう。

 

高村光太郎

智恵子抄」所収

1949

八尾の萩原朔太郎、一九三六年夏

 昭和十一年八月二十一日。あなたは従兄の病気見舞いのため大阪八尾の萩原家を訪れたところだ。栄次さんは重篤。少 年期から青年期にかけて心の支えであり文学上の師でもあったこの従兄がいなければ今の自分はなかった、とあなたは思う。医学の道を断念し、熊本、岡山、大 阪、東京での六年もの浪人生活の末、失意のうちに帰郷した青春時の残像が次々と脳裏を走る(竹、竹、竹……)。あの頃、ドストエフスキーを教えてくれたの も栄次さんだった(一粒の麦もし死なずば……)。詩作の苦悩を訴えたのも、成功の予感を告げたのも、処女詩集の献辞を捧げたのも、すべて栄次さんに対して だった。彼は今もあなたを「朔ちゃん」と呼ぶ。

 

 この時あなたは、すでに七冊の詩集をもつ堂々たる詩壇の人物。一昨年に出した詩集は、自他ともに一番弟子と認める 詩人から手厳しい批評を受けたが、一方では新しい理解者をもたらした。昨年は初の小説を、この春には念願の定本詩集も出した。若い詩人たちに敬われ大手雑 誌の「詩壇時評」の担当者でもある。最近、ある詩人があなたの「抒情精神」の脆さ危うさを批判する辛辣な評論を発表したが、なんら反論もせず見過ごすくら いの余裕はすでに生れている(数年後その詩人の不安は的中することになるのだが)。

 

 先ほどあいさつに出た小学生は栄次さんの長男で八尾萩原医院の後継者。この少年が六十年以上も後に、あなたのマン ドリン演奏のことや、親族皆でくり出した温泉旅行のことを書くことになる(*)とは、あなたは夢にも思わない。「たいそう情感を籠めた弾きかた」と、少年 が感じた楽曲は何? 酒が入ると時折弾いた古賀メロディの一節?(まぼろしの影を慕いて……)少年が目撃しそこねたという宴席で、あなたは従兄の病をしば し忘れることができたでしょうか。著名人としての自意識が少しは働いたのでしょうか。色紙などしたためて(広瀬川白く流れたり……)。つい先日、父の墓を 訪れて「過失を父も許せかし」と歌ったあなたは、たしかに半世紀を生きてきた。「父よ わが不幸を許せかし」とは「不孝」の誤り? それとも本気で「わが 不幸」を悔いていた? 「父は永遠に悲壮である」と書いたあなたは、亡父に自らを重ねていたのでしょうか。

 

 朔太郎さん。あなたが従兄を亡くし「文学界賞」を受け「詩歌懇話会」の役員となり「日本浪漫派」同人となるこの年 のことを、ぼくはいずれ詳しく書きたいと思っています。残り少ない歳月の中であなたが最後にたどり着いた詩境(それは昭和十四年刊行の詩集『宿命』に示さ れることになるのですが)の出発点が、大阪八尾のこの夏にあるのではという、さして根拠のない直感にこだわってみたいと思うのです。この頃のあなたに特別 な興味を抱くのはぼくだけではない、と思われてしかたがないのです。五十路のあなたはすでに(栄次さんと共に)冥府をさまよっていたのかもしれません。

 

 (*)萩原隆『朔太郎の背中』深夜叢書社

 

山田兼士

微光と煙」所収

2009

この残酷は何処から来る

どこで見たのか知らない、

わたしは遠い旅でそれを見た。

寒ざらしの風が地をドツと吹いて行く。

低い雲は野天を覆つてゐる。

その時火のつく樣な赤ん坊の泣き聲が聞え、

さんばら髮の女が窓から顏を出した。

 

ああ眼を眞赤に泣きはらしたその形相、

手にぶらさげたその赤兒、

赤兒は寒い風に吹きつけられて、

ひいひい泣く。

女は金切り聲をふりあげて、ぴしやぴしや尻をひつ叩く。

死んでしまへとひつ叩く。

風に露かれて裸の赤兒は、

身も世も消えよとよよと泣く。

 

雪降り眞中に雪も降らない此の寒國の

見る眼も寒い朝景色、

暗い下界の地に添乳して、

氷の胸をはだけた天、

冬はおどろに荒れ狂ふ。

ああ野中の端の一軒家、

涙も凍るこの寒空に、

風は悲鳴をあげて行く棟の上、

ああこの殘酷はどこから來る、

ああこの殘酷はどこから來る、

またしてもごうと吹く風、

またしてもよよと泣く聲。

 

福士幸次郎

展望」所収

1919

二月の街

春よ春、

街に来てゐる春よ春、

横顔さへもなぜ見せぬ。

 

春よ春、

うす衣すらもはおらずに

二月の肌を惜しむのか。

 

早く注せ、

あの大川に紫を、

其処の並木にうすべにを。

 

春よ春、

そなたの肌のぬくもりを

微風として軒に置け。

 

その手には

屹度、蜜の香、薔薇の夢、

乳のやうなる雨の糸。

 

想ふさへ

好しや、そなたの贈り物、

そして恋する赤い時。

 

春よ春、

おお、横顔をちらと見た。

緑の雪が散りかかる。

 

与謝野晶子

晶子詩篇全集」所収

1929

自分は太陽の子である

自分は太陽の子である

未だ燃えるだけ燃えたことのない太陽の子である

 

今いま口火をつけられてゐる

そろそろ燻ぶりかけてゐる

 

ああこの煙りが焔になる

自分はまつぴるまのあかるい幻想にせめられて止まないのだ

 

明るい白光の原つぱである

ひかり充ちた都會のまんなかである

嶺にはづかしさうに純白な雪が輝く山脈である

 

自分はこの幻想にせめられて

今燻りつつあるのだ

黒いむせぼつたい重い烟りを吐きつつあるのだ

 

ああひかりある世界よ

ひかりある空中よ

 

ああひかりある人間よ

總身眼のごとき人よ

總身象牙彫のごとき人よ

怜悧で健康で力あふるる人よ

 

自分は暗い水ぼつたいじめじめした所から産聲をあげたけれども

自分は太陽の子である

燃えることを憧れてやまない太陽の子である

 

福士幸次郎

太陽の子」所収

1913