びおろんの胴の空間
孕める牝牛の蹄
眞實なるものには、すべて
或る一種の憂鬱がある。
くちつけのあとのとれもろ
麥の芽の青
またその色は藍で
金石のてざはり
ぶらさがつた女のあし
茶褐で雪の性
土龍の毛のさみしい銀鼠
黄の眩暈、ざんげの星
まふゆの空の飛行機
枯れ枝にとまつた眼つかち鴉。
山村暮鳥
「聖三陵玻璃」
1915
蒸し暑い或る日
浜松町駅のプラットホームに佇んでいると
おびただしい雁の群れが
目の前を覆った、
私は今までに
街の中で
雁が
こんなにも低く飛ぶのを
見たことがない
泳ぐように突き出した長い首や
うしろに延しやった黄色い脚さえ
見えたのだ、
見たことがないのは
低く飛ぶ雁ばかりではない
これらの雁の乱れ方だ
あまりにも乱れていた、
一群れが
すすんで行くかと見ると
一群れはそれとは逆に飛んでいる
その中間で戸迷っている群れがある
といった塩梅だ、
しかもその一群れ一群れが
それぞれ
まるで雁行の形を成していないのだ
ずっと遅れて
あとから一羽二羽が
はぐれては大変だとばかり
あわてふためいていたのは
二、三にとどまらない
一体 何がどうしたというのだろう
この雁の乱れは
只ごとではないと思われた
わたしは
胸つまる思いで
乱れに乱れたおびただしい雁の群れを
見迎え見送っていた。
一九四七年八月末のことである。
この日から幾ばくもなくして、われわれはカスリーン台風に襲われたが、この台風とあの雁の乱れとは関係があるものかどうか、私には判らない。が、妙に気になることではある。
北川冬彦
1947
処刑はなされなければならない。結論だけが先にやって来て、権力の発動はすぐさまそれに続いた。だが、誰がどのような理由で処刑されなければならないのか、それは国家権力の組織的事務処理の途中で失われてしまった。そうして今日も「処刑」とだけ書かれたビラが街中に撒かれ、軍隊は常駐し、人々は家の中にこもって処刑がなされるのを待っていた。許可なく家を出た者はすぐさま射殺されたし、誰が処刑されるのか、処刑の理由は何かを官憲に問い詰めたものもすぐさま射殺された。
とにかく、処刑はなされなければならない、対象と理由を詮索することはもはや固く禁じられ、ただ軍隊は処刑の準備を淡々と進めていった。宛名のない逮捕状、理由のない勾留状、囚人の名が載っていない死刑執行状、書類の作成はどんどん進められたが、論理的に処刑をすることは不可能だった。だが、処刑に異議を唱える者は次々と射殺され、ただ異様な緊張感が街をずっと覆い続けた。
ところが、あるとき、当局の最高権力者は気づいてしまった。もはや処刑は完了してしまった、と。つまり、今回の処刑の対象者は、処刑に異議を申し立てるすべてのものであり、処刑の理由は、処刑という国家権力の命令に公然と刃向ったということ、そういうことなのだ、と。実際、今回の処刑に関して射殺された者たちは皆この要件を満たしていた。
そこで最高権力者は最高会議で処刑が完了した旨発言した。すぐさま街を原状に復するように命じた。するとただちにほかの会議のメンバーは最高権力者を取り押さえ、有無を言わさず射殺した。処刑はまだ終わらないし、これからも終わらないだろう。処刑は誰も対象としないし、いかなる理由も持たない。街にはこれからも悲鳴が響き続ける。処刑はなされなければならない。
広田修
「zero」所収
2015
桃の実は人を裁くと言う
僕が試験に落ちたとき
確かに桃の実はわらっていた
お前本当は桃の実じゃないだろう
僕はそいつをもぎ取り
皮をむいてみた
白くて柔らかい果肉があった
食べてみたら甘かった
そこまで徹底して僕をだまそうというのか
桃の実の置かれた地点で
いくつもの曲線が交わっている
この曲線はあの日の僕の痛み
この曲線は誰かの失恋
この曲線は自動車の発明
僕は悲しくなって泣いた
だって無関係なものが
たくさん交わりすぎているじゃないか
これじゃ戦争みたいだ
桃の実が
収穫され 選別され 輸送され
店舗に並び 購入され 食べられる
