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耳鳴りの歌

私の耳の中では

ソバカラを鳴らすやうな

少しのしめり気もない乾ききつて

鉄砲をうちあふやうな音がきこえた

私は心で呟やく、あゝ、まだ戦争がつゞいてゐるのだと

とてつもない大きな大砲の音がひびく

ほんとうの戦争よりも激しい

貧困とたゝかふ者もある

そして夜がやつてくると

どしんどしんと窓は何ものかに

叩きつけられて一晩中眠れないのだ

 

やさしい秋の木の葉も見えない

都会の裏街の窓の中の生活

ときをり月が建物の

屋根と屋根との、わずかな空間を

見せてならないものを見せるやうに

しみつたれて光つて走りすぎる

煤煙と痰と埃りの中の人々の生活も

これ以上つづくであらうか

愛といふ言葉も使ひ古された

憎しみといふ言葉も使ひ忘れた

生きてゐるといふことも

死んでゆくといふことも忘れた。

ただ人はゆるやかな雲の下で

はげしく生活し狂ひまはつてゐる。

 

私の詩人だけは

夜、眠る権利をもつてはいけない

不当な幸福を求めてはならないのだ

夜は呪ひ、昼は笑ふのだ

カラカラと鳴るソバカラの

耳鳴りをきゝながら

あゝまだ戦争は野原でも生活の中でも

つづいてゐるのだと思ふ。

そのことは怖れない

人民にとつて「時間」は味方だから

人と時とはすべてを解決するのだらう。

 

小熊秀雄

哀憐詩集」所収

1940

郵便局

 郵便局といふものは、港や停車場やと同じく、人生の遠い旅情を思はすところの、悲しいのすたるぢやの存在である。局員はあわただしげにスタンプを捺し、人人は窓口に群がつてゐる。わけても貧しい女工の群が、日給の貯金通帳を手にしながら、窓口に列をつくつて押し合ってゐる。或る人人は為替を組み入れ、或る人人は遠国への、かなしい電報を打たうとしてゐる。

 いつも急がしく、あわただしく、群衆によつてもまれてゐる、不思議な物悲しい郵便局よ。私はそこに来て手紙を書き、そこに来て人生の郷愁を見るのが好きだ。田舎の粗野な老婦が居て、側の人にたのみ、手紙の代筆を懇願してゐる。彼女の貧しい村の郷里で、孤独に暮してゐる娘の許へ、秋の袷や襦袢やを、小包で送つたといふ通知である。

 郵便局! 私はその郷愁を見るのが好きだ。生活のさまざまな悲哀を抱きながら、そこの薄暗い壁の隅で、故郷への手紙を書いてゐる若い女よ! 鉛筆の心も折れ、文字も涙によごれて乱れてゐる。何をこの人生から、若い娘たちが苦しむだらう。我我もまた君等と同じく、絶望のすり切れた靴をはいて、生活の港港を漂泊してゐる。永遠に、永遠に、我我の家なき魂は凍えてゐるのだ。

 郵便局といふものは、港や停車場と同じやうに、人生の遠い旅情を思はすところの、魂の永遠ののすたるぢやだ。

 

萩原朔太郎

宿命」所収

1939

善鬼呪禁

なんぼあしたは木炭を荷馬車に山に積み

くらいうちから町へ出かけて行くたって

こんな月夜の夜なかすぎ

稲をがさがさ高いところにかけたりなんかしてゐると

あんな遠くのうす墨いろの野原まで

葉擦れの音も聞えてゐたし

どこからどんな苦情が来ないもんでない

だいいち そうら

そうら あんなに

苗代の水がおはぐろみたいに黒くなり

畦に植はった大豆もどしどし行列するし

十三日のけぶった月のあかりには

十字になった白い暈さへあらはれて

空も魚の眼球に変り

いづれあんまり録でもないことが

いくらもいくらも起ってくる

おまへは底びかりする北ぞらの

天河石のところなんぞにうかびあがって

風をま喰ふ野原の慾とふたりづれ

威張って稲をかけてるけれど

おまへのだいじな女房は

地べたでつかれて酸乳みたいにやはくなり

口をすぼめてよろよろしながら

丸太のさきに稲束をつけては

もひとつもひとつおまへへ送り届けてゐる

どうせみんなの穫れない歳を

逆に旱魃でみのった稲だ

もういゝ加減区劃りをつけてはねおりて

鳥が渡りをはじめるまで

ぐっすり睡るとしたらどうだ

 

宮沢賢治

春と修羅 第二集」所収

1924

美しい穂先

雨があがりました

薄日が

拡散する午後です

お母様、

ちょっとそこまで

散歩に行きましょうか

公園の手前の

美術館で

絵を眺めましょうか

それから

お喋りしましょうか

アスファルトに揺らぐ

わたしたちの影

どうみても

親子なのですから

ちょっとそこまで

散歩に行きましょうか

 

美しい穂先のように

凛、としている

あなたと

笑いながら

生きていきたいのです

次の秋には

おそらで魚が泳ぐのです

それを

一緒に

仰ぎましょうね

少しの甘いお菓子と

お茶を用意して

ちょっとそこまで

散歩に行きましょうね

 

雨があがりました

しゃんしゃんと水滴をはじく

美しい穂先

あなたがいるかぎり

わたしはいつまでも

ここに居たいと思うのです

それは

お母様が

美しい穂先という

名前のとおり

凛、としているから

泣きたくなるほど

好きになっていくのです

 

三角みづ紀

カナシヤル」所収

2006

曇天

 ある朝 僕は 空の 中に、

黒い 旗が はためくを 見た。

 はたはた それは はためいて ゐたが、

音は きこえぬ 高きが ゆゑに。

 

 手繰り 下ろさうと 僕は したが、 

綱も なければ それも 叶はず、

 旗は はたはた はためく ばかり、

空の 奥処に 舞ひ入る 如く。

 

 かかる 朝を 少年の 日も、

屡々 見たりと 僕は 憶ふ。

 かの時は そを 野原の 上に、

今はた 都会の 甍の 上に。

 

 かの時 この時 時は 隔つれ、

此処と 彼処と 所は 異れ、

 はたはた はたはた み空に ひとり、

いまも 渝らぬ かの 黒旗よ。

 

中原中也

在りし日の歌」所収

1936

殺人事件

とほい空でぴすとるが鳴る。

またぴすとるが鳴る。

ああ私の探偵は玻璃の衣裳をきて、

こひびとの窓からしのびこむ、

床は晶玉、

ゆびとゆびとのあひだから、

まつさをの血がながれてゐる、

かなしい女の屍体のうへで、

つめたいきりぎりすが鳴いてゐる。

 

しもつき上旬のある朝、

探偵は玻璃の衣裳をきて、

街の十字巷路を曲つた。

十字巷路に秋のふんすゐ、

はやひとり探偵はうれひをかんず。

 

みよ、遠いさびしい大理石の歩道を、

曲者はいつさんにすべつてゆく。

 

萩原朔太郎

月に吠える」所収

1917

自然に、充分自然に

草むらに子供はもがく小鳥を見つけた。

子供はのがしはしなかつた。

けれども何か瀕死に傷いた小鳥の方でも

はげしくその手の指に噛みついた。

 

子供はハツトその愛撫を裏切られて

小鳥を力まかせに投げつけた。

小鳥は奇妙につよく空を蹴り

翻り 自然にかたへの枝をえらんだ。

 

自然に? 左様 充分自然に!