その過程で描いた空間的な軌道を
つぶさに思い描く
広大な空間を貫く巨大なスケッチ
こんな作品が桃の実の数だけあるんだね
桃の実の
飛び立ちそうな重さ
輝きそうな影
滑り出しそうな摩擦
青を呼ぶ赤さ
これらの均衡を食べようとして
僕は桃の実を取り上げる
すると重さはあくまで重く
赤さはあくまで赤くなってしまい
おびただしい偏りに
僕は食欲をなくした
広田修
「zero」所収
2015
電車の窓の外は
光りにみち
喜びにみち
いきいきといきづいている
この世ともうお別れかと思うと
見なれた景色が
急に新鮮に見えてきた
この世が
人間も自然も
幸福にみちみちている
だのに私は死なねばならぬ
だのにこの世は実にしあわせそうだ
それが私の心を悲しませないで
かえって私の悲しみを慰めてくれる
私の胸に感動があふれ
胸がつまって涙が出そうになる
団地のアパートのひとつひとつの窓に
ふりそそぐ暖い日さし楽しくさえずりながら
飛び交うスズメの群
光る風
喜ぶ川面
微笑のようなそのさざなみ
かなたの京浜工業地帯の
高い煙突から勢いよく立ちのぼるけむり
電車の窓から見えるこれらすべては
生命あるもののごとくに
生きている
力にみち
生命にかがやいて見える
線路脇の道を
足ばやに行く出勤の人たちよ
おはよう諸君
みんな元気で働いている
安心だ 君たちがいれば大丈夫だ
さようならあとを頼むぜ
じゃ元気で──
高見順
「死の淵より」所収
1966
触れてくれるな、
さはつてくれるな、
静かにしてをいてくれ、
この世界一脆い
私といふ器物に、
批評もいらなければ
親切な介添もいらない、
やさしい忠告も
元気な煽動も、
すべてがいらない
のがれることのできない
夜がやつてきたとき
私は寝なければならないから、
そこまで私の夢を
よごしにやつて来てくれるな、
友よ、
あゝ、なんといふ人なつこい
世界に住んでゐながら、
君も僕も仲たがひをしたがるのだらう、
永遠につきさうもない
あらそひの中に
愛と憎しみの
ゴッタ返しの中に
唾を吐き吐き
人生の旅は
苦々しい路連れです、
生きることが
こんなに貧しく
こんなに忙しいこととは
お腹の中の
私は想像もしなかつたです。
友よ、
産れてきてみれば斯くの通りです、
ただ精神のウブ毛が
僕も君もまだとれてゐない、
子供のやうに
愛すべき正義をもつてゐる、
精神は純朴であれと叫び
生活は不純であれと叫ぶ、
私は混線してますます
感情の赤いスパークを発す、
階級闘争の
君の閑日月の
日記を見たいものだ、
私の閑日月は
焦燥と苦闘の焔で走る、
孤独の超特急だ、
帰ることのできない、
単線にのつてゐる
もろい素焼の
ボイラーは破裂しさうだ。
小熊秀雄
「小熊秀雄詩集」所収」
1935
詩集の美、今回は中嶋康博さんの「中嶋康博詩集」を紹介いたします。
一言で言えば、端整で落ち着きのある趣といったら良いのでしょうか。
濃いブルーのクロス装の表紙は手触りもいいです。
文字組も大きすぎもせず、小さすぎもせず、絶妙なバランスですね。
まさに詩集らしい詩集と思います。
中嶋康博さんの先師田中克己氏の「田中克己詩集」の装丁に倣ったとのこと。
写真だけなのでわかりづらいのですが、確かに趣が似ているようです。
出版社も同じ潮流社です。
中嶋さんは四季派の詩人に私淑し、その流れを汲む作品を書いていらっしゃいます。
この詩集には1988年の「夏帽子」、1993年の「蒸気雲」、2冊分の詩篇とその後の作品が収められています。
登山、山についての詩が多く、読んでいて、まるで自分が今夏山の中にいるような感覚になりました。
当サイトではこの「中嶋康博詩集」より「夏帽子」と「音楽」の二篇を紹介させていただいています。
是非読んでみてくださいね!
AmazonへのLinkはこちらです。
また、中嶋康博さんは、四季派を中心とした詩集目録のサイトを運営されてます。圧倒的なデータ量の大変な労作です。資料的価値も非常に高いので、ご興味のある方は一度のぞいて見てください。こちらです。