――やがて子供は見たのであつた、

礫のやうにそれが地上に落ちるのを。

そこに小鳥はらくらくと仰けにね転んだ。

 

伊東静雄

詩集夏花」所収

1940

ヤマグチイズミ

きけば答えるその口もとには

迷い子になってもその子がすぐに

戻って来る筈の仕掛がしてあって

おなまえはときけば

ヤマグチイズミ

おかあさんはときけば

ヤマグチシズエ

おとうさんはときけば

ヤマグチジュウサブロウ

おいくつときけば

ヨッツと来るのだ

ところがこの仕掛おしゃまなので

時には土間にむかって

オーイシズエと呼びかけ

時には机の傍に寄って来て

ジュウサブロウヤとぬかすのだ

 

山之口貘

山之口獏詩集」所収

1940

 

広漠たる原野

背に夕陽をうけて 軽快に

飛んでいた 鴉が

突然 死んだ

鴉は高い空から垂直に落下した

と同時に

あかねいろにそまった野の地平線から

彼の大きな影が

目にもとまらぬ速さで

じぶんの死骸にかけこんできた

この地球に偉大な影を落していた鴉は

心臓マヒだった

 

蔵原伸二郎

蔵原伸二郎選集」所収

1965

In Tongues

 for Auntie Jeanette

1.

Because you haven’t spoken

in so long, the tongue stumbles and stutters,

sticks to the roof and floor as if the mouth were just

a house in which it could stagger like a body unto itself.

 

You once loved a man so tall

sometimes you stood on a chair to kiss him.

 

2.

What to say when one says,

“You’re sooo musical,” takes your stuttering for scatting,

takes your stagger for strutting,

takes your try and tried again for willful/playful deviation?

 

It makes you wanna not holla

silence to miss perception’s face.

 

3.

It ain’t even morning or early,

though the sun-up says “day,” and you been

staggering lange Zeit gegen a certain

breathless stillness that we can’t but call death.

 

Though stillness suggests a possibility

of less than dead, of move, of still be.

 

4.

How that one calling your tryin’

music, calling you sayin’ entertaining, thinks

there’s no then that we, (who den dat we?), remember/

trace in our permutations of say?

 

What mastadonic presumptions precede and

follow each word, each be, each bitter being?

 

5.

These yawns into which we enter as into a harbor—

Come. Go. Don’t. says the vocal oceans which usher

each us, so unlike any ship steered or steering into.

A habit of place and placing a body.

 

Which choruses of limbs and wanting, of limp

linger in each syllabic foot tapping its chronic codes?

 

 Tonya M. Foster From “A Swarm of Bees in High Court

2015

 

言葉の中で

 

ジャネットおばさんに

 

1.

あんまり長い間、喋らなかったから、

舌はもつれ、つっかえて、

はりついてしまうのだ。天井や床に。まるで口が

ちょうど家であるかのように 中で舌は千鳥足だ。

 

昔、とても背の高い男を愛した。

キスする為に椅子の上に立たなければいけなかった。

 

2.

何と言えばいいんだろう。

「とっても音楽的ですねえ」なんて言われて。 どもりをしゃべくり芸に

ふらつきを気取りに

何度もやりなおしているのを わざとやっているおふざけだと思われて。

 

もう伝えようとする気持ちも失せた。

誤解している顔に向かうと 何も言えない

 

3.

朝早いわけじゃないの

太陽はとっくに昇っているんだけど ずっと

ふらついている 「ナガキジカンニワタル」

息の詰まるような静寂。 死と呼ばざるを得ないような。

 

だが、静寂は可能性を示唆するのだ

死んではいない 動く まだ生き続ける 可能性を

 

4.

挑戦を音楽と呼ばれるのはどう?

話しているのを娯楽扱いされるのは?

言葉を並べたてても、我々が思いかえし、復唱する事が全く無いとしたら?

(ワレワレトハダレナノダ)

 

何てものすごい思い込みが先走り、そして

追っているのだろう、ひとつひとつの言葉を、存在を、苦い実存を

 

5.

この大きな口の中に入っていくの?まるで港に入っていくように

来て。行って。やめて。海は語りかけ、先導する

われわれを。 操舵されるどんな船にも似ずに。

言葉を配置していく。

 

詩句と欠乏の唱和なのか、それとも

いつまでも続くコードで、音節のステップを踏みながら、よろめき、ぐずぐずしているのだろうか?